審判の日 悔悛 172
ミズキさんがやや慌てたようすで否定したが、こちらの気持ちはおさまらない。
「なにがちがうの。ちがくないよ。浅倉くんはうまく立ち回ろうとしただけで、なんの解決方法も提示してないってことだもの。まったく、自分がオイシイ位置に立ってるからって、やろうとしたことはただの二股オトコと同じじゃない。しかもどうやって隠す気でいたんだ馬鹿者め。それとも隠蔽する気もないのかしら、まったく!」
私の剣幕におされたのか、ミズキさんは呆気にとられたようすでこちらを見つめていた。それから我に返ったのか苦笑して横をむく。
「……まあ、僕が説明する義理じゃないけど」
もちろん、言いたいことはわからないではなかった。浅倉くんはつまり、約束を破られたミズキさんが怒り狂って私を追いつめることがないように、身を挺して私を守ったということなのかもしれない。
でもそれ、絶対に間違ってる。
「あのねミズキさん、浅倉くんに任せて安穏としてた私がこんなことを言うのはおかしいんだけど、それで文句つけるっていうのはみっともないとはわかってるんだけど、でもね、やっぱり彼のしたことは許せないのよ」
不思議そうな顔をされたのは、私の目の錯覚ではないはずだ。
「僕が怒るのはまだしも、君が怒ることはないんじゃないかな」
「怒るでしょう。だってそれ、ミズキさんのことなめまくってるよね?」
「まあ、そうだね。僕の虚しくて寂しい性欲につけこんでる。姫香ちゃんに見限られた僕でも自分は相手してあげるよって提案されたわけだから」
なぜか楽しそうに、彼がこたえた。その自虐的な言いっぷりも気に入らなかった。
「ミズキさん、浅倉くんにそんなこと言われて許せなかったんでしょ?」
「そうだね。でも一方で感心もした。ものすごく威力のある懐柔策だなあって」
「だからっ。しないとならないのは懐柔じゃなくて説得じゃないの? そんなふうに相手の弱みにつけこんでこれを渡すからそれは諦めろっていうんじゃなくて、それはだって、優位を誇って相手を脅すこととよく似てるよ。私はそうじゃなくて、まさかそんなことをするなんて思ってなくて……」
浅倉くんはきっとミズキさんの屈託をほぐし胸の内を開いてそのうえで説得してくれると、私は信じていたのだ。今となってはバカだと思うけど、私はそう、信じていた。
それがまさか、前の日に彼が私に怒って否定してみせたことと同じだったなんて。
ああ、と彼は吐息をついた。それからゆるゆるとかぶりをふって、なにか、眩しいものを前にしたかのように目を細めてこちらを見あげていた。
「姫香ちゃん、それは、そう……君が言うことは正しいよね。君は浅倉に、僕の説得を期待してたっていうのはわかる。でもね、さっきも言ったように、僕たち三人のなかでそんなふうに理を通そうとして通ると信じてるのは君だけだ。それは君が女性だからとか潔癖だからじゃなくて、いや、それもあるだろうけど、きっと、僕のことも浅倉のことも苦もなく手に入れて、愛されることになれて餓えたことがないからだと思うよ」
それは、昨日の浅倉くんの言葉と似ていた。
違うと、そんなことはないと言い返したかったけれど、いまは他に訊かなければいけない件があった。
「ミズキさんはそういう浅倉くんでも、いいの? いいっていうか……」
彼はすこし戸惑うようなそぶりで首をふって、こたえた。
「そうだね。僕はもともと浅倉のずるいところが好きなんだよ。ひとの足下を見てそこを崩すようなことを平気でして、へらへらしてるのを見ると安心するんだよね」
よくわからないと思った。わからないけど、でも、たしかに浅倉くんにはそういうところがあると、私も知っていた。
「あの瞬間は君のことを諦めてたから浅倉の言うことを呑みそうになった。でも君の言うとおり、そんな関係が長続きするはずはないし、僕はきっと君を見たら我慢できなくなるってわかった。ただ、さっきも言ったけれど、自分に負い目があれば君のことも許せるかもしれないとは思ったよ」
「私?」
「泣いて謝れば僕が許すと思ってた?」
唇を噛んで相手を見た。けれど彼も勝ち誇った顔をしているはずもなく、ふたりして同時にうつむいた。
「……ごめんね」
彼は両膝をついたまま、私の膝に左手をついてそこに額をのせるようにして謝った。
「私に謝らなくていいよ」
「姫香ちゃん?」
「だって、どう考えても私が悪いもの。ミズキさんの言うとおり。約束破って二股かけて、ふたりの仲を引き裂いて」
「そうじゃない」
うなだれたまま、苦しげに告げた。
「……そうじゃ、ないよね。僕は、昨日だって君たちを邪魔しようとすればできたのにしなかった。浅倉を仕事だって呼びつけることだってできただろうし、または小まめにメールするなり電話するなりしたら、君はそれを理由に突っぱねることもできたはずだ」
そう、私がここに来たのはそれを尋ねたかったせいだ。ほんとはそうしてほしかった。どうして連絡してくれなかったの、と言いそうになった。浅倉くんに連絡していた様子がないのは理由のないことでもないけれど、あの日私に連絡をくれなかったのは、どう考えてもおかしい。
けど、それを今この時に問いただしていいものかわからずに、ただ見つめると、ミズキさんが切れ切れにこたえた。
「できなかったんじゃなくて、僕は、しなかったんだよ」
「どうして」
ほとんど反射的に疑問の言葉が口をついて飛び出していた。彼はそんな私を見ようともせず、ただ頭をさげた。
「……ごめん。君にわかるように、君が納得するような説明はできない」
「ミズキさん?」
「はじめから、僕のなかにはねじれがある。浅倉っていうフィルター越しに君を好きになったところもあるし」
それは、よく、わかる気がする。うなずくと、今度は醒めた視線で眺められた。
「そうだね。君は、そこのところは理解してるね。浅倉の持ってた絵、君が気にしてたあれの印象だ」
どんなものなのか、教えてほしかった。でも、きいていいのか、わからない。
私の逡巡をのみこんで、彼はすこし寂しそうに笑った。
「君、ほんとに覚えてないんだ」
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