審判の日 悔悛 171

「ちょっと待って。その論理でいくと、つまり目をつむってれば相手は誰でもかまわないって言いたいんでしょ?」

 よりにもよってミズキさんと、なんでこんな低俗な話をしてるんだろうと頭を抱えそうになりながら、反駁した。

「そこはいきなり、経過を飛ばしすぎてるから。それはいかにも男性的な生理に根ざした思考方法だと思うよ? そこは絶対、間違ってる。男のひとは違うのかもしれないけど、よくそういうはなし聞くからわかるんだけど、でもその最終っていうのはね、必ずしもいつも絶対に重要なわけじゃないの。他のひとは知らないけど少なくとも私は、そこへ達するまでの長いなが~い序章、もう会話とか食事とか、実際に裸になる前のそのあたりのほうがずっと大切なものなの。というか、それがないと私はソコへいけないの」

「それは知ってる」

 実にあっさり返答された。

 そりゃ、そうだよね。冷静に考えてみたら、このミズキさんにそんなことを今さら語って、私ってば釈迦に説法だわ。そう思い、瞳をあわせづらくて床に目を向けると、

「それで君、どっちがよかったの?」

 そう質問されていた。

「僕と浅倉、どっち」

 頭を起こし、まじまじと質問者を見おろした。今までの言葉の連なりは、この疑問のための前フリだとようやくにして気がついた。呆れるというより、どんな顔でそんなことを訊くのかと不思議だったので無言をたもって見つめ返す。

 そうして私の両目にうつったのは、ミズキさんのいたって真剣な表情だった。あからさまに不貞をなじる様子でもなく悲痛な顔でもなく、俗っぽい興味で尋ねるふうでもない。

 こわかった。

「ふつう、そういうこと、きく?」

「どうかな。怒りに任せて本音が出るでもしない限り、たいていは自尊心もあるし、自分が傷つきたくないからきかないだろうね。でも今なら何を言われても快感になりそうな気がする」

 いや、それはないってば。

 と、返そうとして、やめた。ここは賢明にふるまおうと決心するところだ。男に自分の過去の話をしてはいけないのは絶対法則なのだ。なにもかも謎で固めておいたほうがいい。まして今回は現在進行形なわけで、こたえを誤ると恐ろしいことになるに違いない。

 そういう思考を読み取られたらしく、ミズキさんは何か思いついたかのように口をひらく。

「ねえ姫香ちゃん、君はきっと勘違いしてる。僕は浅倉と君が抱き合ってるのを想像して興奮できるんだけど」

「そういうことは言わないのっ」

 思わず声をあげると、彼は今度こそ嬉しそうに笑った。喜ばせてしまったじゃないか。

「じゃあ、どっちがいいかは聞かないから、どんなだったか教えてよ」

「ミズキさん! なにこれ、これがさっきのじわじわイタブルなの?」

「まあ、そうかな?」

 楽しげに首をかしげられて癇がたつ。

「頬を叩かれるほうがまだましなような気がするんだけど」

「それで済ませられるなら、結婚してだなんて言わないよ」

 声が低くて、身を縮こまらせた。

 しまった。失敗したみたい。こうなると、なにをどう返せばいいかわからない。甘えていいひとじゃないと思っているはずなのに、私はまだ、このひとに何かを強いて我慢させようとしている。

「君、ほんとうに浅倉とふたりだけで幸せになる気でいたの?」

 ミズキさんのその問いに、どうしようもなく胸が締めつけられた。私は、なにも考えていなかったのだと思い知らされた。考えていたつもりでも、何も、本当はなにも考えようとしなかったのかもしれない。この声を聞くと、そのことが、わかる。わかってしまった。

「僕を独りでほっぽりだして、君たちだけ幸福で、それで僕が妬まないとでも? 僕がそんなにおめでたいと思ってたんだ」

「ミズキさん?」

「君は、思ってたんだね」

 彼はそこで短くかすれた笑い声をたてた。あからさまな嘲笑に、私は何も言えずに次の言葉を待つしかなかった。

「……ほんとに姫香ちゃんには呆れるよ。もう呆れるっていうより軽蔑する。いや、ここまでいくと尊敬なのかもしれないけど、僕がひとりで堪えて、君の幸福を祝福すると思ってただなんて、ほんとに驚く」

 彼は一見さばさばとした顔で口にした。こちらの緊張に頓着しない物言いは、けれど、私の愚かさを確実に断罪し追い詰めた。ミズキさんの優しさを期待した己がいかに自分にだけ甘く、ひとの痛みへの想像力がなく、それゆえに醜いものであるか、そう考えると気が遠くなりかける。

「その点、浅倉は僕をよくわかってるよ。ねえ姫香ちゃん、僕が奴を突き落とす前、浅倉がなにを持ちかけたか教えてあげるよ。自分とセックスしていいから君には指一本触れるなっていうんだよ。まったく狡賢いっていうか何ていうか……」

 私はその瞬間に自省というものを手放して唖然とした。

 それは、ズルガシコイという範疇におさまることなのだろうか。というか、もしや、いまの言葉が今回の「事故」の発端なのでは?

「それで、突き落としたの?」

「ううん」

 彼は勢いよく子供のように首をふった。その、らしくない態度にまた目を丸くしていると、

「それは教えない」

 と、妙にきっぱり断言された。

 よっぽど酷いことを言われたのだろうか。

 いったいあのオトコ、何をしたのか言ったのかわからないけど、大したものだとほとほと感心した。

 そういう私の気持ちが伝わったのだろう。

「驚いては、いないね?」

 意外そうに目を眇められた。

「まあね」

「でも、怒ってる」

「うん。だってそれ、私にばれないはずないじゃない。なんだ、やっぱりミズキさんのこと好きなんじゃない。浮気者め」

「え」

「だってそうでしょう?」

「姫香ちゃん、そこは違うと思うよ?」

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