3月25日 150
私は塾教師っぽく見えるようにと配慮して、黒の前立てのノースリーブワンピースにグレーのジャケットを着ていた。ジャケットはすぐさま脱がされて掃除用具入れの壁に投げあげられた。タイルに触れた二の腕に鳥肌がたった。おろした腕の置き所もなくて、爪の先で溝をさぐっていると左手をとられた。手首の外側に突き出た突起を口に含まれて、その骨の名前をなんというのか知らないと考えながら、腕の内側を這い登るもののするに任せて息を継いだ。
腋に顔を埋められたときはくすぐったさに悲鳴をあげて身をよじった。声をあげて笑うと、身体のこわばりが解けていた。くすぐったいだけ、と問われた。私は黙ったまま、髪を緩くねじってあげていたパールのバレッタを右手で外し、ポケットに落として壁に寄りかかった。
ワンピースのボタンが三つ外れただけで、何このやらしさは、と悔しがるような声を聞いた。レースのついた黒いスリップにお揃いのブラというだけなのに興奮度合いはあがっていた。たしかにパリの立ちんぼサンは黒のスリップドレスを着てたような気もした。ほんとはお葬式用なのだと思うとおかしかった。
胸前のレース部分を指がいくども上下して、いつもこんなの着てるの、と聞く。こんな、というのの正確な意味がわからなかった。合ってないと気持ち悪いもの、とこたえた。ジーンズとTシャツなら綿プリントのかわいいのにする。彼はしばらく鎖骨の上で重なった肩紐をいじっていたけれど、スリップのうえから器用にブラジャーのホックを外した。慣れてるな、と思った。でも黙っていた。いや、声が漏れないように堪えて唇を噛んだ。
こんなところでこんなことをされて気持ちよくなっていていいのだろうかとも、思わなかった。指先や掌は遠慮がちでも舌と唇は違った。与えられるものを貪欲に味わおうと瞳を閉じていると、おれを見て、と命じられた。雨が降るという予報だったからストッキングは穿いていなかったし、したを守るのはショーツだけだ。まくりあげられたスカートのなかに手を入れて探ろうとするのをきつく足を閉じて拒むと、すなおに肩へともどった。
晃だとすぐ、お願いされた。そうじゃなければ私から欲しがるように焦らそうとした。たしかにもう濡れていたし触ってほしいと思っているのだけれど、いつもその小さなやりとりを気に病む自分がいた。ただ気持ちよくなりたいのにその間はなぜか快感をおえないことに苛立った。
その点、彼は無駄なことはしなかった。胸への愛撫を再開し、しっかりした鼻筋を押し付けて獰猛に耳のしたを舐めあげてきた。心臓の音は早かったけれど、焦っている様子はなかった。初めてキスしたときも思ったけれど、特別なことをしているはずなのに、なれきったルーティンに感じるくらい驚かされることがなかった。次に何をされるのか、それにどう反応すればいいのか考える必要がなくて、ただ目を閉じていればいい。
膝から力が抜けてあとは、さらに相手の思うままだった。一度のぼりつめてから、いつもこんなに乱れるのかよと、どう聞いても怒っているような声で問われた。目も開けられない状態で首をふる。我ながら媚態めいていると感じたけれどしょうがない。頬をつかまれてもう一度きかれた。ほぼ無意識にまた首をふっていた。
どうなんだよ。
掠れ声にようやく目を開けると、思い詰めたような顔をした男を見つけた。私をさんざん身悶えさせたくせに何が恐ろしいのかと癇に障った。こんなにしたくせに、と腹が立って涙が出た。
なにも言わずに泣き出した私に、相手はきゅうに色をなくして身体をひいた。
離れたとたん、身体全部が汗ばんでいて、やけに甘ったるい蜂蜜みたいな匂いが立ちのぼっていることに驚いた。出掛けに膝裏へしのばせた〈バラヴェルサイユ〉の華やかなオリエンタルノートはもうとっくに飛んでいるはずで、あれよりずっと重い、なまめいたたゆたいがあった。それだけじゃなくて、さっきまで漏らしていた声といま喉を震わす嗚咽とが耳にする限りではあまり違わないことにも唖然とした。息苦しさがこんなに気持ちのいいものだと知らなかった。
口を蹂躙されてよがるとはマゾかと思いながら、くちづけを乞うて頤をあげた。言わないでもちゃんと欲しいものは与えられることに安堵して、ようやく彼が満足していないことを思い出す。今までそんなことしたこともなかったのに自分からジーンズの前に手をやろうとして、手首をつかまれた。
フェラチオしたことある?
強請られたことはある。でも経験はなかった。触ってほしいと言われても手をのばしてすぐ引っ込めていた。晃はおねだりすることはたくさんあったけれど強制しなかった。断っても拗ねたりしないし、いつでもそういうところは余裕があって優しかった。
してと言われるかと覚悟したし、今ならできそうな気もした。黙って首をふると、されたら帰せなくなるな、とつぶやいた。それから目を見て懇願された。もう一回、今度は我慢しないでもっと声聞かせて。だいじょうぶ、誰も来ないよ。
この階にひとはいないだろうと自分でも確信していた。でも、彼の要望通りに声を出すやり方がわからなかった。いつも、恥ずかしがらないで声出してとか、いいって言って、とねだられて困りきっていた。
声、出ない。
うつむいて口にすると彼が両腕を私の腋の下にくぐらせ抱えあげるようにして抱きしめてきて、耳のいちばん外側をなぞるように舌が触れた。喉奥で息をつまらせ肩を震わせると、ほら、出てるよ、と面白がるようにこたえた。私は細い息を吐きだして、相手の首に手をまわした。腕の内側に汗に濡れた皮膚が張りついて、短くかたい髪の感触をたしかめるように頭を抱いた。
ひとのカラダがこんなに違うものだとは知らなくて、きゅうに探究心にめざめたようにあちこち熱心に撫でまわしていると、おれはいいから、と耳に響く低音が囁いた。私は不審そうに眉をひそめたのだろう。
ほんとに、今触られたら止めらんない。
でも。
彼はさばさばとこたえた。あとで抜く、何回でもいけそう、それより時間ないから集中して。
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