3月25日 142

 浅倉くんは何か口を開きかけたけれど、私がまだ話し終えていないことを察して黙った。

「恥ずかしい話しだけど、なにか不変的な、不動の、半身のような存在がいつかきっと現れるって思っていたのかもしれない。自分だけの特別な標が欲しかった気持ちもある。それと同時に、そう願いながらラベリングされてないことを確認して、好きになってくれるひとに忠誠を尽くして楽になりたかったところもある。いつもその両方に揺れていて、どっちもちゃんとまともに貫き通せなかったってことだよね」

 ミズキさんに話してから関係するっていうわけにはいかないんだろうな、と私はずっと考えていた。そうして欲しいとはっきり口にすればよかったのかもしれないけど、やっぱり言えなかった。

 そして浅倉くんも、私がそう言いたかったのを拒んだってことに、どこかで気づいてしまったんだろう。ううん、もしかしたらそれだけは言わせたくなかったのかもしれない。だからきっと、根性なくてスミマセン、なのだ。安心したかったから欲しいと言った。たぶん、そう。

 私も、浅倉くんに引きずられた。その欲望に取り込まれたのじゃなくて、私自身が自分の裏切りに怯えていたせいだ。こんなことをしてしまって、この先、ちゃんとした人生を生きていけるだろうかと大げさに思った。何かすごい罰を受けそうな気がして怖かった。でも、浅倉くんがだいじょうぶと言うならきっと平気、今もそう、思い込もうとしている。

「オレに、期待してないの?」

 呆けたような顔で、彼がきいた。

「期待はしてるよ」

 みっともないくらい、している。自分でミズキさんを裏切っておいて、ひとにだけそれを期待するなんてのは、ほんとに愚かしい。すごく、はしたない。それなのに、後悔するふりさえしていない。

「オレ」

「失うのがこわくて自分の気持ちにセーブをかけてもしょうがないって悟っただけ。私が、好きでいればいいのよ」

 立ち上がりかけた相手を視線で止めた。

「そこにいて」

「オレは」

「黙って」

 厳しく言い放つと、一瞬うつむいてのち唇を噛んで、熱の篭もった、こわいような視線をむけてきた。背筋を這いのぼるものに意識をとられそうになりながら、告げた。

「浅倉くんとだけは、したくなかったって思ってたの」

 なんで、と彼は尋ねなかった。かわりに、そんなに噛んだら痛いだろうと思っていた口許緩めて、下唇をゆっくりと舐める。

「逃げてたのは、自分の弱いところや穢いところを見せたくなかったせいもある」

 私は、浅倉くんを悪者にしたかったのかもしれない。そんなのは間違ってると思いながら、もう、何もかも任せてしまった。

 目の前の男はなにか言いかけて、黙れと命じられていたことを思い出したのか、私がそれを咎める前にすぐさま口をつぐんだ。

 そう、言わせられてばかりいるわけにはいかない。

 誘導されなくとも、きちんと自分で言わないと伝わらない。言葉を重ねあうことでしか、理解できないこともある。なにも言わずに通じるなんて、私は信じてはいなかった。なのに、言わずにすませてきたのだから。いや、言っても通じないと諦めきってきた。

「もちろん、そんなにかっこつけられてるわけじゃないって私もさすがに理解してるよ。強いって持ち上げられながら、浅倉くんからすると、すごくよわっちく見えてるんだってわかったから。たぶん、そのほうが当たってるし」

 彼はそこで言い訳を考える顔をして、それができないと思ったのか頭を揺らしてうつむいた。それからふいに顔をあげてきいた。

「何が、そんなに怖いの?」

「え」

「オレに期待できないのは、オレが女にだらしなくて信じられないってこと? オレが心変わりしたりしてあんたのこと傷つけるって思ってるのかよ」

 凄まれて、なんで私がここで怖い声を聞かされなきゃいけないんだと感じた。感じながら、それでもちゃんと頭をふってこたえた。

「そうじゃ、ないよ」

 なのに、浅倉くんは私を睨みつけたまま低い声で問うてきた。

「じゃなきゃオレがあんたを受け止められるだけの器がないって言いたいんじゃないの?」

「ちが」

「ああもう、つまりこういうこと聞いちゃうっていう時点でそうだって言われるときっとそうなんだけど、でも、言わなきゃわかんないじゃん。あんたなんて言ったって信じないし、何したらわかってくれるの? ていうかもう、ああ、もういいや。もういいよ……オレが一生かかって証明すりゃいいよね。もうそれでいいや……」

 ふう、と浅倉くんが肩を落としている。

 もういいって、それでいいって、その、ええと、私の返事とかは訊かないの?

 うなだれたままで身動きしないので、私までため息をつきたくなってしまったじゃないか。そっとうかがうように目をやると、その身体からは先ほどまでの荒っぽい熱の固まりは溶けだしていて、俯けた面には奇妙なほどの落ち着きと、見たこともない静かさがあった。

 その姿を見ていたら、私自身の緊張が知らぬ間に解けていた。

 一生、ね。

 笑わずに聞けたのは、浅倉くんは今、私のこたえを本当にあっけなく無視したからだ。目の前にいる私の気持ちさえ見なかったことにしたその強さに、負けた気がした。

 なんだかんだで、勝手にひとりで結論付けられてしまった気がしたけど、それはそれでいかにも浅倉くんらしくて悪くなかった。

「そういえば、浅倉くんて結婚してって言わないね」

 彼はがくりと頭をひいた。

「あんたがしたくないって言うからじゃん」

「え?」

「へ、じゃなくて、こないだもそう言ってたし、学生時代もそう言ってたんだよ」

「こないだはたしかに言ったけど……」

 語尾を濁らすと、浅倉くんはいつになく熱心な口調でくりかえす。

「言ったんだよ。婚外子とか夫婦別姓とか同性愛が認められてないとか日本の法律にいろいろ文句つけて、そもそもこの先の人類に結婚制度が本当に必要なのかって龍村さんに食ってかかって困らせたくせに」

「ウソ」

「ほんとだよ」

 呆れているを通り越した顔で断言された。

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