3月24日 夜間 114

 そこで間をあけられた。

 昔から、男の子とつきあうと、揉めるわけではないけれど、何らかの形でこの問題に触れてこられる。オリエンテーション能力の低い男性とデートが続かないのは、どうやら私が先を歩きたがるかららしい。でも、自分がどこにいるか確認しないと落ち着かないのだ。ただ今回は。

「ミズキさん、東西南北がいつでもアタマに入ってるよね?」

「そうだね。僕もすごく気になるんだよ」

 苦笑でこたえられた。このひとは工事現場のしたを歩かないし電車の乗り口も選ぶしひとの動きもよく見てる。その調子で色々と見分けられているのだろうと私も覚悟を決めていたし、それはいい。でも。

「君も子供のころから自分の居場所がきちんとわかるように、誰かに頼らないで、ずっとひとりで歩いてきたんだよね」

「長女だからね」

 そっけなくならないようにこたえたつもりだけど、あまりうまくいかなかったかも。彼は気にする様子もなくうなずいてから興がのったように笑った。

「ほんと、お独りサマ仕様にできあがってるなあって。僕の本音はさびしいんだけど、それは別にすると逞しくていいよね」

「たくましくはないと思うよ?」

「そう? 僕はそういう姫香ちゃんをスポイルしたくてしょうがないんだけどね」

 前にも聞いたその単語にどう返そうか迷ったすきに言い継がれた。

「スポイルされるのは嫌でしょ?」

「ふつう、誰でも嫌じゃない? それに、そういうのってよくないことじゃないの?」

「よくないかどうかはおいておくとして、わりあいそういう関係に甘んじてることって多いと思うよ」

 議論になるのを避ける気はない。でも、ミズキさんの真意がわからなくて混乱した。どうこたえればいいのか、どう返答することで彼が楽になるのかわからない。考えこもうとする表情を盗み見たのか、彼が吐息をついた。

「ねえ姫香ちゃん、僕をあんまり甘やかさないで」

「べつにそんな……」

「僕みたいな男をつけあがらせると後で厄介だよ? わがままをエスカレートさせて君に甘えまくる。ほんとは独りでゆっくりしたかったんじゃないの?」

「私に好かれてる自信ないの? 一緒にいたくないと思われてるって感じる?」

 ストレートな問いかけに、彼は苦笑した。さすがにイエスともノーともこたえなかった。私はそれをわかったうえで重ねていった。

「もしそうなら、それは私が恋人失格。相手を不安にさせるようじゃダメでしょ。私になにして欲しいの? いちお、ご希望をうかがいますけど?」

 彼は喉を震わして笑っていた。どうやらご機嫌をそこねないですんだようだ。

「姫香ちゃん、いつもその調子なの?」

「まさか。今回が初めてだよ。出血大サービス」

 えへんと頤をそらすと、引き寄せられた。そのまま耳のうえに低い声で囁かれた。

「……じゃあ、僕にだけは嘘つかないで」

「そんなことでいいの?」

 言いながら、実はもしかするとすごく難しいことかと思ったりもした。でも、今さらできませんとも口にできない。その逡巡を見透かしたのか、彼が息だけで笑った。私が肩を震わせるとすこし力をこめるようにして強く抱きしめてきて続けた。

「馬鹿なこと言ったよね。ごめん」

「ミズキさん?」

「姫香ちゃん、こんな嫌な男と一緒になって後悔しない?」

「それは、一緒になってみないと謎だよね」

「さっそく正直だね」

 そう言って眉を落として私を見おろしてきたのでほっとした。でも。

「ミズキさん、自分で自分のこと嫌な男だと思ってるのはどうして」

「姫香ちゃんはそう思わない?」

 ごまかしだと思ったけどそうは返さなかった。彼の声の調子に、いつもの甘やかな響きがもどっていた。

「甘えん坊さんだとは思うけど、嫌じゃないよ。嫌だったらさっさと逃げてるよ」

「ほんとに?」

 もう不安な様子ではなくて、完全な睦言モードだった。

「ほんとに。ミズキさんにされて嫌なことがなくて不思議。こんなこというと、私、今までろくな男と付き合ったことないみたいで情けないね」

 自嘲してうつむいたとたん、

「それは、ただたんに君が、相手を大事にしてこなかっただけだよ」

 せっかくの甘い雰囲気に亀裂をいれるのはこのひとの良心なんだろうな。彼も、自分自身に呆れているようでおかしくて、私は笑いながら言い返す。

「ミズキさん、その分まで僕が大事にするよ、とか言わないんだ」

「用意してる言葉はいくつもあるよ。でも君、あんまり喜ばないから」

 さすがだ。よくわかってる。彼は短く息をついて続けた。

「好奇心旺盛で着心地にうるさくて好き嫌いなくものが食べられるひとが、セックスに晩生なのはおかしいよ。関係を続けたくないから自分と相手を必死でごまかしてるとしか思えない」

「それはそうだねえ」

 なぜだか吹き出しそうになっていた。暴かれていくことの快さ、または己を露出することの愉悦というのもあるのだと裸の胸に頬を寄せると耳許で囁かれた。

「姫香ちゃん、絵をかいて興奮してるから忘れてるだけで、あの体勢でいて身体が緊張してるよね。背中緩めてあげるからうつ伏せになって」

「畳の上でいいの?」

「布団しいてあるとそのまましたくなっちゃう」

 狙っているのか、ものすごく可愛い顔をして言うからなあ。

 既婚者の友人達にどうして結婚したのと問いつめたら、はじめは親にせっつかれてだの高齢出産前に子供がほしいだの彼の転勤のタイミングでだのと分別顔で言っていたくせに、最後には「かわいいから」と白状したのはコレだな、きっと。

「それは私が決めていいことだよね?」

「覚えがいいなあ」

 苦笑する頬に背伸びしてくちづけて、まずは湯船につかることにした。

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