Lost Line~小さな勇気は泥だらけ

常陸 岐路

第1話 ヒトカケラ前編

 気持ち次第で全てが変わって見える。

 一歩踏み出すことで、次の一歩が踏み出せる。

 大したことでもない、誰にだって出来る小さな勇気だ。

 けれど、世界が腐っていくと、意外とそういうものは躊躇いがちになる。

 人と違う、人から遠ざけられる、異端を切り離す世界に心が切り刻まれるようだ。

 それでも、誰でもヒトカケラぐらい。

 一度きりでも使うべき勇気は、持っているはず。


 現代、東京。

 馬上幸四郎、26歳は今日も変わらぬ日常に目覚めた。

 6時半起床、寝ぼけ眼のまま四畳半の敷布団から這い出ると、布団はそのままに洗面所へと向かう。

 当たり障りない黒髪の短髪に、何時も以上に生気の失せた瞳、締まりのないだるそうな顔立ちが鏡に映し出される。

 そのまま顔を洗い、歯を磨き、歯ブラシの感触に吐き気を覚えながらもどうにか終わらせれば、身支度をして部屋を飛び出す。

 満員電車は今日も危険地域だ、両手を確りと吊革に掛け、リュックサックは前で抱えるようにし、変な疑いを掛けられぬように万全を期した。

 何度か人の入れ替えに巻き込まれながら目的の駅に着けば、売店で買ったパンをコーヒーで流し込みながら会社に向かう。

(「やっと金曜だ、今日終わりゃ昨日買った新作ゲーム……やっと出来るな」)

 唯一の趣味はゲーム、それもFPSのみと随分傾倒した趣味なのは自覚がある。

 大学に居た頃は、ひっそりとサバイバルゲームなどにも手を伸ばしたが、今は日常がサバイバルすぎて生存対戦を遊ぶ余裕などない。

 しがない一端のプログラマーとして8時間以上拘束され、終電には開放されるだけマシだと心が麻痺するぐらいなのだ。

 キーボードを打ち、コーヒーを相棒に昼食も片手間ながらコードを組み当てていく毎日が、今日も過ぎ去っていった。


「……ちきしょー、酒なんざ飲めねぇっていってんだろうに全く」

 結局、仕事が終わったのは22時頃だったわけだが……酒好きの上司の要らぬ好意に引っ張られ、はしご酒をすれば、戻ったのは深夜と早朝の境目。

 タクシー代を気前よく出してくれたのは感服したが、おかげさまで精根尽き果てるとは正にこのことだろう。

 悪態をつきながらふらつき、玄関のドアを崩れるように押し開くと、狭い我が家が静寂で出迎える。

 ろくに使われていない台所、適当に纏められたゴミ袋と荷物でごちゃごちゃになった一部屋。

 冷蔵庫から緑茶のボトルを取り出すと、ラッパ飲みしながら部屋へ転がり込んだ。

「うぷっ……駄目だ、今やったら絶対ぇ吐く」

 水分で体内のアルコールを薄めると聞いたことがあるが、思っていた以上に濃厚に体に回っていたらしい。

 今直ぐベッドに寝転びたいが、折角の休みを寝ゲロの後始末に費やしたくはない。

 パソコン前のオフィスチェアにぐったりと座れば、パソコンの電源を入れていく。

 動画でもなんでもいい、気を紛らわせながら吐き気が落ち着くのを待つことにした。

 メーラーには、くだらないダイレクトメールが幾つも到着しており、ため息を零しながらそれらをゴミ箱にぶち込んでいく。

「ったく、こんなのの後始末する身にもなれよ……誰が見るってんだよ、って、止まりやがった」

 悪態をつきながら、顔をしかめればボトルを傾ける。

 右クリックからの削除を繰り返していると、起動後の何かを読み込んでしまったらしく、マウスに読み込みマークが浮かぶ。

 その合間のクリックを誤って読み込んだのか、ダイレクトメールの一つが開かれてしまう。

 ウィルスが入ってたら、今度はこれの後始末に休みが潰れると溜息を零すが……その中身は、ダイレクトメールにしては奇妙なものだった。

「助けてください? そりゃこっちのセリフ……なんだこりゃ」

 件名は助けてくださいの一言のみ。

 開かれたメールの文面は、勧誘や嘘くさい何かを売りつける文句とは違う。

『このメールは、軍事に精通した方々にお送りされています。どうか、お知恵を拝借したく思います』

 そして、地形情報の地図にメールの送り主側の戦力、敵側の戦力、現在の戦況と言ったものがズラズラと並んでいるのである。

 所謂、騙すための夢物語がなにもないのだ。

 そして、登場する兵器は現代の兵器に近いものも幾つかあるが、一つだけ知らないものもある。

「Walkeroid……ウォーカーロイドで、いいのか?」

 ウォーカーロイドと名を振られたそれは、ひと目見て異質だと言えた。

 足の部分が大きく、脚部が逆関節のように見える形状。

 コックピット部分となる胴体が大きく、そこと一体化された頭部は飾り気が少なく、ゴーグル状のレンズがはめ込まれたヘルメットのようだ。

 腕も太めだが、丸い筒を組み合わせた形状に装甲板を貼り付けたような無骨なもので、レールガンやチェーンソー、機体によっては肩の近くにロケットポッドやキャノン砲が備わっている。

 今のご世代に静岡のプラモ工場に持っていこうものなら、門前払いを食らいそうなダサさだ。

「ほぉ~、こいつが10機、敵は……30機かよ、そりゃキツイな。他の戦力はそこそこあるし、弾薬、爆薬類は問題ないか……」

 データを眺めながらブツブツと独り言をぼやいていると、ハッと顔を上げる。

 これはただのいたずらメールだろう、それに何を真剣になっているのだと思うものの……酔わされ、ゲームもろくに出来ないフラストレーションは残っていた。

 酔わされたついでだ、この悪ふざけに騙された、哀れな男もしてやろう。

 そう考えると、ぐっとお茶を飲み干して、空になったペットボトルを今にも溢れそうなゴミ箱に投げ込み、体を前のめりにしながらマウスを握る。

「北に山、南側から基地背後まで伸びる湖。敵の進行ルートは東からの直進と北側からの山越え。あとは何か使って水上か」

 問題は西にある拠点から、東側へ抜ける部分は草原となっていることだろう。

 遮蔽物がないとなると、総戦力でのぶつかり合いとなり、頭数が少ないほうが不利だ。

 つまり、此方が勝つには相手の戦力どうにかして下げたり、不意打ちから流れをつかむ必要がある。

 ギシッと音を立てて背もたれに寄りかかると、左右に椅子を揺らしながら腕を組む。

「……これだけじゃ分からねぇな、まぁ戯れって奴だ。クソ真面目に返事してやっか」

 キーボードの上で指を走らせる、Re:助けてください とタイトルが変わったメールには引用と共にメッセージを一つだけ添えた。

『もっと広い範囲の地図と、敵の拠点情報が欲しい』と。


 ――翌朝。

 下着姿にワイシャツと、この格好が女なら男が飛び跳ねて喜びそうな姿で、『彼』は起き上がる。

 寝ぼけ眼でくぁっと欠伸をすると、同時にまだ残っていた酒が胃の中身を押し出さんと、悪寒と共に駆け登る。

 あっという間に意識を覚醒し、見開いていく瞳。

 掌を唇に押し当て、慌ててトイレへと駆け込んだ。

 どうやら、布団にゲロをぶちまけずに済んだらしい。

 時刻は11時、昼間になる手前といったところである。

 こんな時間では、FPSの対戦相手など大分少ないだろう。

 昨日と同じように椅子に体を投げ出すようにして腰を下ろすと、片手に握ったブラックコーヒーのボトルに口を押し付けた。

「……ぉ、メール帰ってきたな。って……マジレスかよ」

 コーヒーで喉を潤しながらメールを開けば、そこには更に広がったマップと、それに付随した敵拠点の情報が羅列されている。

 地図も航空写真のように見えるが、恐らく海外だろう。

 思いの外、敵拠点は近くにあり、此方側に向けて山を挟んだ先にある。

 そして、道中には川もあり、渡河が面倒な深度というのもあり、敵は空中挙動が出来る航空戦力とウォーカーロイドに絞ると見える。

 こつこつと、握ったボトルに人差し指の爪を当てながら思考を巡らせる。

 戯れに戯れで返してきたのだ、こちらも真面目に答えて礼儀に応ずるとしよう。

『ありがとう、じゃあこう動くのが良いと思う。まず――』

 こちらのウォカーロイドを全て投入し、攻撃ヘリも半数使用する。

 これならば渡河は問題なく行えるだろう。

 そう、迎撃ではなく反撃に打って出るのだ。

 機動力を活かし、ヘリを山越えさせながら接近させ、5機を拠点左右から挟み討つように進撃させる。

 ヘリは山嶺を沿うようにして飛行させ、なるべくレーダーに引っかからないようにしつつ、迎撃は山を超えるまではしづらいように立ち回らせるといい。

 敵は手を出せないヘリに、ヤキモキしながら迎撃態勢を整えるだろう。

 捕捉されたのを確認したところで、一気に左右からウォーカーロイドを接近させるのだ。

 そして相手に一泡食わせている合間に一斉射を加えていく。

 恐らく、これで与えられる損耗は多く見積もっても10%だろう。

 しかし、それに似合わぬほどの反撃を受けるのも事実だ。

 だからこそ、一斉射だけに留めつつ、その後は3分だけ防戦に徹する。

 飛び交う対空ミサイル、鳴り響くアラートは操縦桿に冷たい汗を滲ませる。

 対空砲の掃射は、傍を弾丸がかすめる度に、息を呑みながら機体を限界まで逸らせて、射線から逃げるだろう。

 ウォーカーロイドへの砲撃も、地表にある大岩の陰へ身を寄せ、顔を出そうものなら吹き飛ばされそうな密度で叩き込まれる。

 その全てに耐える。

 耐えた後はすぐに撤退だ、これで敵にはこう映るだろう。

『哀れな敵軍は、決死の奇襲作戦を決行したが、損害は微弱に終わる。どうにか倒そうと奮闘するも、戦力差に慌てて尻尾を巻いて逃げた』と。

 全力で撤退する此方を追うには、素早く渡河できる戦力が必要だ。

 そうすると必然的に使うのは、戦闘ヘリ、航空機、そしてウォーカーロイドの三種となる。

 渡河を終え、拠点が目の前に見えてきた此方としては、追いかけてきた敵をどうにかしなければならない。

 故に振り返り、迎撃行動を取りながら草原を拠点に向けて下がっていく。

 拠点から砲撃とミサイルの出迎えを与えながらも、戦車を数両、拠点前に配置を終わらせておく。

 これにより、火力だけは一瞬だがウォーカーロイドと航空戦力の軍団に、脅威と思わせるほどの濃さで一直線に引かれるはず。

 正面からの火力を厚く思わせながら、戦闘ヘリにはウォーカーロイドを地上へ釘付けにさせるだけの弾幕を張らせる。

 ここで一つ目の仕込み、草原に埋めた爆薬で敵の足を吹き飛ばす。

 リモコンで遠隔爆破してもよし、砲で撃ち抜いて爆ぜさせるもよしだ。

 火力が過密になり、足が潰されれば、強烈な交差火線範囲(フェイタルゾーン)から、敵は逃げたくてたまらない。

 比較的近い遮蔽物は北側の山になり、木々が弾頭を防いでくれる。

 そこへ近づくウォーカーロイドを、ギリギリまで引きつける必要があった。

 確実に当てられる射程まで近付いた瞬間、伏兵のエンジンに火を灯す。

 二つ目の仕込み、山の麓に隠した戦車達による一斉掃射は、ウォーカーロイドに大きなダメージを与えるだろう。

 彼らが北へ移動したことで、残ったこちらのウォカーロイドを草原中央へと寄せる。

 ヘリは、その合間に北東へと配置、待機させた機体も投入して退路を断つ。

 後は互いの火線で同士討ちにならぬ様に気をつけながら、包囲殲滅をしかければ、チェックメイトだろう。

 これを成功させるのに必要なのは、敵を油断させることだ。

 渡河し、弾幕を張った時にすぐに逃げるなら深追いは不要。

 だが、勢いに乗って蛮勇を示すならば、それを愚かだとこの攻撃で断ずれば良いのだ。

 ではその油断の要因は何かといえば、偽の奇襲で耐える時間だろう。

 これが長いほど必死に見え、逃げる時に彼らは己を狩人だと勘違いする。

 それが、勝利への鍵となるだろう。

 我ながら、愚直にオタクな戦略を書き出せたものだと思いつつ、地図に動線を書き込んでからメールを送り返す。

 これで終わりだろう、メーラーを閉じると凝り固まった肩をゴキゴキと鳴らし、首を左右に傾ける。

 とりあえずキャンペーンモードだけでも楽しもうと、満面の笑みでゲーム機にディスクを押し込むのだった。


「ほぉ~、作戦成功ってか」

 翌日、再び同じ差出人からメールが戻ってきた。

『こんにちは、Ailaです。先日は作戦を考えていただき、ありがとうございました。貴方の作戦で敵の多くを倒し、拠点を守ることが出来ました。貴方だけが、このメッセージに返事を返してくれた唯一の恩人です。重ねてのお願いで申し訳ないのですが、またお知恵を借していただけますか? 私はどんな手を使ってでも、この国を元の平和な世界に戻さないといけないのです。よろしくお願いいたします。』

 御礼のメッセージを読み終えると、そのまま文面を下へとスクロールさせていく。

 そこには戦闘結果が書き記されており、敵の撃破数、その後の戦況の流れがつぶさに記されている。

 そこから分かることは、想像通りの流れで戦いが進み、最後はウォーカーロイドの大半を撃破できたということだ。

 更に、その後の反撃作戦で、敵拠点を壊滅させ、戦線を一歩押し上げることが出来たと。

 日曜の下らないワイドショーをBGMにしつつメールを確かめていたが、更にスクロールさせれば、次の内容があらわとなっていく。

 次の作戦ポイント、地図、戦力、状況、敵情報のすべて。

 まるで一種のシュミレーションゲームのようだ。

「昔あったなぁ、こういう遊びというか、ゲームみたいの」

 Play by Mail と呼ばれる、メールを使って相互にゲームのターンを進めていく遊びだ。

 それこそ、インターネットがなかった頃は文通として行われ、その始まりは欧米でのチェス対戦から始まるらしい。

 随分と古めかしい遊び方をするものだと思いつつ、自身すらも演じる(ロール)を楽しむとは、酔狂と思えた。

 戯れであり、遊び、そう思っていたが、このメールに改めて答えたくなる。

 自然と手は動き、必要な情報を求める返信を送り返した。


 二日間という束の間の休みが終わると、再び現実へと叩き戻されていく。

 けだるい朝、痴漢と疑われぬ様に気遣う通勤、そして、今は無茶ぶりの多いプログラミング業務。 

「馬上、今日は随分とイキイキとした顔してるな?」

「えっ、そうですかね?」

 無数のビジネスデスクが並ぶ部屋の中、初老の上司が何やら上機嫌に彼の肩を叩く。

 振り返り、キョトンとしていたが、シワの増えた顔がそれを深めながら笑みを作る。

「あぁ、この間なんか額に皺寄せて面倒くさそうにやってたもんだ。まぁ、それでもきっちりやりきってくれるから文句はないが……まだそういう顔をしてくれたほうがいいな」

 どんな顔やらと思いながら視線をそらしつつ、何気なく片手を顔に添え、指先で両頬を挟むように撫でた。

 よほど変な顔をしていたのか、上司は可笑しそうに笑い声を溢しつつ、更にばんばんと強めに肩を叩く。

「はっはっはっ、顔つきがマシになったって言いたかっただけだ。この調子で頼むよ」

 はぁ……と、気の抜けた返事をするのが精一杯で、呆気にとられたまま上機嫌な上司を見送る。

 何も変わっていない、今日の朝も歯ブラシで吐きそうになったし、電車でサーフェイサーで塗り固めたような顔をした女に睨まれた時には、鏡をよく見ろと文句をつけたかった。

 何か違うこと、そう思いながらモニターへと向き直る彼の中で、一つで浮かぶのはメールのことだろう。

 とはいえ、大した事でもない遊びだとかぶりを緩く降ると、変数の受け取りが噛み合わぬコードと格闘しつつ、午前が過ぎ去る。


 昼食は常連となったラーメン屋に駆け込み、行列に巻き込まれる前に済ませていく。

 ここの醤油ラーメンは格別だ、500円と格安ながらに、その日の野菜をたっぷりと煮込んだ出し汁と鶏がらスープが絶妙な旨味を織りなす。

 醤油ダレも店主特製らしいが、若者でも満足行くような塩気と旨味の濃い、がっつりとした味わいだ。

 細打ち面と一緒に野菜をすすり、150円サービスの餃子を頬張れば、これほど最高の飯時はない。

 食べ足りない時は、ラーメンとチャーハンのセットを頼めば、夕食時まで空腹知らずだろう。

 ……但し、気をつけねば彼の隣で同じ飯を食らう中年男性のように、狸腹になりかねない。

 気をつけよう、そう思いながらちらりと見やってから、幸四郎は麺と具材を食べ尽し、スープを残すのだった。

『成功か、そりゃ良かったよ。ところでいい加減メールじゃなくてチャットか何かで話さないか? 最初は質の悪い冗談だと思ってたけど、これって君の考案したゲームみたいなもんだろ? チャットのほうが色々話が早いと思うんだ』

 昼飯を終え、近くの公園へとやって来れば、芝生の上へ寝転がる。

 冬時以外は昼寝に最適のスポットであり、一眠りして胃の消化を助けねばならない。

 炭水化物は危険だ、腹も膨れるが、眠気も強烈になる。

 だが、その前にすることがあり、スマートフォンでAilaにメールを送る。

 こうしたメールのやり取りも悪くないが、情報を求めて翌日頃となると、少しテンポの悪さにじれったさを覚える。

 レスポンス速度もだが、もう一つ気になることがあった。

 それは、Aila自身について。

 彼女? いや、彼だろうか? 口調は丁寧ながら時折砕けている。

 男の要らぬプライドの威厳というのも、文面には見当たらないし、時折^^なんて顔文字すら入れてくる。

 しかし、こうして考えてみると、自分はゲームを囮にサクラ女に踊らされる哀れなピエロな気もするのだ。

 故に、コンタクトを求めたわけだが、いきなり会おうというのは、白黒関わらずひかれるかもしれない。

 ここは慎重にお話し合いからと申し出つつ、ぽすっとスマホを胸板に乗せる。

「寝とかねぇと……」

 これでこのメールも終わりだろうか、それとも我が世の春が訪れるか?

 後者はないとして、少しだけ前者にはならないでほしいと願う自分がいる。

 その理由を考え、思考を巡らせていけば意識が静かに落ちていく。

 変に考え事をしつつ眠ったせいかアラーム音に浮上した時刻がギリギリ。

 自身でも想像し得ない声を上げて起き上がり、会社へと走る。

 スーツを乱しながらエレベーターに飛び込み、肩で息をしつつ机の前に戻るのだった。


 どうにか時間内に戻ることが出来た後、相変わらずの激務に追われ、牛丼のテイクアウトを片手に薄暗い我が家へ戻る。

 一緒に買ったサラダは、独身生活の貴重なビタミン補給ライン。

 財布に少々痛くとも、これを欠かすと孤独死まっしぐらだ。

 そんな日常はさておき、家へと戻ればいつものようにパソコンの電源を入れる。

 帰りの電車の中でメールの返信を確かめ、わざわざテイクアウトなんて面倒をして戻ったのだ。

『そうですね、通信が安定すればですけど、テキストチャットであれば大丈夫だと思います。クライアントソフトを送るので、ご自宅のパソコンで開いてくださいね?』

 この奇妙なメールの送り主との接点に、まるで子供の頃、新しいおもちゃを手にしたような心地で、心臓が高鳴る。

 慌てず焦らず、ソフトをスキャンしてから起動していく。

 インストーラーはありきたりなデザインであり、わざわざ専用を作ったと思えば、よほど外部に漏らしたくないのだろうと思う。

 もしくは、そういうサクラサイトの入口かなにかか。

 起動したチャットソフトは、少し古臭いデザインの真四角なグレートーンのもの。

 どこか懐かしさを覚えるデザインの小窓には、IDとパスワードの入力欄とLoginボタンが表示されている。

 同梱していたIDとパスワードでサインインすると、チャットルーム内のメンバーには、あのAilaの文字があった。

 半開きの口を閉ざしながら、慌てふためくようにキーボードを叩くが、何度か打ち間違え、普段よりも随分と遅い挨拶が飛んでいく。

『こんばんわ、ゲームのメールをくれてるAilaさん?』

『はい、Ailaです。えっと、なんとお呼びしましょうか?』

 完結な返答とともに、続く言葉に今更ながら名前を名乗っていないことに気付いた。

 ずっと貴方で通ってしまっていたので、あまり不便しなかったせいだろう。

 幸四郎のHNも、今は『RoomMates1』としか書かれていない。

『コウでいいよ。自己紹介が遅れてごめん』

『いえいえ! 私もちゃんと自己紹介していませんでしたから、お互い様ですね?^^』

 嗚呼、なんだろうか、妙な充実感だと幸四郎はぐっと両拳を握りしめ、前のめりに倒れる。

 相手が女子かどうかは定かでもなければ、得体の知れない存在だ。

 それこそ、夢見て出逢えったなら、サスカッチが目の前に現れる可能性だってありえる。

 しかし、たとえそうだとしても。

(「今ぐらい騙されていてぇよ!」)

 齢26にして、年齢=交際無し歴ではないが、魔法使いまでのカウントダウンは近い。

 ここまでくればもうどうでもいい、騙されてやる。

 それで夢と消えるならそれでいいと、ガバッとキーボードへ向き直り、勢い良くキーを叩く。

『そうだね(笑 因みに今度からAilaくんでいいのかな、Ailaちゃんでいいのかな?』

 無い知恵を絞り、自然と相手の性別を確かめようとしていく。

 このまま違う話題に入ったら、早々聞けぬと打ち終わると、固唾を呑んで画面を凝視する。

『えっと、Ailaちゃんだと思いますけど、もう、ちゃん付けの年でもありませんから、さんでいいですよ?』

 ダンとデスクへ両拳を振り下ろすと立ち上がり、有名なボクサー映画のように両腕を天井へと突き上げる。

 あの筋骨隆々のボクサーに倣い、アーイーラーッ!と叫びたいほどだ。

 その顔は満面の笑みに満ちていた、これだから魔法使いが近いのだろう。

『そっか、じゃあAilaさんで! しかし、結構凝ったゲームだよね、Ailaさんが一人で作ったの?』

 ぐぐっと唇を噛み締めながら、まずは当たり障りないワードから踏み込んでいく。

 本当は彼女についてあれこれ聞きたいし、機会あらばご尊顔を拝みたいが……少々怖い。

 ここは今までの経験上、共通の趣味から距離を詰め、間を近づけるのが先決だ。

(「あせるな、焦るな俺……って、何でもうここまでドキマギしてんだっ!? 中学生かっ!」)

 孤独なワンルームの中で、音もなく脳内でノリツッコミが繰り広げられる。

 その問いに対する返答が少々遅く、時間が経過するに連れて淡い不安が沸き立つ。

 間違えたか、ここでいきなりゲームの話なんて何考えてるんだこの童○が、これだからゲーオタ男はダメなんだと言われるのかと、じわじわと不安が込み上がる。

 しかし。

『まぁ、そんなところです。でもお仕事だから、しなくて良いときはしたくないんです。それよりも、コウさんについてお話してくれませんか?』

 まさかの、向こうからストレートボールが放たれる。

 仕事より自分、このしがない馬上幸四郎について知りたいと、Ailaが強請ったのだ。

 これが詐欺なら幸四郎はいいカモだろう、もうニヤけ顔が止まらず背もたれに体重を預けてのけぞっている始末だ。

(「まだだ、まだ落ち着け! ここは自慢話をしたら即死コースだ! さらっと、さらっと趣味を話すんだ、俺!」)

 苦い思い出は多い。

 学生時代からのFPS好きで、サバイバルゲーム好きで、ゲームはしなくなったが今でもエアガンはいじっている。

 ゲームの話をすれば、へー、ふーん、そうの三パターンで華麗に関係ごと流されて土左衛門となり。

 まるで愛車のように可愛がっている愛用のアサルトライフルについて語れば、すごいね~、そうなんだ~、よくわかんな~いの三コンボで迎撃され、CIWS(自動迎撃装置)に撃ち落とされるミサイルのように爆散した。

 その轍はもう踏まない、少しだけ、少しだけ話せば良いのだ。

『俺のこと……そうだね、ゲームを通してわかったと思うけど、そういうのが好きなオタクだよ。そんなオタクの何が知りたいかな?』

 何か固い、何気取っているんだ俺はと送り終わってからデスクに頭を打ち付ける。

 しがないプログラマーしてますとか、一人暮らし4年目で外食に飽き飽きしたとか、もう少し違う言い方があるだろうと、ごつごつと頭を更に打ち付けた。

 返信音に少し赤くなった額をあげると、帰ってきたメッセージに訝しむように目を細める。

『コウさんは、なんで軍事とかに詳しい人になったのですか? 私の国ではそういうものが全く無くなっちゃったので……』

 軍事がない国、有名なところならコスタリカか。

 しかし、コスタリカからこんなけったいなメッセージが届くはずもない。

 これも一種の役の演技(ロールプレイ)だろうか。

 自分の目の前にいるAilaは、一つ仮面をかぶった誰か。

 そう思うと、心の高揚が落ち着きつつ、蓋をした記憶が脳内に溢れかえってしまう。

 他者と異なることが悪だった、あの頃を。

『最初は多分、映画の影響かな? 洋画のマッチョなヒーローが腰だめで機関銃をぶっ放して、悪党をバッタバッタ薙ぎ払う姿に、男の子らしく興奮したんだ』

 その年の誕生日プレゼントに、10才位上用の電動エアーガンをお強請りしたのをよく覚えている。

 川辺の茂みが多いところで、空き缶を並べてダーッと薙ぎ払うように撃つのを繰り返して、ヒーローになった気分を味わったものだ。

 それにつられてか、友達も同じようなエアーガンを手にして、ただひたすら撃ちまくった。

『でも、そういうのって流行り廃りがあって、ずっと好きだったのは俺だけ。中学生にもなると、銃が好きなミリタリーオタクの危ないやつって、言われるようになって肩身狭い思いをしたよ。でも好きなものは好きで、止められなかったんだよね』

 中学生ともなれば、男も女も多少色気づいて、子供っぽいことを嫌うようになる。

 今でも機関銃に憧れる幸四郎は正に、子供と見られたのかもしれない。

 眉をひそめながらアームレストに手のひらを乗せると、小さく溜息がこぼれた。

 ~~教にでも入るのか? 戦争でもしたいのか? あぶねぇヤツだ、ガキだな。

 ただ好きなことを否定されるのは、幼心に深い傷を残したと思う。

『高校に入ってからは、そういう趣味はずっと隠してた。無趣味なつまんない奴を演じて、それとなく普通の男らしくなろうと、無茶したりね』

 その時、初めて女と付き合うことになったが……その頃の恋愛なんて、ファッションの様なものだ。

 相手も自分も、彼氏と彼女と言い合えるのがほしかっただけ。

 悪くもなく良くもない、そんな二人が互いを好きになることもなければ、あっという間に冷めて空中分解。

 今でも、起死回生のチャンスに花火大会に連れて行って、人間の波に呑まれて険悪化したことは後悔している。

『大学になったら、ひっそりとそういうのが好きな人同士でつるんだりはしたよ。知識が深くなったのはその頃だと思う。その時の友達に、英語の書籍まで読む筋金入りがいてさ、大体はそいつからの受け売りだよ』

 楽しい四年間はあっという間に過ぎ去って、甘い一時は訪れなくとも、充実した時間を過ごした。

 後は情報処理学科卒業ということもあり、プログラマーになるべくしてなったというところだろう。

 一通り打ち終わってから思うのだが、話題が少し暗い気もする。

 幸四郎は、眉をひそめながら笑い、タイピングを繰り返す。

『ごめん、何で好きになったかなのに、ちょっと暗い話になったね』

『いえいえ、寧ろそういう昔話までしてくれてよかったです。私の兄もコウさんみたいに軍事に詳しくて、どうしてそうなったのかなとか、そういう気持ちを知りたかったんです』

 Ailaの兄、どんな男なのだろうかと思うものの、幸四郎は少しだけ違和感を覚えた。

『そっか…Ailaの役に立ったなら良かったよ。ところで、何でお兄さんに助けてもらわないんだ?』

 それならなぜ、Ailaは兄ではなく、自分に援助を求めたのかと。

 ただの演技かもしれないと思ってはいたが、そうなった理由が気になると問わずには居られなかった。

 問いかける言葉に、返答が少しだけ留まる。

 数分ほどの空白が少しだけ心をざわつかせ、掠れるような息が溢れた。

『兄はもういないんです、だからコウさんが頼りなんです』

『そうか……それは悪いことを聞いちゃったね、ごめん』

 きっと亡くなったのだろう。

 彼女の返答の間の理由はそれだ。

 謝罪の言葉を紡ぐと、大丈夫ですといつもの微笑みの顔文字が付けて返事をくれる。

 演技なのか、それとも本当なのか。

 曖昧になる感覚に、幸四郎自身も戸惑う。

『お仕事無しでお話するの、楽しかったです。ごめんなさい、そろそろ戻らないといけないので今日はこれで。またお力を借りたいのですが…いいでしょうか?』

『勿論! どんな強敵が来たって倒してみせるよ!』

 ゲームを通しての女性、それでもこうして感情移入していくのは、やはり人が言葉を打つからだろう。

 口角を上げながら返事を返すと、ありがとうございますとメッセージが返り、少ししてからAilaの表示が消えていく。

 顔を上げ、ウィンドウの右下に表示された時刻を確かめる。

 気づけば日付も変わる手前、少々体には悪いが、遅くなった夕飯へと手を伸ばす。

 冷えた牛丼の不味さに辟易しつつ、かき込んでいくのだった。


 それからも、幸四郎とAilaのゲームは続く。

 しかしそれは、徐々にゲームにしては奇妙だと幸四郎が違和感を覚えものだ。

 くたくたになって仕事から帰ると、いつものようにメールを開くが、課せられる条件はどんどん悪くなる。

 圧倒的戦力差も然ることながら、ウォーカーロイドが全く足りないという事も多い。

 戦いにおいて、数は絶対的優位であるが、戦略によってはその実働数を一瞬だけ抑え込むことにより、不利を補うことも出来る。

 しかし、このウォーカーロイドに置いては別だ。

 ある程度空中を飛行でき、地上においても二足歩行の機動力と瞬発力が戦車をあざ笑う。

 攻撃ヘリも同様に、連装ロケット弾をを当てる前に殺られることも多い。

 戦闘機ですら、空中で急激に振り返る挙動により、後ろをとってもカウンターされる始末。

 正に、このゲームにおいてウォーカーロイドは要なのだ。

『幾らなんでもコレは難易度高すぎじゃないか?』

 最初のチャットから2週間が経過し、二人の間は随分と砕けたものになっている。

 幸四郎も敬語も使わなくなったが、Ailaは仕事の癖で抜けないと笑っていた。

 それでも、初恋がどうだの、踏み込んだ話ができるほど語り合うまでに至るが、仮初めの繋がりだ。

『そうですか……でももう、出せるウォーカーロイドがコレしかなくって』

 地上戦力、航空戦力も潤沢に揃う敵軍は、ウォーカーロイドを変わらず30機。

 それに対して此方は、拠点の防衛兵器が数点に、戦車が6両、戦闘ヘリ2機、航空機は5機。

 何より、ウォーカーロイドは5体しかない。

 オマケにそこは、空港か何かを強引に改良した拠点であり、高低差も地形優位も作りようがなかった。

 唯一の変化があるとすれば、拠点傍に市街地が存在するぐらいだろう。

『こうなると、航空機とウォーカーロイドを市街地に配置して、誘い込むしかないかな。プラスして歩兵で各建物に潜んで、ウォーカーロイドに有効的な武器で奇襲をかけるとか』

 後は市街地のビル群を利用し、誘い込んだところに一斉に頭上から歩兵による攻撃を仕掛ける事。

 小さいことを利用して、相手が気付きづらく、攻撃しづらいポイントから仕掛けるゲリラ戦術だ。

 表示されている地図へ、ペンタブレットで動線を描き、不意打ちポイントに丸をつけていく。

『歩兵って……人が生身でってことですか?』

『そうだね、歩兵は閉所では活きるから』

 肯定の言葉を返すやいなや、その後の返信は今までにない程、早かった。

『ダメです! 生身のまま攻撃したら、反撃されたときに死んじゃいます!』

 何を言っているのだこの娘はと、幸四郎はジト目になりながらその言葉に首を傾げる。

『そりゃ死ぬ可能性はあるけど、そんなこと言ったら兵器に乗ってる奴だって、死ぬ時は死ぬよ?』

『たしかにそうですが、脱出した後は殺されてないって聞いてましたから、だけど、人のまま攻撃したら殺されちゃいます!』

 改めて、何を当たり前なことを言っているのだと、脳裏で呟く。

 確かに脱出すれば、上手く行けば追撃を免れる可能性もある。

 しかし。

『といっても、これはゲームでしょ?』

 そう、彼女が持ちかけた戦略ゲームなのだ。

 この盤面で誰かが死ぬなんてことはない、そんな遊戯なのだと答えると、何か彼女の雰囲気が変わったように感じる。

 画面越しで、文字だけで、人の感覚など無いはずなのに、ほんの少しだけ冷たい空気のようなものが、肌を撫でた気がする。

 錯覚のような感触に幸四郎は小さく体を一震いさせると、丁度返答が表示された。

『そうでしたね、でもルール上歩兵は駄目なんです。だから歩兵以外でお願いします』

 なるほど、そういうことだったかと腕を組んだまま小さく頷く。

 それならそうと早く言えば良いものをと心の中で呟きつつ、困り顔でキーボードを叩いていく。

『それならこうしよう――』

 誘い込むまでは同じ、ただ、誘い込む時のウォーカーロイドは2機とする。

 残り3機はビル群の中でシートでもかぶせて隠しておくのだ。

 勿論エンジンはOffだ、熱源と音で悟られたら失敗に終わる。

 更に、残った戦車をビル群を取り囲むように配置して伏せていく。

 これは、不意打ちを成功させた後、敵が逃げる方法を予測して配置するのだ。

 おそらくは大きな道路をなぞるように、逃げ出すだろう。

 そこへ照準を置き、来た瞬間に撃ち抜く。

 勿論、そこ以外にも脱出ルートは存在する、空中だ。

 ウォーカーロイドは単独で空中飛行も出来る優れた兵器だが、逃げたい一瞬で空に向かうならビル群を抜け、そのまま後退するだろう。

 そこを誘い込みを終わったと同時に出発させた攻撃ヘリで迎え撃ち、下へ叩き落とす。

 ミサイルと機関砲の雨で、手負いになれば、姿勢を崩してビルへ激突。

 大破しながらビルの表面で、胴体スキーをさせられることになる。

 しかし、これで倒せるのはせいぜい5機が限界だろう。

 その後、戦車もない拠点は猛攻撃に晒されるはず。

 時間稼ぎに戦闘機を敵拠点へと向かわせ、気を散らせて逃げる。

 残った機体を拠点へ撤収させ、全力で守りに当たるというのが条件内で取れる、自分が考えうる答えだ。

『それならまだ、大丈夫そうな気がします。コウさん、ありがとうございます! 私、皆のために最後まで足掻いてみます』

『あぁ、GoodLuckだ!』

 これは敗北までの時間をどれだけ先延ばしに出来るかという、カタルシスを感じさせる戦略ゲームなのかもしれない。

 しかし、こうして淡々と戦略を考える自分には悲壮感を受け取ることができなかった。

 足掻くと告げるAilaの直向きさが、喪失感を薄れさせていく。

 そして、戦う瞬間を見ることもなく、ただ言葉だけが紡がれるゲームは、今の世には少々刺激不足だろう。

 早速会議してきますと最後の返信と共に、Ailaが部屋を去っていく。

 それが、すべての始まりとなるとは、今は知る由もないだろう。


「――馬上、おい、馬上!」

「はい?」

 再び始まった日常は、妙に色あせて見えた。

 その最たる例は、こうして上司が声を荒げる所にも現れる。

「どうした、ぼーっとして。この間もバグ取りが荒くて、連結したらエラーだらけで大変だったんだぞ」

 すみませんと気の抜けた声で返事をしつつ、視線を落とす。

 その様子に上司は溜息を零すと、幸四郎の肩を軽く叩く。

「完璧にやれとは言わんが、また前みたいな顔をしてたぞ。気持ちが成果に反映することもあるんだ、気を引き締めろ」

 いいなと念押しも添えられて言われれば、Yes以外の返事はしようもない。

 わかりましたと当たり障りない言葉を紡げば、確り頼むぞと告げて、上司は去っていく。

(「……気にしすぎだろ、俺も」)

 Ailaと最後に言葉を交わして1ヶ月が経つ。

 あれ以降、チャットルームにAilaが現れることはなかった。

 一日、二日と過ぎる中、毎日ソフトを起動していたが、Ailaの文字は表示されない。

 あのゲームは、あれがエンディングだったということだろうか?

 それにしては、Aila達が負けたのか、それとも奇跡的な展開で勝利を収めたのかも分からない。

 ゲームとしては、終わり方も奇妙で、考えないようにとしても無意識に浮かび上がる。

 今日も、小さいエラーがないかと常に意識を張り巡らせて記憶を封じ込めていった。

「……」

 夜、それは今までの生活へ戻った筈の日々。

 食べ飽きそうな外での夕食を済ませ、家に戻るとずっと手付かずだったゲームに手を伸ばす。

 暫くFPSからは離れていたが、それほど腕は鈍らなかったらしい。

 銃声鳴り響く画面の向こうで、一人称の映像が息を切らせながら走る。

 物陰に隠れ、遠くからやって来ようとしている戦車をマークし、味方に位置情報を知らせるとフラッシュグレネードを投げ込んでその場を離れる。

 戦車にダメージを与えることは出来ないが、まばゆい閃光が一瞬だけカメラを白く焼き尽くす。

 敵に狙われているという意識を与え、ロケットランチャーを構えた相手を探す戦車に、建物内を通り抜けて近づくのだ。

 斜め後ろへ取り付くと、プラスチック爆弾をありったけ貼り付けて、素早く下がってスイッチを二度押し込む。

 強烈な爆発が一瞬にして戦車の耐久度を焼き尽くし、鉄くずに変えれば、近くの敵拠点へと再び走るのだ。

 中距離からセミオートライフルの光学照準器を覗き、移動先めがけて放った弾が、吸い込まれるように胴体を貫き絶命させ、建物内へ。

 狭い空間へはフルオート発射できる拳銃を片手に飛び込み、慎重に歩いて進む。

 角から飛び出した敵へ、狙いを定めながらトリガーを引き絞ると、あっという間に弾を撃ち尽くしつつ、敵を床へと沈めた。

 制圧中にやってきた敵増援に必死の抵抗を繰り返すも虚しくやられ、再び自拠点から走り出す。

 新作ではあるが、基本的なルールは変わらない。

 敵を倒すだけではなく、時間内で戦略的優位を示す拠点の保持数を競い合う。

 数十分のラウンド一つ一つで引き起こされる小さな衝突の刹那に、手に汗握る興奮を覚え、その高揚感の虜となってコントローラで分身を操るのだ。

「はぁー……っ!」

 深夜に差し掛かる頃、チーム内Ⅰ位のスコアに満足げに息を吐き出すと、ルームを抜けていく。

 コントローラーを放り、背もたれに体を預けながらペットボトルを手に取ると、グレープフルーツの炭酸が喉を潤していった。

 戦いの興奮がじわじわと冷めていく中、徐々に記憶が再び蘇ってしまう。

 奥行きもない文字だけの世界、アナログな作戦だけの遊び。

 それを楽しいと思えたのは、文字でしか見たことがなかったAilaに、何か惹かれるものがあったからだろう。

 自分の趣味を必要としてくれて、真摯に耳を傾けてくれて、自分の作戦に喜んでくれる。

 血の繋がらぬ、誰かから必要とされるなんて、今まで無かったことだ。

 明確にその言葉を浮かびきれない幸四郎は悶々としつつ、ペットボトルを凹ませていく。

 そんな中、ピロンとメールの着信音が鳴り響くと、弾くような勢いで携帯電話を取り、画面をなぞった。

「Aila……!? ん、これは……」

 メールには件名もなく、いつもの上品なご挨拶もない。

 記載されていたのは何かの座標のようなものと、Rabbitという英単語のみ。

 ここに来いということだろうか? まずはその座標が何なのかを確かめるべく、記載されていたデータを検索窓へ打ち込むのだった。


 35°32'40.7"N 139°44'08.2"E 3:10 Rabbit。

 それだけが書かれたメール。

 前半の意味不明な数字と文字の羅列は、所謂GPSの座標だったようだ。

 検索窓にそのままいれると、検索結果が地図付きで出たのは、わかりやすくて幸いなことだろう。

 しかし、最後に書かれたRabbitの意味がわからない。

 兎、若しくは何かの略称を繋げたものか。

 Refine Architecture block blast Intelligence Tool、略してRabbitとか。

 全く意味のない英語ただ並べただけだが、それっぽく感じるのは英語慣れしてないからだろう。

 そんな戯言はともかく、幸四郎は指定された座標へと訪れる。

 首都から少し離れた川岸、そこは川と大型道路を利用する大きなコンテナ倉庫郡だ。

 指定された時刻に間に合うように、深夜の暗がりにタクシーで乗り付ける。

 丁度業務が終わった合間の時間というのもあり、紺色の空に水面の音だけが響く。

 中に入る許可など持ち合わせているわけもなく、適当に乗り越えられそうな壁を見つければ、運動不足の体で必死にしがみついて乗り越えた。

 地面に尻もちを着きながら、どうにか倉庫群に入り込むと、携帯電話を覗き込みながら座標へと急ぐ。

 指定時刻まで、あと15分程。

 右に左に、倉庫の角を曲がりくねった先は、少しだけ開けた新しい倉庫の建設予定地だ。

 完成間近の倉庫と、周りには資材が積み重なり、しんとしている。

(「来てみたものの、なにもないような……」)

 指定時刻までは後5分はあるが、これはどう見てもおかしい。

 Ailaの最後に見せたメッセージは悪戯か、がっくりと肩を落としながら小さく溜息を零す。

 だがそれは、ほんの数コンマの間を以って、覆される。

 ――ギュォァァッ!!

 深夜の濃紺空を切り裂く、焼け付くような奇っ怪な音。

 同時にそれは徐々に此方へと近付いてくるが、それだけではない。

 何度も金属が擦れるような金切り声が、幾重にも響き渡る。

 急激な変化にビクッと背筋を伸ばしながら、幸四郎は辺りを見渡す。

「な、なんだっ!? なんだってんだっ!?」

 紺色と倉庫の切れ間に、時折青白い閃光と、オレンジ色の火花が移り、それは少しずつ大きく眩くなる。

 そして、あっという間にその音が、直接肌を震わせるようになった。

 倉庫の合間から飛び出した姿、それは青白い炎をいたるところから吐き出しつつ、青い光を宿した刃をぶつけ合う巨躯の姿。

 閃光の間に見える二つの巨体に、幸四郎は息を呑む。

 そして彼は、その名を呟くのだ。

「ウォーカー……ロイド……」

 そう、見間違えるはずがなかった。

 今、目の前で暴れている機体の一つ、真っ黒な方はよく知っている。

 ラクーンと呼ばれる機体で、その由来はタヌキのような体付きと少しだけ前に尖った頭部の形状からだろうと、幸四郎は考えている。

 ずんぐりむっくりな、ヒロイックさを全て否定した体付き。

 胴体と頭部がほぼ一体化し、ゴーグルのような無骨な目元にヘルメット状の頭部。

 鉄柱をくくりつけたかのような丸い腕と、人の手を模した掌。

 そして、逆関節の膝に太い足には、地面を踏みしめるスパイクと、滑走時に使用するタイヤが足裏に連なる。

 腕には鉄の棒を並べたような射撃武器。

 電磁加速させた鉄塊を高速射出する未来の兵器、レールライフル。

 反対の腕には、高速回転する鋸刃を押し付け、強引に鉄板を削り、熱を与えて抉り切る近接兵器、チェーンブレード。

 それらを防ぐために付けられたシールドが両腕にあり、武器類はシールドの下から展開され、攻撃に用いられる。

 それはAilaのゲームで出てきた、敵側のウォーカーロイドだ。

 だが、対峙する真っ白な機体は見覚えがない。

 卵型といった丸みの強い胴体に、楕円形の形状をした四肢。

 手足は少々大きく、特に踝部分から下は、フィンを履いた足を思わせるように大きい。

 掌も大きく、展開したチェーンブレードのグリップ部分も同様に大きく作られていた。

 頭部も同様に卵型のような丸みに、特徴的な長くて大きなブレードアンテナは、垂れ下がるように下を向いている。

 そんな二体が目の前にブーストの炎で地面を焼き焦がしながら、姿を表したのだ。

 ラクーンは白い機体に対してチェーンブレードを振り下ろし、白い方もまた、シールドの下に納めたブレードを展開し、刃を叩きつけて振り払う。

 その瞬間に全身のブースターから火を拭いた白い方は、ラクーンにシールドを向けて体当たりをしようと試みる。

 しかし、倉庫の影から新たに現れたもう一体のラクーンが、ブレードを突き出しながら、白い機体の脇腹を狙う。

 瞬時に地面の上で反転した機体がシールドをそちらへと向け、刃を受け止めると、正面に捉えていたラクーンが反撃と、ブレードで貫こうと白い機体へと加速する。

 大きな足裏で横から来たラクーンを蹴り飛ばす白い機体は、再び突撃する正面のラクーンの刃をシールドで受け止めた。

 ギャリィィィッッ!! と耳障りな音とともに真っ白な閃光が広がり、無数の火花が飛び散る。

 空いた片腕でシールドの平らな面で打ち付けようと腕を繰り出すと、ラクーンも盾で受け止めながら地面を滑っていく。

 二体のラクーンが遠ざかった瞬間、遠くのビルの切れ間から青白い閃光が一瞬だけ走る。

 すぐさま白い機体がボクサーのガードの如くシールドを前面に並べると、ガァンッ!! 強烈な鐘の音が響いた。

 発射音は僅かに電気の爆ぜる音が響いたのみ、これも何か幸四郎は知っている。

 ロングレンジレールライフル、LRライフルと略したりもしていた。

 簡単に言えば、ウォーカーロイド専用の狙撃用のレールライフルだ。

 そもそも、電気の+-の反作用を利用するレールライフルは、火薬の爆ぜる強烈な音を有しない。

 弾丸が音速を突き破る破裂音はあれど、それは遠く離れれば人の耳になかなか届かないだろう。

 電磁加速をさせるレール部分を長めに取り、大型化した銃身に高精度な狙撃用のカメラを取り付けられたそれは、遠くの敵を貫く長距離の砲撃ともなる。

 二体が動きを封じ、一体がトドメの狙撃を掛ける。

 残りの二体が射撃武器を使用しないのは、恐らく音と周囲の破損を気にしているのかもしれないと、幸四郎は考えた。

 気にしなくていいなら、3体でボコボコに射撃して、じわじわ嬲ればいい。

 狙撃を防いだ白い機体は、ダメージは抑えたものの、その破壊力に機体がアスファルトを転がった。

「……っ!?」

 近くへと転がってきた白い機体に巻き込まれぬように、幸四郎は後ろに下がるも、同時に目の前に飛び込んだペイントに、目を見開く。

 赤いラインで描かれた兎の頭部、それは、メールにあった兎を指し示すかのように。

 ゴーグル状の部分の下でカメラアイが動き、幸四郎を一瞬だけ捉えると、直ぐに正面へとカメラは戻る。

 今だと動こうとしていた二機に対し、二本のレールを伸ばして展開すると、パァンッ! と破裂音を響かせ、ライフルを二連射する。

 それぞれ、機体の中心目掛けて放たれ、弾丸はシールドに阻まれていく。

 すぐさま遠くの方へといる機体にもレールを向ければ、無遠慮に連射を始める白い機体。

「質問です。貴方はどうしてここにいますか?」

 不意に響く中性的な声に、あたりを見渡すも、人影はない。

「他に対象は居ません、貴方に質問しています。なぜここに居ますか?」

「ここに来いって言われたんだ! そっちこそなんだ!?」

 白い機体は体勢を立て直すと、肩のあたりから何かを射出する。

 ボンッ! と爆ぜる音を響かせ、紺色の煙幕を発生させれば、敵との射線を遮りつつ、言葉を続けた。

「……貴方がコウですね、アイラ様の命令でここに来ましたが、目的を果たせそうにありません。今すぐにここから離れてください。戦闘終了後、何処か人目のつかないところへ避難と隠伏を推奨します」

 煙の中を再び二機が突っ切ってくると、その内一機へ再び体当たりをしようと、シールドを構えて走る。

 しかし、既に使われた手には乗らぬと、ラクーンが同じように正面からシールドを構えて体当りし、打ち消してしまう。

 もう一機が、突きを放とうとすれば、ブースターポッドを反転させ、後退へと勢いを変えて強引に下がっていく。

 再びレールライフルを展開した白い機体を確かめると、二機は倉庫の裏へと隠れた。

「目的ってなんだ!? てか、何でゲームのことが現実に起きてるんだ!?」

「私とコウを別並列世界へ逃がすこと、それが第一目的です。それが出来ない場合は、私の破壊、コウの保護を優先します」

 そう告げると、此方へと向き返った白い機体は幸四郎の体をつかみ取る。

 潰されるようなことはないが、唐突な行動に離せと藻掻くのは当然だろう。

 更に煙幕を射出すると、青白い炎で地面を滑りながら倉庫の群れへと逃げていった。


 大型倉庫の一つへとたどり着くと、白い機体は近くにあった端末にカメラを向ける。

 数秒の空白の後、ガチリとロックが外れる音が響くと、壊さぬように器用に引き戸を開く。

 扉を閉ざすと、真っ暗闇の中、僅かに明かりを灯す白い機体は、コックピットのハッチを開いた。

「なっ……!? 嘘だろ」

「私の中に入ってください、ステルスモードを起動し、視認しづらくさせます。時間敵猶予があるかぎりになりますが、説明を行います」

 白い機体のコックピットは誰もいない。

 誰かが乗っていた痕跡もないのだ、つまりそれは……AIが操作していたということだろうか?

 ウォーカーロイド、戦闘、そしてAI。

 全てがひっくり返されていく現実の中、拒否する力も失った幸四郎は促されるがままコックピットの中に入り、腰を下ろす。

 ハッチが閉ざされると、前面のパネルに周囲の空間が映り込み、パネル状にはいろんな機体情報が緑色で刻まれていく。

 英語と数字、それは同じ言語を持つ世界の物体を指し示す。

 Stealth Mode と表示されると一瞬だけ周囲の映像が歪んでいった。

 外からは見えないが、所謂ステルス迷彩の作用により、周囲の景色へと白い機体は溶け込んでいる。

「私はファジーロップ、このウォーカーロイド、Rabbit Hopper(ラビットホッパー)のAIです。戦術提供者、コウを回収し、別並行世界へ逃亡するように、アイラ様に第一目標を設定されました」

「アイラ……!? なぁ、アイラは一体何者なんだ!?」

 ゲームと思っていたものが、現実に現れた。

 ただのゲームメイカーではない、アイラは何者なのか。

 それを問えば、あっさりと簡単にファジーロップが答えてしまう。

「アイラ様は、ハズバーンの第一皇女。正式にはアイラ・アフェクティオ・ハズバーン様となります」

 ゲームメイカーではなく、皇女だと、ファジーロップは淡々と紡ぐ。

 手前の操作パネルに映し出されたのは、銀髪の温和な表情を浮かべる少女の写真と名前。

 幸四郎が考えていたよりも、よっぽどしっかり者といった印象が、彼女の紫色の瞳に映っていた。

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