第5回『嘘』/ 山鳩 ~まんが日本昔ばなし底本~

 雨が降ってきた。

 俺は村から伸びる山道を、そしてその道を覆い隠す山の木々を見あげた。これは大丈夫。農作業の手を止め山を眺める俺を、さいが覗うのを背中に感じる。それを無視して鍬を振り上げる。妻の視線も逸れた。


 この村の男はみな、なにがしかの鳥になる。人の器で生まれるも、無意識に雛と赤子を行き来し、生み親は雛を見て同族の男に託す。鳶には鳶の、雉には雉の、そうして俺は山鳩の父に預けられた。親と同じ種族が生まれるのは稀で、男はほぼ育て親と血が繋がらない。そうはいってもけして大きな村ではない。どこかしらの繋がりはあるのだろう。

 残念なことに、俺と父はそりが合わなかった。飛び方を教わった幼い頃から父が死んだその時まで、ただの一度も和解を得なかった。俺とひとつ違いの妹は母と一緒に俺をたしなめたが、なぜ俺ばかりが譲らねばならぬと相手にしなかった。なにを言われても父には反発しか感じず、勧めとは真逆に応えた。

 父が病に倒れ、程なく灯ともしびは消えるであろうある日、枕元に呼び出された俺は遺骸の行方を託された。山の中程、沢のほとりに埋めるようにと。

「川から病を蔓延らせる気か」

 嫌悪を露わにする俺を皮肉のこもった目で見返し、父は黙り込んだ。そうしてしばらくのち、俺は艶を失いカチリと固まった年老いた山鳩入れた籠を手に、山を登った。

 水に曝すわけにはいかない。沢沿いの土を浅く掘り、ちっぽけな死骸を半身分埋めた。死んだら鳥になる俺達の本質は鳥だろうか。しかし女は死んでも人のままだ。女の死骸は大きい。里の墓地にまとめて破棄する。だが鳥は山に捨てるのが習わしだ。大きな猛禽でも鳥は軽い。野生のように死んですぐ虫が湧いたりはしないが、風雨に当てられれば羽は朽ち肉は食い破られ空洞の骨は粉々になる。俺がここから去れば、父もすぐに獣の餌になるだろう。

 雪が深くなった頃、母が床についた。そう長くないだろうという医者の見立てから、俺と妹は母の希望で祝言を挙げた。感慨はないがお互いそうなるだろうと思っていた縁えにしだ、不満もない。母は安堵してこの世から去った。母の仕舞は妻がまとめた。男は男親の、女は女親の。

 冬を越えて雪が去り、雪解け水が里を潤す。沢の水は増えた頃だろう。例年通りであれば川岸は半分ほど水に浸かるが父を埋めたところまでは届かない。一応、畑の土を混ぜる前に山に向かった。まだ冷たい春の空気と木々が吐き出す水蒸気を利用して里から一気に沢まで登る。視界はまだ初芽に遮られることなく、沢は上空から確認できた。

 昨年は4人いた家も、2人になると静かなものだった。俺と妹―――いや妻は、昔から特段仲のいいほうではなかったが喧嘩をする間柄でもなく、淡々と日々が過ぎてゆく。農作業の合間、気休め程度に空へ上がった。葉擦れに紛れ、村を一瞥する。他の畑と遠方から比較し、特段異常が無いことを確認するのだ。同じく空へ上がってきた村の男達と上空で挨拶を交わし、今年の豊作を願った。

 雨期に入ると、村を横切る川は当然増水した。この時期の雨は量は多いがゆっくりと降る。山が水を蓄えるので決壊の心配は無い。一応雨が緩まった日には沢を確認に飛んだ。

 八朔を過ぎ、野分の季節になると畑の作物を守るのにみな必死になる。俺と妻も忙殺された。川には土嚢を積み、畑の土が流れないように塞ぎ、結実寸前の植物が折れぬように覆いをかけた。毎年のことだ、慣れている。けれど今年は人手が少ない。野分の去った後にカラリとした高い空を飛翔するのは気持ちがいいのだが、刈り入れの判断を早めたり晴れの日にまとめて収穫するのは骨が折れた。

 次々とやってくる嵐に不安を煽られたのは畑だけではない。もう骨と僅かな羽の塊が残っているに過ぎない父が水に流れてしまっていないか、確認できずにいた。俺達は獣の餌となり虫に冒され余すことなく土に還らねばならないのだ。今更だが父の我が儘が腹立たしい。雨を除けることを考えれば、雨具を着て人のまま登る方がよい。しかし水を含んだ土は滑り、山道は安全とは言い難い。だが暴風雨の中を飛べるほどの強い翼はねを俺は持ち合わせていない。

 しかし苛立ちも限界だ。雨脚の弱まった真っ暗な明け方、少しだけと衣服を剥いだ。羽は多少の雨なら弾く。濡れて飛べなくなったら人になって戻ってくれば良い。山さえ鳥のまま抜けられれば、里は裸でも言い訳はつく。そうして鳥になる直前、妻に縋られた。初めて見る、憂心が浮かぶかんばせに踏鞴を踏む。

「行かないでください兄様」

「今なら行ける。すぐ戻る」

「いいえ、雨が弱いのなど一時いっときのこと、この風は兄様を吹き飛ばしてしまう。万一翼が折れでもしたら、帰れなくなってしまいます。やめてください。ここで換毛が飛び散っても風まかせに放っておいたのです、羽根の二、三など流されてもよいではないですか。父様はもうこの世のものではありません」

「なにを、お前は決まり事を」

「そうです、だから知っております。鳥とは人に縛られぬもの、羽毛のひとつすら思い出にくださらない。兄様ももう父様のことは忘れてください」

「俺は慣習が大事なだけだ。お前こそ心配なのではないか、実の父だろう」

「ではなぜ生きてる間に父様の声を聞いてくださらなかった!」

 紛うことない事実だ。俺は生きている父とはほぼ会話していない。

「兄様はずるい。父様にかわいがられて、なにを言っても応えてもらえて。わたしは……わたしは相手にもされなかった」

「かわいがられたのはお前だろう。血の繋がった子だ、何を言っても愛でられて。こちらは説教ばかりで褒めてもらったことなぞなかった。俺は所詮、余所者だ」

「兄様は……ッ、知らないからっ……!」

「なにを……」

 くやしげに首を振る妻を捕らえる。両手で頬を挟みこちらを向かせると、両の目から涙が溢れた。

「兄様が! 初めて山まで飛んだ日! 父様は見たことがないほど満足げに、山を見上げておりました! そして兄様を追うように飛んでいった父様を見送るしかできないわたしや母様が……どんな気持ちだったか……」

 ……そんなもの知らない。縁側から垣根へ跳ねるように羽ばたいたり、屋根から羽を広げて飛び降りて風を受けたり。滑空へ、そして滞空へ。父の教育は追い立てるよう、追われる者が逃げるように俺は羽ばたいた。俺達には長元坊のような上空で気流に乗る羽はない。けれど森から立ちのぼる上昇気流にのって滑るように木々の隙間を駆け上がる、羽を下から押し上げる空気を掴む、茶灰の羽を休めに梢を渡る時、純粋な喜びがあった。けれど初飛行の日、追いついた父からやれ羽の使い方がなってないだの風を掴み損ねが多すぎるだの、達成の喜びは安易に塗り替えられた。

 鳥の子がなぜ同種の親に預けられるか。それは同種でなければ飛び方を教えられないからだ。―――確かに俺は父から飛翔を継いだ。けれどつねにまだまだだと首を横に振る師がなんの役に立つだろう? 俺は俺の飛行を台無しにした父を許せなかった。

「そうです、父様もそんな自分を諦めてしまいました。だからもう、なにを言っても反対にする兄様を咎めなかったでしょう。最後だって」

「文句を言われる筋合いなどそもそもない。だいたい最後がなんだと言うのだ」

「兄様が遺言通りにするなんて思いもせず……」

 膝から崩れて泣き顔を覆う妻に、俺は手を差し伸べることもなく。

 なんだって。

「どういうことだ?」

「兄様が本当に沢に向かうなんて誰も思わなかったのです! 山に、慣例通りに放ってくるって。それが川岸に葬って、増水の度に確認に飛ぶなんて、私も、母様も、父様も……!」

 思いがけない言葉にたじろいだ。そうだ、なぜ俺は言われたままに沢に向かったのだろうか。川水を汚染する心配はしたくせに、鉄砲水に押し流される幻影がちらめいて雨の中羽ばたくのはなぜなのか。

 俺は気づいてなかった。

「お前……」

「兄様は、気づいてなかった。わたしも母様も、黙っていました。だってそれこそが父様の望んだ未来だったのですから。ふたりで羽ばたいて、わたしや母様を地上に残して、木々を渡って声を掛け合うことを。その夢を叶えなかった兄様が、なぜ最後になって諾々と―――。

 ずるいと、なんど思ったことか。けれど兄様は気づいてなかった。悔しかった。それならばなぜ父様が生きてるときに飛んでくれなかったの。なぜ今になって兄様ばかり父様を追えるの。ずるい。だけど父様を思うと言えなかった……わたしだって、でも」

 今は行かないでと掠れ声で泣き崩れる妻を、呆然と見下ろした。

 それは結局、言いつけに背くと思ったから残した言葉ではないか。

 ―――最後まで、俺達は。

 泣く妻を、父の娘の震える背を、言葉もなく眺め続けた。


 翌年、妻は身ごもり、男子を産んだ。観察ののち、カケスの元に預けた。次の年は嘴太鴉を。預け子を抱いて去る嘴太の背を見送りながら隣の妻の肩を引き寄せる。

「次はおんながいいな。鳥は手放すばかりだ」

「そうですね。でも山鳩の子を預かるかもしれません。わたしはどちらでも」

 妻の柔らかな手がそっと俺の手に添えられた。



               Fin.


まんが日本昔ばなし「山鳩」http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=19

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