第4回『和』/ 15歳の夏
家庭裁判所の廊下で、審判開始をそわそわ待つ。隣に座る
「和音ちゃんは大丈夫だよ、しっかりしてるし頭もいいし運動できるし。あたしがママを手伝わないのも『ウチの娘なんてなーんにもしないのに和音ちゃんは大違い。偉いのよ~』っていう点数稼ぎのためだし」
「うそつけ。めんどくさいだけでしょ」
「バレたか」
呆れ顔にてへっと返す。和音ちゃんもふにゃっと笑う。
廊下の向こうにママたちが現れた。
「さて、行ってきますか」
「がんばって」
「あたしががんばることはもうないんだよ?」
「そうだけどさー」
むにむにと口ごもるあたしに指先だけ振って部屋に消えた。
ここにくるのも今日が最後。だからってあたしがついてきてもなんの役にも立たない。それでもここにいたかった。あの扉から出てくる和音ちゃんを迎えたかった。
和音ちゃんはママと一緒に夕飯を作る。あたしはパパのiPad miniで自己ベスト更新中。このゲーム、難易度あがったら連結がハイパーエグくなって飽きてきたなー。
「
「へいへい」
ママの指図に画面を閉じる。
3人分のご飯を和音ちゃんとバケツリレーしながらテーブルに並べる。パパは本日残業ー。
「はいじゃあおふたりさん、食べましょうか」
「いっただっきまーす」
ママのご飯はフツウだと思うけど、和音ちゃんはいつもおいしいって言う。ママの機嫌がよくなるのでついでにあたしも褒めるけど、ついフツーにおいしいって言っちゃって「一言多いっ」とママが拗ねる。和音ちゃんが「ちゃんとおいしいですよ」とフォローするとこまでがセットで、それをニヤニヤ眺めるのが楽しいんだもん。
初めて和音ちゃんを家に連れてきたとき、ママは眉をひそめたしパパは難しい顔をしてた。でも、扶養されてる身としてはあたしが用意できる場所なんてここしかなかったんだ。和音ちゃんちはお金持ちだったのに14歳になる直前、突然居場所がなくなった。和音パパの使い込みが発覚して会社クビになって、離婚調停中にママの不倫が明らかになって形勢逆転泥沼へ。不倫相手と再婚したい和音ママは娘を引き取るフリを放棄して、和音パパももう子供なんてどうでもいいって親権押し付け合いバトルに突入した。和音ちゃん的にはママの不倫バレからの家庭崩壊シナリオは予測してたけど、パパの横領はナナメ上だったそうで。そりゃねえ。
あたしだったら自殺未遂するけどなって和音ちゃんに訊いてみた。見せつけて、後悔させるのにって。だけど和音ちゃんはたしなめた。「その程度で罪悪感にまみれるならこんな争いしないよ」って。なるほどなあ。
中学生なんて、ホント、なんの力もない。
和音ママ達の闘争は悪化の一途。連日の喧嘩に心休まらない和音ちゃんは、キャリーひとつで家を出た。不倫相手と会う夜に和音ママが残してた高額な夕食代(口止め料込)を貯めてた和音ちゃんは身分証不要の漫画喫茶や家出娘を泊めてくれる家をSNS情報から探して転々としてた。
あたしと和音ちゃんが再会したのはその頃。
小学生で引っ越した和音ちゃんに名乗られても最初はわからなかった。だってガッチリメイクしてたし背も伸びて高校生みたくなってたし。でも和音ちゃんはすぐわかったって。鞄につけてたマスコットを自分も持ってた(ただし数年前に捨てちゃった)から。丸をふたつ繋いだポンポンは、「和」子と「和」音をイメージして和音ママが作ってくれたお揃い仕様だったから。
今思えば、和音ちゃんはヤケになってたんだと思う。声をかけられてびっくりした―――怯えたあたしに意地悪げな口調で「あたしかわいそうでしょ? こっそり一晩泊めてよ」と凄んできた。
さすがに和音ちゃんも戸惑ってた。あと寝てた。ウチは共働きなので、あたしが学校や塾に行ってるあいだ和音ちゃんは家にひとり。「あの頃やたら眠くてさ」と和音ちゃんは首を捻る。ひたすら寝てた。
今はもう普通のリズム。夕飯中もおしゃべりがとまらないあたしたちにママの小言が飛んでくる。
「和子もちょっとは手伝いなさいよ、来年は高校生でしょ」
「和音ちゃんがいるからだいじょーぶ。もうひとりいたら台所狭いよ」
「あんたねえ……」
小言はあたしだけでしたー。サラリと流してごちそうさま。この後は交代でオフロに入りながら勉強タイム。だって受験生だもん。和音ちゃんは1年さぼったせいで苦戦してるっぽい。けどあたしもそこまでできるわけじゃないからふたりして唸ってるわけだけど、お互い監視になるからイヤだけどいい。
でも、こんな暮らしもあと少しで終わる。
建物の中なのに、冷房があまり効いてなくてじんなりする。
カチャリと、ノブが下がる。調停室から出てきた和音ちゃんは頬を赤らめて、上擦った声を上げた。
「養子縁組、認められた……!」
今日ついに、和音ちゃんは親を捨てた。
「和音ちゃん……」
あたしはすごく微妙な気持ちで、でも喜ばしいのは本当で、あとから出てきた和音ちゃんのおじさんとおばさんに会釈しながら和音ちゃんと抱き合った。ウチの洗剤の匂いと和音ちゃんの香り。涙を堪えてるのがわかる。
一緒に待ってたママはおじさんたちと挨拶しながら廊下を先にゆく。そのうしろをゆっくり、あたしたちは手を繋いで歩いた。和音ちゃんから震えが伝わってくる。高揚でも解放でもない気持ち。
認められるのはわかってた。だけど。
―――和音ちゃんでも怖いんだ。
「……ずっとウチにいればいいのに」
「和子ちゃんちにそこまで迷惑かけられないよ。大丈夫、叔父さんたちは悪い人じゃないから、今日だって来てくれたし。20歳までおいてもらったら養子解消して、そしたら―――そしたらあのひとたちとも縁を切って……戸籍抜いて、ホントの自由の身になる。大丈夫、裁判所って最初に思ったほどめんどくさくなかった。キチンと書類と意思確認が出せれば受理してもらえるってわかった。あと5年、それまでに生きる術すべを手に入れてみせる」
「……」
裁判所を出ると、熱風と夏の日差しにクラクラする。
瞬間ピリッと、強く引かれた手首に電気が走る。―――和音ちゃんが。
「和子ちゃん、居場所、ありがとう。あたしずっと和子ちゃんのこと羨ましかったから和子ママたちの前でいい子でいられた。和子ちゃんもそうでしょ?」
日陰から日向へ出る直前、ひたりと見つめあう。
「うん、和音ちゃんなんてよその子なのにウチに居着いてママに褒められてイヤだなって思ってたよ」
だからむしろ怠け者のムスメを演じてた。手伝いなんかしなくてもママたちはあたしを捨てない。それを見せつけたくて。
駅で声を掛けられて、家に押しかけられて、そのまま居座った和音ちゃん。ともだちでもなんでもない、昔むかしにお隣同志だっただけの同い年の女の子。
そうだよ、赤の他人が、半年もウチにいたんだ。嫌だったよ。だけど。だけどさ。
和音ちゃんはわかってるよというように小さく頷いた。日向に足を踏み出す。あたしも並ぶ。
「あたしらってさ、ちっちゃい頃そっくりだって同じ服着せられたよね」
「憶えてるよぉ、和音ママは裁縫得意だったもんね」
「和子ママが迎えにくるまで髪形まで揃えてさ、ふたりで『おかえりー』って和子ママを悩ませたり」
「ママさあ、しょっちゅう間違えてたよね」
「そんで和子ちゃんがふてくされて帰宅拒否したりね」
「あったあった」
繋いだ手を緩めて、親指と人差し指で作った輪を繋ぎ直す。あの頃、よくこうして遊んだね。ふたりの『和』はなかよしの『わ』だよって教わって。
和音ちゃんは半年間、児相の職員さんやパパたちと悩んだり自分でも調べまくって、15歳になれば子供側から申し立てができる養子縁組を選択した。おじさんたちの了承が得られてからは中学にも復帰して、この夏休み中に引越する。「義務教育中なら転校も楽だし、今のうちに全部リセットする」それが最近の和音ちゃんの口癖で、あたしは。
―――むしょうにさみしくて。
「あーあ、愛媛遠いなー」
「高校生になったらスマホ買うから、LINEも楽になるよ」
「今ガラケーだもんね」
「和子ちゃんもじゃん」
「だってパパが機種変さしてくんないんだもん」
「高校生になったらね」
「うん」
ママの待つ車まで、刺すような日差しの中ゆっくり歩く。
「でも高校生になったら和音ちゃんは彼氏ができちゃってあたしのこと構ってくれなくなっちゃうんだ」
「そんな余裕ないよ。和子ちゃんこそ」
「エーだって」
あたしの目下の悩みは、和音ちゃんほどかっこいいひとが他にいないってこと。同級生の男子なんてお話にならないよー。
「男の子のほうが成長遅いんだからしかたないよ。今好きな人がいなくてもいいじゃん、この先いっぱい出てくるって」
和音ちゃんは笑うけど、それ、あたしに彼氏ができる根拠にならないからね!
fin.
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