第2回『再会』/ たましいのゆくえ
ばあちゃんに会えという。
おふくろのメールに、電車の中だというのに「なあ!?」と奇声が漏れた。添付された召喚状と概要に舌打ちを堪える。
ばあちゃんは3年前に死んだ。
だがとある学術機関のプロジェクト内の素体に指定され研究が成されており、その一環として生前を知る者との対話実験を行うのだそうだ。
ばあちゃんの葬式には遺体が無かった。「あたしの骨なんて残す必要ないだろ」と献体契約を締結していた。今時よくある話ではある。ただし、どんな研究に遣われるかは本人も遺族も普通知らない。
だのに今回は、ばあちゃんの面会に選ばれたという。
なんだ「死んだ人間に会える」って。
限りなく胡散臭いが召喚はほぼ強制、かわりに報酬はそれなり。怖い物見たさもあり、了承の旨を返送した。
「なぜあなたが選ばれたか、ですか? このプロジェクトは現在、実験素体に男女各5名ずつ、世代をばらして運営しています。被験者選抜基準もそれぞれです」
担当だという眼鏡が滔々と説明する。俺は初期メンバーで、対面は故人との親密度を徐々に上げていくそうだ。
その基準なら納得できる。俺はばあちゃんと親しくない。外孫で、年1会うかなー程度の関係だった。だからこそ、対話対象者として確保されていたのだと。
ガイダンスを受け、何十枚もの契約書や誓約書にサインさせられ、採血し、ざっとではあるが研究内容をレクチャーされた。
が、正直、さっぱり意味がわからない。
まず、ばあちゃんは仮想空間で復元される。
元となるデータはミクロなものではご近所交流の聞き取り。親族から提供された映像。web履歴。メール、デイサービス、電力使用時間、銀行引き出しタイミング。
マクロではビッグデータからの類似性抽出。人間の行動/思考/志向/文化レベル/民族性。その集約。
限りなく外側からのアプローチ。ガワだけ整えたような。ばあちゃん自ら内面を語ったものは何一つない。当然だ。研究所がばあちゃん自身に会ったのは死んでからで、もちろん一言だって交わすチャンスはなかったわけで。
なんつうオカルトか。こんな研究がまかり通ってるなんてびっくりだ。
《魂》が実在するかなんてわからない。でもロボットに心がないように、デジタルデータに心はないだろう。それは生きていると言わないと思う。
「心や感情は求めていません。Aという行動に相対するA'の反応を蓄積することで反射を上げ違和感を減らし、それに対する《こちら側》の感受を調べていますから」
実験に協力する者はみな同じことを訊くらしい。気持ちや心が継承されていないところで学習能力だけあってもそれは故人とは別物でないか、と。別物に見えないようにするのが第一段階目的です、と続く。
ただし学習を深めても成長はない、とも言われた。それはまた別の軸で研究されてるそうだ。ばあちゃんはこれ以上成長しなくてもいいが、若い被験者の親族はどう思っているんだろうか。ちょっと恐い。
丸一日予習に費やし、学生時代を遙かに置いてきた脳は飽和しきった。施設に1泊し、翌朝対面実験に向かう。たった1日で疲弊してしまい、正直なところ早く終われという気持ちが強い。
俺に付き添う研究員が黙々と準備を進める。実験室の手前でシャワーを浴び、素っ裸のまま
1分もたたずにドアが開き、ばあちゃんが現れた。
―――ばあちゃんだ。
外装の再現率に驚く。ちょっと覚束ない感じもせわしなさも、本人の癖に紛れて違和感がない。目もかなり自然な動きだった。細い目がこちらを見てもっと細くなる。
「勇太」
声も完璧だ。提供された動画から分析したんだろうその口調は、確かにばあちゃんだった。出来のよさに唸る。
「しばらくぶりだね、もういい兄さんじゃないか。腹もリッパになって。彼女はできたか?」
……そうだ。常々不躾千万を言うばあさんだった。毎度のあいさつにムッとする。
「いないよ。元気にしてた?」
仮想データに元気もなにもと思いつつ、以前のように返す。これは説明を受けている。時間の齟齬にどのようなふるまいを見せるかを、逆にデータを取るのだそうだ。
しかしばあちゃんは「なに言ってんの、あんた」と鼻で笑った。
「『元気にしてた?』なんて殊勝な言葉がでるようになったとはね。社会人生活も伊達じゃないってわけだ。最後に会った時は新卒の夏だっけ? 5年も経てば礼節も身につくのかね」
……本当にかわいげのないばばあだ。しかも当人は褒めてるつもりなので余計たちが悪い。
子供の頃から小太りな俺は外見嘲罵するばあちゃんが恐くて、この家を訪ねるのは苦痛だった。同居のいとこたちによく平気だねと口走ったこともある。そんなとき、彼らは眉をハの字にしながらも、ああいうひとだからと笑った。人に弱みを見せてはいけない。それがばあちゃんの人生哲学で、言葉が裏腹だということは大学生になる頃にやっと理解できた。向こうが軟化したのではない。こちらが多少は大人になったというだけだ。
まあ、それがわかったからといって、幼い頃から蓄積された忌避感は拭えるものでなく、苦手意識は変わらず。俺は容赦ない言葉に傷ついたし、子供にそんな態度をとっておいて愛情からだから赦しなさいというのは傲慢だと思う。
つまりはそういう人だった。
ぽんぽんと交わされる言葉の応酬はタイムラグもなく、イラッとするところまで懐かしいものだった。多少意地悪な問いかけをしても、目に見えたフリーズはせず、ニヤリと笑ったり姿勢を変えたりして時間を稼ぐところなど、普通に普通だ。いかにもなシニカルさに笑ってしまう。まざる身振りもそのものだ。本当によくできている。多少の昔語りまでされて、確かにこのレベルで見せられたら『本物だ』と言われても、「ああ、うん」くらいは頷いてしまうかもしれない。技術は世間が知らぬ間に進んでいた。
けれど、仮想空間に頭が疲れてきたし、この部屋以外ではまだ実現できない。直前までばあちゃんは存在してなかったし、これが終わればこの映像も消える。そのとき、その瞬間だけ。
ともあれ、割と気負いもなく小一時間の会話は終わった。
「まあ、元気そうでよかったよ。会えてよかった」
あながち嘘でもなくそう言いながら席を立つと、同じく立ち上がったばあちゃんが声を潜め周囲を憚るように包みを出した。
「ほら、これ、もっていきな。愛子には内緒だよ」
「いらないって、俺もう働いてるからさあ」
反射的に口から出た言葉にはっとする。これは
でも確かにそう言った。5年前の別れ際、おふくろが席を外した瞬間、数万円の入ったポチ袋を俺の手に捻り込んだ。甦る、乾いた指の、妙につるりとした感触。
この会話を、した。
映像がぶれる。
これは秘密の思い出なんかじゃない、世の幾多のばあちゃんが孫に贈る行為のフィードバックだ。ビッグデータからの確率で導き出されたよくある話だ。
―――泣き出した俺を見て、ばあちゃんが苦笑を浮かべる。
「別にあんたを莫迦にしてんじゃないよ、ニュースなんかで見るからさあ。今の若い子は大変なんだろ?」
「もう若かねえよ」
「28なんてまだひよこだよ。いいからとっときな」
グローブに軽い感触が当たる。実際はないのに。空気圧が中の手を刺激しただけ。わかってる。わかってるんだ。
「わかったよ、悪いな」
「じゃあね、メタボなんかなるんじゃないよ、みっともない。こっから中年まっしぐらだかんね」
「はいはい。じゃあな、また来るよ」
口調だけは憎々しく、だけど寂しげに笑って、ばあちゃんは手を振った。
手筈通り部屋を出る。閉じたドアに凭れているとすぐに研究員が現れた。2人で装備を剥ぐ。拭えないままだった涙は、気化してディスプレイを曇らせこわばりを目元に残した。塩分濃度が高すぎる。痒い。なぜか温かく湿ったタオルが差し出され、気まずくも受け取って目元に当てた。じんなりと、じんわりと熱が沁みる。再びシャワーを浴びて、ラウンジに向かった。
紅葉が綺麗だ。先ほどとは違う、明るい自然光が差し込む中で2度目の採血の後、出されたコーヒーを啜りながら質疑応答に入る。
「いかがでした」
「ばあちゃんでしたね」
実験前に考えていた《魂》なんていらなかった。《心》なんて。
俺はばあちゃんの魂なんて知らなかったのだ。そりゃそうだ。そんなもの、見たことがない。見ていたのは、知っていたのは、ただ年に1回会うかどうかの老女の行動だけ。
そうだ、言われていたのに俺はバカだ。
『受動側の観測』だ。これは俺を観る実験なんだ。
―――外側を《見た》だけで、ここまで中身を補完してしまうなんて。
俺はもう、あのばあちゃんが心を持ち魂を持ち、今もあの部屋で家族に思いを馳せているんじゃ……なんて心配までしてしまう。
なんてやっすい造りだ、俺の脳みそ。
生きてないのに、俺が勝手に推察してしまう。
そんなの、相手が生きてたって同じだろ?
去り際の研究員の言葉が頭骨に貼り付いて取れそうにない。
『《個人》をかたち造るのは集団です。人は行動でしか人の中に残らないのですよ』
じゃあ俺のこの想いはどこへいくんだろう。この葛藤は。
アパートに戻る道すがら、まだ高い空を仰いだ。
fin.
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