アンソロジー in Text-Revolutions
まるた曜子
第1回『初めての××』/ ラ・ドルチェ・ヴィータは知らない
「ただいまあー。あー寒」
「おかえり
「あー、
「わかったー」
今でこそ『わかって』いるが、二人暮らしになって初めてこれを言われたときは、
会社で既婚男性に訊いたところ、『オンナはアレの時は気が立ってるから気を遣え、大事にしろ、ワガママを叶えろ、ってことだよ。何様だよと思うが喧嘩になるともっと面倒だから言うこと聞いとけ』と溜め息混じりに解説され、そんなものかと頷いた。確かに具合悪そうな顔色だし、怠そうにしていたりもするが、別に絢音の実家である
じゃあまあ、いつも通りにしていればいいのだなと、いつも通りにしたら間違えた。いつものようにふにゃりと甘えて、何気なく尻に手を回して指にそれが当たったのと、絢音がびくりと身を引くのが同時だった。
「あ、バカ、ダメって言ったのに」
「今のって」
「……ナプキン」
「………」
「気をつけてって言ったのにー。お互いヤでしょー?」
「ゴメン、でもムリだよ、あれでわかれって。今までなかったし」
「なかったんじゃなくて、ないようにしてたの。晴んちには行かないようにしてたし、あっちの家で一緒だった頃はダメって断ってたでしょー」
「……ああ、あれ、調子悪いから断られてんだと思ってた」
「それもあったけど。……まあ、うん、そうか、誰しも初めてはあるよね、あたしの説明が足りなかったよ。そういうわけで、『生理始まったー』って言ったら触るとき気をつけること」
絢音は何事も一度目は怒らないようにしているそうだ。10年分の人生経験の差と、「晴は女の子とつきあったことないもんね」という大前提のせいだ。むかりとくる言い分だが本当のことなので反論できない。
まあ確かに思わぬところで「女の人ってそうなんだ!」と驚くことがあるので、彼女の対応は理性的といえる。件の先輩は2つ下の妻からの細かい言いがかり(先輩の一方的な泣き寝入りで収束)が絶えないそうで、最近ではむしろ晴禎が羨ましいと言ってくる始末。ただしそんな妻の我が儘を楽しげに語る先輩に、絢音とのことを仲良しアピールしてんじゃねえなどと詰られる筋合いは無いと思うのだが。
今ではもちろん毎月のことだ。すっかり慣れて、『なるべく触れないようにする』結婚当初より進み、生理用品が当たらないようクッションを挟んでくっつく、という習慣がついた。冬でも夏でも、温めるほうが楽なのだそうだ。
リビングのローテーブル横の座椅子に腰掛け、小柄な身体で凭れてくる絢音を足の間に挟みながら、リクエスト通り彼女の下腹へ服越しに手を当てる。「はー
「絢音さんはダメなときダメって言うから楽なんだって」
「なにが?」
「先輩に『お前んちの奥さん甘い。理不尽な喧嘩とかふっかけられねーのありえない』って言われたんだけど、どっちかっていうと、俺が失敗しないように先に言ってくれるじゃん。逆もか。いいときにいいよって言ってくれるからか」
「……ああ」
「?」
「いまちょっとたけちゃんに言われた意味わかった。察しろって、ムチャゆーな、だよね」
「なに、突然」
「年上に
絢音の言っていることは、期待値が高ければ幻滅しやすい、ということだろう。つまり晴禎ははなから期待されていなかったということで。
「んー、なんでだろ、晴にはあたしがちゃんとしなきゃってのが抜けないんだね」
「俺がちゃんとしてないから?」
「違う違う、むしろこのこがんばってるーって思ってた。だからあたしもちゃんとしなきゃ、先達としてしっかりした姿を見せなきゃってずっと思ってたから、クセになってるんだね」
「そうだったの? そんなに気張る必要なかったのに。俺は絢音さんがいつも楽しそうなのがすごく楽だった。楽しめばいいんだって、思えて」
「えー、そうなのー? だって晴、尊敬してるとか言うから、こっちだって失望されたくないし、やっぱり凄いって思われたいもん、がんばってたのになあ」
「うん、凄いよ。俺、なんにでも前向きで、文句は言っても手は抜かなくて、対外的なことはキチンとしないと気が済まないとこ、尊敬してるよ。部屋が片付かなくて不精者なのは、絢音さんのかわいいとこだよね」
「なんだろう、最後のはイヤミかしらん……」
「オンもオフも見られるのが一緒にいるいいところ」
「それはいい意見だ」
絢音がリビングでダラダラしてるのも好きだ。白城の家の時よりラフで、ゆるいところとか晴禎がイタズラしても大丈夫なところとか。やはり結婚して正解だった。晴禎が一人暮らししていた部屋でも似たような姿は見られたが、『帰る』という縛りはそこまで彼女をラフにさせなかった。
「話戻すとさ、相手に一方的に高さを求めるって、駄目だよね。あたし甘えてたんだなあ。……今までの人に悪いことした」
「あ、ダメだよ絢音さん、下に甘いのだって心配なのに、上にも優しくなったらいろいろ危険だ」
もともと絢音の好みはしっかりした年上の男だ。けれど、恋愛対象外なかわりに寛大な年下枠から自分という例外を作らせてしまった上に、頼りなさの年齢制限が撤廃されて許容範囲が広がるのは看過できない。しかもすでに片鱗を見る機会があった。晴禎の父
結婚後、年始に久々に
それを思い出しながら晴禎が口を尖らすと、絢音は苦笑いを浮かべた。
「そんなさあ、なんでもかんでも恋愛感情にもってかなくても。そうじゃなくてさ、今もそのクセはありそうだから、仕事でも気をつけなきゃな、くらいの話」
「そう? でも野郎が勘違いするの、困る」
「そんなんじゃないって。晴はあたしがどんだけモテると思ってるのかな」
アイドルじゃあるまいしと絢音が否定を重ね笑うので、手を乗せている下腹が笑いに合わせて上下する。しかし晴禎としては油断できない。絢音の気持ちは確信しているが、他人の気持ちは制御できない。
「会社でさ、『白城さんっていいよね』って言われたら嬉しいけど、それはむしろあたしの下は働きやすいとかあたしに頼んで上手くいったとかだよ。晴だってそうでしょ」
「あー。うん。俺も言われたい」
20歳で入社して4年、同い年の後輩が入社してきたこともある身としては、技術で負けるのは単純に悔しい。会社は仕事をするところだという主張には頷けるのだが、研究開発系の己の職場より華やかなイメージのある絢音の職場には、ついテレビドラマのような人間関係を想像してしまう。だが絢音はそれを一蹴する。「ドロ沼複数社内恋愛とか不倫とか、ゼロとは言わないけどやたらにあるもんじゃないって」凭れた後頭部を晴禎の胸にぐりぐりと押しつけながら、絢音は諭すように続ける。
「晴は春臣さんと
「二股っていつの話」
「高校の時」
「バカだなーそいつ。高校生の絢音さんなんてすっごいかわいかったろうに」
「そこじゃない」
「制服ってどんな?」
「フツーの。ブレザーにチェックのボックスプリーツスカート」
「いいなあ。見てみたいなあ。着てよ」
「何言ってんの? 捨てたよ、卒業してすぐ」
「えー。じゃあ写真は?」
「ない。見せたくないし。高校生なんてあたし史上2番目パツパツだし」
「え、
「体重は今と変わんないけど、なんかツヤッツヤしてた。なんだろう、若さゆえ? ピチピチ? 中学が最高パツパツで、たぶん、20代が一番痩せててすっきり。今はなんか体重やや増だけど、それ以上に
「制服買おうよ。着てみせて」
「やだよなんでそんなキャバクラのコスプレ
上半身を捻って背後の晴禎を見上げてくる怒り呆れ顔の絢音がかわいくて、晴禎は満面の笑顔で答えた。
「さんじゅーよん」
「鬼や、鬼がおる……」
二人の帰宅からの数時間。真面目な気持ちもくだらない話も、整理整頓されずに降り積もってゆく。
今日もまた、話は盛大に滑って、着地した。
fin
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