14
「ただいま……」
「香……っ!」
玄関を開き家に入った香に、母が駆け寄った。不安げに眉尻を下げ瞳を潤ませながら、息子の両肩を掴む。
「遅かったじゃない! どこに行ってたのよ……!」
「ご、ごめんなさい……」
取り乱す母の様子に戸惑いながら、香は小さく言う。
それから少し、言い訳を考えた。
「……急に用事が出来たんだ。連絡するヒマもなくて。ごめんなさい、お母さん」
香は携帯電話などの機器を持っていない。緊急の連絡は出来ないが、これまでに必要になったことが無かった。
どうしても必要なら、職員室で電話を借りれば良いことだとすら思っていたほどだ。
「月曜日からも遅くなるかも知れないけど……心配しなくても大丈夫だからね。僕はちゃんと、ここに帰ってくるから。お母さんのとこに」
母を安心させたくて、泣かせたくなくて、香は必死に言葉を探す。
勉強なんてどれだけ出来ても、こういう時、母にすら言いたいことを言葉に出来ない。
「…………分かったわ」
納得はしていないようだったが、母は頷いた。
チクリと痛む胸をごまかすように、「宿題するから」と香は自室のある二階に上がる。
だって、言えるわけがないじゃないか。あの母に、「軽音部に入れと言われた」なんてこと。明日からも行かなければいけないなんてこと。
部屋に入るなり、香はベッドの枕元に置いてあった写真立てを手にとった。中の写真に写っているのは、当時まだ赤ん坊だった香を抱き、幸せそうに笑う両親の姿。とても古い写真だ。
「……お父さん、なの?」
蚊の鳴くような声で小さく、写真の中の満面の笑顔に問いかける。
香が物心つくよりずっと前に亡くなった、父に。
「お父さんが、僕をこの道に引き入れたの? 僕は……どうしたらいいの?」
応えなど、返ってくる筈はないと分かっていながら。
しばらく写真を見つめた後、ふうっと息を吐き出し、香は写真立てを元の場所に戻して机に向かった。
宿題を済ませて食事を取り、再び二階に上がった香は、自分の部屋の前で立ち止まった。
何を思ったか、隣の部屋の扉を見つめる。生前、父が使っていた部屋だ。
母が入ったのは一度も見たことがなく、勿論、自分が入ったこともない。
しばらく見つめた後、香は足を動かした。
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