第21話 約束(2)


 あのとき、どう返事をしただろうか。分かってる、と言ったかもしれない。しかしそれは約束というより、普段の姉の勝手なわがままに、適当に相槌を打ったというだけだ。

 そう言った姉の桜はもういない。果たすべき約束だとも思ってはいない。


 鷲尾からも誘われたように、二年も真面目に冒険者をやっていれば、当然パーティーに誘われたことも、何度かある。

 パーティーを組めば、仕事の幅も広がる。

 受けられる依頼も増えるし、なにより危険が減る。

 自分でも、何かに拘っているつもりはないのに、いつも桜の言葉がちらつく。 


「……まあ、必要でも無いかなと思って」

「そうなの?」

「あ、いや。依頼によっては組むこともあるぜ。その仕事によって、紹介されたりするし」

「パーティー組んだほうが、いいんだと思ってた。でも、小野原くんみたいに一人でやってる人も、けっこういるの?」

「いると思うけど」

 ソロのメリットは、気楽なことと、報酬を分配する必要がないことだ。

 だからといって効率が良いかというと、そうでもない。一人で大きな仕事はそう出来ないし、即席のチームを組むにしても、元々パーティーを組んでいる連中のチームワークの見事さにはやはり敵わない。同じダンジョンを攻略していて、何度出し抜かれたことか知れない。

「それじゃパーティーって組まなくても、いいのかな?」

 紅子に間違った知識が生まれそうだったので、シオンは慌てた。

「悪くはないけど、良くもないだろ。やりたい仕事の内容にもよるだろうし、探索や戦闘のスタンスにもよるだろうし……お前は、ソーサラーだろ?」

「うん」

「なら、パーティーは組んだほうがいい。自分を護って戦ってくれる仲間は、少なくとも最初のうちは、必要だと思うぜ。それに……」

 と言いかけ、シオンは口をつぐんだが、紅子は聞き逃さなかった。

「それに?」

「あ、いや」

「言いかけたら言ってよー」

 と、子供のように口を尖らせる。

「……うん。ソロのほうが、死にやすいからな」

 死、という言葉が、初心者の彼女にはきつ過ぎるかと思ったのだが、紅子はただ真剣な顔で頷いた。

「そっかぁ……。色々教えてくれてありがとう」

 ひととおり納得したように、紅子はそう言った。

 そして、すっかり冷めたオムライスの残りを、片付け始めた。



 紅子が食べ終わるのを待つ間、相変わらず一生懸命食べる彼女の様子や、窓の外の空を眺めたりしながら、シオンはぼんやりしていた。


 桜の言葉が、耳の奥に響く。


(あたし以外の人と、パーティー組まないでね。特に、女の子とは)


 勝手な言い分だ。自分はさっさと冒険者になって、パーティーを組んでいたくせに。

 あんなもの、口約束にすらなっていない。いつもの押し付けで。

 しかも死んでしまったのだから、バカ正直に守る必要は、無いと思っている。

 思っているのに、なんとなく、シオンはずっと一人だった。


(……ねえ)


 あのときの彼女が、いつもと違っていたからだろうか。

 言ってることは普段と変わりない、ただのわがままなのに。

 シオンの指に、おずおずと細い指を絡めて、その指の力が、あまりに弱々しかったからだろうか。


(シオンは、あたしのなんだから)


 勝手にそう言って、勝手に死んだ。

 彼女の命は、彼女が自分で好きに使って、死んだ。

 シオンに残されたのは思い出と、一方的な約束だけだ。


 宝も、名誉も、欲しくはない。

 金も、そんなにたくさんは必要ない。

 欲しいのは、ただ。

 父と、姉と、三人で穏やかな食卓を囲んでいた、あの優しい日々だけだ。



「ああ、美味しかった。ごちそうさま!」

 ついに全部食べ終わった紅子が、にこにこと手を合わせた。

「ごめんね、時間かかっちゃって」

「いや、いいけど。……ああ、そうだ。デザート食うか?」

「えっ、いいよ、いいよ!」

 紅子がふるふると首を振る。

「ああ、さすがにもう食えないか」

「あ、ううん、食べれるけど……」

 食えるのか、とシオンは内心で思ったが、それを言えばきっと女子には失礼だろうと、突っ込まなかった。

「さすがに、悪いから」

「オレはいいけど……」

 とは言え、そろそろセンターを出て、一時間半は経っている。

 とっくに昼時になり、《オデュッセイア》の店内も混んできた。満席ではないのでデザートを食べるくらい許されるだろうが、シオンはヒマでも紅子は違うかもしれない。

 出たほうがいいか、と思い始めていると、と紅子が声を上げた。

「あっ、でも、やっぱり食べようかな。いい?」

「ん? ああ。いいけど」

「んーとね。これ。気になってたんだ」

 と、紅子がメニューを開いて見せ、デザートの写真を指差した。

「これ、可愛いよね。気まぐれラビットのスペシャルバナナパフェ」

「そんなのあったのか」

 デザートのページなんて見たことが無かった。ラビットなんとかパフェの写真には、アイスクリームで飾ったパフェの上部に、縦に半分に切ったバナナが突き立っていて、うさぎの二つの耳に見立てているようだ。

 忙しげに皿や水を運ぶミサホが近くを通ったとき、それを一つ頼んだ。

「ごめんね、なんか私ばっかり」

「いいよ」

 そうシオンが答えたあと、紅子はしばらく黙った。何か言いたそうだが、言わない。そのうち、俯いてしまった。

 もしや、また様子がおかしくなるのではと、シオンは身構えていると、やがて彼女らしくない、小さく、弱々しい声を、ぽつりと漏らした。

「あ、あのね」

 顔を上げた紅子は、可愛らしい顔を真っ赤にし、恥ずかしげに言った。

「もうちょっと、喋りたかったの」

 えへへ、と困ったように微笑まれ、シオンも自分の頬が少し熱くなったのが分かった。


 店を出た紅子が、ぺこりと頭を下げた。

「本当に、今日はありがとう。ごちそうさまでした」

「時間取らせて、ごめんね。でも、お話してもらえて、楽しかった!」

「ああ。オレも」

「ほんと?」

「うん。楽しかったよ」

 中学時代の嫌な思い出が、少し和らいだ。

 嫌なことばかり印象に残っていて、他の事なんて忘れてしまっていた。

「たまには、誰かと話すのもいいな」

 ぱぁっと紅子の顔が明るくなる。

「良かった! 私も、小野原くんと会えて良かったよ」

「そっか」

 シオンもつられて微笑んだ。

「今日はほんとは、朝からすごく緊張してて、冒険者になれるのかなって、不安だったし。でも、今日来て、ほんとに良かった。小野原くんに会えたもの」

「オレも、浅羽に会えて、良かったよ」

 そう言うと、紅子の頬がぱっと赤くなった。

「冒険者になれたら、私もここに通うから。そしたら、小野原くんとも、また会えるね。受かるといいなぁ」

「……ソーサラーなら、大丈夫じゃないかな」

「だといいな」

「あとは、家族の許可くらいだから」

 それに関しても、紅子の話では問題無いようだった。

 シオンとしては、かえって心配になったのだが。

 しかし、冒険者になる事情は人それぞれだ。シオンの考え方だけで、他人の生き方にあれこれ口を挟むことは、はばかられた。


「あの、さ」

 ためらいがちに、シオンは口を開いた。

「浅羽、ケータイ持ってるか?」

「あ、うん。持ってるよー」

 よいしょ、と紅子は学生鞄を抱え、中を開けた。いまどき少し古風に思える革の手提げ鞄だ。そこからピンクの携帯電話を取り出す。

「番号、交換しようぜ。別に連絡しなくてもいいけど、もし、冒険者のことで誰かに相談したいことがあったら、オレに訊いてくれてもいいし……」

 言いながら、自分から人に番号を教えるなんて、初めてだと気付いた。

「本当? いいの?」

「ああ。別に、使わなくても、どっちでもいいけど……」

「ありがとう! すっごくうれしい!」

 紅子はぱっとシオンの両手を取った。鞄がどさりと落ちる。

 その音よりも、人に触れられるなんて久しぶりで、シオンはびくりと身を震わせた。猫に似た耳がぴんと立ち、尻尾を大きく振ってしまった。

「あ、ごめんね。急に……」

 シオンを驚かせた紅子は、慌てて手を離した。その頬にみるみる赤みがさす。

 いったい今日は何度、彼女の赤い顔を見ただろう。

「な、馴れ馴れしかったね。嬉しくて……つい」

「いや……」

 えへへ、と紅子が笑う。



 細く、白い指が離れても、シオンの手にその感触が残った。


 指が離れていくのを、何故か悲しいと思った。

 その感触は、シオンの胸の奥に小さな火を付けたような感覚を生み、鋭い痛みを与えて、消えた。

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