第14話 島へ

数日が慌しく過ぎて俺と美緒は機上の人となった。

高柳先生から1ヶ月と言う期間限定の許しを得て島での2人だけの生活が始まろうとしていた。


美緒は今、俺の隣で気持ち良さそうに眠っている。

しばらくすると機内アナウンスが流れた。


『当機は間もなく高度を下げ着陸態勢に入ります……』


シートを倒して寝ている美緒を起こしてシートを元に戻す。


「美緒、そろそろ着陸だ。起きてくれ」


「う~ん」


美緒が伸びをして窓の外を見ると綺麗な海が見えた。


「来たんだね。島に」


感極まって美緒の瞳が潤んでいた。


「泣くなよ。これからは大変だぞ」


「うん、でも平気だよ。やっ君がいつも側に居てくれるんだもん」


「仕事の時は留守番だからな」


「ええ、一緒が良いよ」


「我がままを言うな」



美緒が車椅子なので一番前の座席に優先的に座らせてもらていたが島までの直行便はジャンボではなく中型のジェット機なのでかなり窮屈だった。

飛行機が徐々に高度を下げ市街地が見えてくる。

美緒の体を右手で支えて足を前の壁に当てて体を固定すると同時に着陸する衝撃を感じブレーキがかかり逆噴射で体が前のめりになる。

直ぐにゆっくりとしたスピードになり飛行機が完全に止まり乗客が次々に降りていく。

他の乗客が降りたのを確認してアテンダントが声を掛けてくれた。

美緒を抱き上げてタラップを降りると南国特有のムッとした空気に包まれた。

空港スタッフが車椅子を用意していてくれたが美緒に乗るかと聞くと横に首を振った。

係員に礼を言って到着ロビーに向かい歩き出した。

到着ロビーで車椅子とバックを受け取りタクシーでマンションに向う。


「ねぇ、やっ君。海が見たいな」


「今日は体を休めるんだ」


「美緒のお願いは何でも聞いてくれるって」


「駄目だ、美緒の体が最優先だ」


「意地悪!」


「駄目な物は駄目だ」


「本当に頑固で融通が利かないんだから」


「美緒の事が好きだからこそ厳しい事も言うんだ」


「良かった。やっ君は何も変ってないんだ」


「試したな」


「えへへ、意地悪言うからだよ」


そんな事を話しているとタクシーは俺の住んでいるマンションに到着した。

美緒をタクシーで待たせて駐車場に止めてある俺の車に車椅子を積み込み。

バックを肩に下げて美緒を抱き上げ3階の部屋まで上がる。


「大丈夫?」


「美緒は軽いからな」


「もう、意地悪」


「本当だよ」


部屋に入り美緒をベッドの上に座らせ、バッグを床に置いた。


「うわ、やっ君の匂いがする」


美緒がベッドに倒れこみ匂いを嗅いでいた。


「汗臭くないか、明日ちゃんと洗濯するからな」


「平気だよ、でも部屋の中が凄いよ」


新聞や洗濯物は散らかり放題で女の子を部屋に入れられる様な状態じゃない。

美緒の言うとおり部屋の中は凄まじい事になっていた。


「片付ける時間が無かったんだよ」


「もう、そんな事を言って。しょうがないか男の人の部屋なんてこんな物だよね」


「そう言う事にしてくれ」


「なんだか意味ありげな言い方だな、はっきり言えば良いじゃん」


美緒が不服そうに言う。

仕方なくため息をつきながら美緒の横に座った。


「実は焦っていたんだ。美緒の両親に話しを聞いて予約していたチケットをキャンセルして、直ぐに東京行きの空席を調べてもらったら翌日の朝1便しか空席が無くて。家に戻ってとりあえず荷物をバックに詰め込んで、翌日の1便に飛び乗ったんだよ」


「えっ、それじゃ。美緒に会うために?」


「飛行機の中じゃドキドキだったんだぞ。美緒に冷たくされたらどうしようなんて考えてな」


「でも、あの時は普通に話しかけてくれたじゃん」


「心臓が止まりそうなくらい緊張していたんだよ。でも美緒の笑顔を見た瞬間、会いに来て良かったって思ったよ」


「私も再会できて嬉しい。ありがとう」


「お礼なんて要らないよ夫婦だろ」


「うん」


「それじゃ、部屋を片付けるから美緒は少し横になって休むんだ」


「判った」


美緒が横になるのを見てから部屋の片づけを始める。

しばらくすると美緒が可愛らしい寝息を立てながら眠っていた。

近くのスーパーまで夕飯の買い物に出て簡単なパスタを作り美緒を起こして食事をする。

その後は他愛の無い会話をしながら俺は仕事をするためにPCに向っていた。



どれくらい時間がたったのだろう外はすっかり暗くなり美緒はしらない間に本を読みながら寝ていた。

仕事も一段落したのでぐっすりと寝ている美緒をタオルケットごと抱き上げて起こさないように下の駐車場に向かい助手席に美緒を寝かせて静かに車を出した。

市内を抜けて海岸線を走り20分ほど車を走らせると未舗装の農道に入る。

多少車が揺れても美緒は目を覚まさなかった。

車を止めて美緒を抱き上げると美緒が目を覚ました。


「やっ君?」


「八雲美緒は拉致された。良いと言うまで目を開けるな」


低い声で美緒の耳元で囁いた。


「うふふ、面白い」


美緒がそう言って目を閉じた。

少し歩くと心地よい風が吹きぬけ穏やかな波の音が聞こえる。

砂浜の上に美緒を寝かせ横に座った。


「やっ君、もう目を開けて良い? 波の音がするよ」


「開けてごらん」


「うわぁ、凄い星空だ。星が輝いてる」


「変ってないだろ」


「うん。昔、一緒に見た星空と何も変ってないね」


美緒の目にはあの頃と変らない満天の星空が飛び込んできた。


「あれが白鳥座のデネブ、鷲座のアルタイルに事座のベガで夏の大三角形。そろそろオリオン座や昴も見えるからもう直ぐ秋の星座に変っていくんだ」


「うん」


「泣いているのか?」


「だって、嬉しくって。本当に島に来れるなんて思ってもみなかったから」


「明日は海に行こうな」


「ねぇ、やっ君。その、キ、キスして」


何も言わずに美緒に優しくキスをした。




翌朝、美緒が目を覚ますと病院と違う天井が目に入る。

寝ぼけ眼で起き上がるとそこは昔とあまり変らない八雲の部屋だった。


「私、島に来たんだ。あれ? やっ君!」


名前を呼ぶが返事が無かった、少し不安になりベッドに腰掛けて立ち上がろうとすると玄関が開く音がした。


「やっ君なの?」


「おっ、目が覚めたか? よく寝てたな」


時計を見るとお昼前になっていた。


「どこに行ってたの?」


「送った荷物を取りにだよ」


遅い朝食を済ませて海に行く準備をする。

自分の着替えを済ませて荷物を運んでいると着替えをしている美緒に呼ばれた。


「やっ君、お願い」


「なんだ、開けるぞ」


部屋に入ると美緒はまだ水着に着替えている途中だった。


「紐が結べないの。結んでよ」


「しょうがないなぁ」


美緒が胸のところでオレンジ色のストライプのブラを抑えていた。


「紐を結べば良いんだな、しかし美緒はスタイル変らないな」


「もう、エッチ」


「上はこのTシャツでって俺のじゃんか」


「良いんだもん、夫婦だから」


「はいはい、判りました」


美緒にTシャツを着せて抱き上げようとする。


「やっ君、おんぶ」


「はぁ?」


「だから、お・ん・ぶ」


「かしこまりました。お姫様」


美緒を負ぶさり部屋を後にする。

そして車で昨夜、星をみたビーチに向った。



「うわぁ、海だ! 海だ! 綺麗だね」


美緒がハイテンションで大喜びした。


「昨夜来た、海だよ」


「へぇ、前は来なかったよね」


「そうだな、前はキャンプ場が多かったからな」


「次はキャンプ場ね」


「判ったよ」


パラソルの下に美緒を座らせて日焼け止めを美緒の体に塗っていると美緒がボードに気が付いた。


「ああ、私のボディボーだ」


「哲也さんに頼んで荷物と一緒に送ってもらったんだよ」


「早く、早く」


「そんなに慌てなくても海は逃げないよ」


波打ち際にボードを置いて美緒と一緒に海に入る。

海の水はまだまだ夏のままだった。


「気持ち良い、何年ぶりだろう海に入るの」


「そうなのか?」


「うん、さすがのお兄ちゃんも怖がって私を海なんかに連れて行かなかったもん」


「本当に気持ちが良いな」


「島の海は最高だね、波は静かだし」


美緒が仰向けに体を投げ出して浮いている。

離れないように手を握り俺も仰向けに浮くと大きな青空が目の前に広がった。


「大きな空、優しい海。大好きな人と一緒、幸せだな」


「俺も幸せだよ」


2人の間にはゆっくりとした時間が流れていた。




翌日も昼前に美緒が目を覚ますと目の前には八雲の寝顔があった。


「うふふ、やっ君の寝顔可愛い。チュッ」


「ん? 美緒? おはよう。今、何かしただろ」


「おはよー、やっ君。何もしてないもん」


「こら、白状しろ」


美緒の鼻を軽く摘む。


「もう、おはようのチュウをしただけだよ。今日はどこに行くの?」


「今日は事務所で仕事だよ。東京の商店街の報告もしなきゃいけないからな」


「こんな時間から?」


「俺はフレックスなんだ、タイムカードも無いし。だから夜でも仕事をしているだろ」


「ねぇ、それじゃ美緒はお留守番?」


「ピンポン! 正解です」


「嫌だ、1人は詰まんないよ」


「我がままを言うなって言った筈だろ」


「それじゃ、車の中で待ってる」


「仕方の無い奴だな、時間が掛かっても知らないぞ」


「1人で家に居るよりましだもん」


美緒を助手席に乗せて事務所に向う。

事務所は街から少し外れた高台にあった。




事務所前の駐車場に車を止めて事務所に入る。


「ただいま戻りましたって、あれ?」


何故だか事務所の中が激変していた。

東京に帰る前に1度だけ来た事があるのだがその時は、歩くだけで荷物や書類が落ちそうなくらい雑然としていたはずだ。

それなのに台風で吹き飛ばされたのかと思うくらいすっきりと整理整頓され気のせいか通路も広くなっていた。


「社長。今、戻りました」


「八雲君、どうしたの? 鳩が豆鉄砲みたいな顔をして」


「えっ、だって何があったんですか? 事務所の中がまるでバリアフリーみたいにって、まさか……」


嫌な予感がした。


「何で1人で来たの?」


「仕事ですから」


「奥さんは? 私達には紹介もしてくれないんだ」


「いや、別にそう言うつもりじゃないですけれど。後できちんと紹介しますよ」


「車に居るんでしょ?」


社長が事務所の窓から俺の車の中を覗いて見ている。


「まぁ」


「まぁ、じゃ無く早くここに連れてきなさい!」


「へぇ?」


「早くする!」


「は、はい」


先輩の玉城さんが社長の後ろで肩を震わせながら笑いを堪えていた。

社長に怒鳴られ渋々美緒を迎えに行くと美緒が心配そうな顔をしている。


「どうしたの? やっ君、渋い顔して。もしかして仕事に美緒が着いて来たから怒られたとか」


「判らないけれど社長が、美緒を連れて来いって」


「う~、仕方が無いなぁ」


車椅子に美緒を座らせて事務所に入ると社長が腕組みをして待ち構えていた。


「社長、連れてきましたよ。妻の美緒です」


「はじめまして」


美緒が少し戸惑いながら挨拶をすると社長が微笑んだ。


「はじめまして、私がここの社長の仲村ルコです。宜しくね。それとそこで仕事をしている振りをしているのがもう1人のスタッフの玉城君よ」


「ルコさん、振りってちゃんと仕事しています。酷いなもう」


「玉ちゃんは東京の女の子スタッフとメールでもしてるのかと思った」


「連絡を取り合っているだけです」


呆気に取られていると美緒が俺の手を軽く引っ張った。


「やっ君、素敵な社長さんだね。ビシッとスーツを着て長い綺麗な髪を1つに纏めて出来る女社長って感じかな」


「切れモンで怖いんだぞ。凄く」


「でも、面白そうな人じゃん」


「へぇ~ やっ君って呼ばれているんだ。八雲君は」


俺が社長を見ると、社長がメチャ楽しそうな顔をしていた。


「いけませんか? 昔から美緒はこの呼び方なんです」


「それじゃ、やっ君。そんな所に突っ立ってないで中に入りなさい」


「やっ君は勘弁してくださいよ、社長」


「可愛い奥さん専用なの?」


「違いますけど」


「それじゃ良いじゃない」


「好きにしてください。これが東京の状況です、集客と売り上げの報告書です」


ルコさんに書類を渡して自分のデスクに向う。


「ここが俺のデスクだよ。って俺の椅子は?」


机の上が綺麗に片付けられていて電話とメモ帳くらいしか置いてなく椅子すら無くなっていた。


「あっちよ、今日からやっ君のデスクは」


ルコさんが指差す方を見るとそこはPCデスクだった。

俺がPCデスクに向うとルコさんが美緒の車椅子を俺が使うはずだったデスクの前に着けた。


「今日から、ここが美緒ちゃんのデスクよ。電話番くらいなら出来るわよね」


「えっ? はい!」


美緒が嬉しそうに目をまん丸にして満面の笑顔で答えた。


「玉ちゃん、決定よ。タイムカード押しておいて」


「了解です」


「ルコさんも玉さんも何を言ってるんですか?」


「だから採用決定よ。きちんと給料も時給で払うわよ」


「そうじゃなくて」


「それじゃ、やっ君が仕事の時は美緒ちゃんはどうするの?」


「置いてきます。マンションに」


「可哀相じゃない、心配じゃないの?」


「心配ですけど仕事は仕事ですから」


「本当に堅物ね。これは社長命令よ、必ず事務所で仕事の時は連れてきなさい。いい事」


嫌な予感が的中して全身から力が抜けて椅子にヘタレ込んだ。

美緒を見ると、とても楽しそうにルコさんから電話のやり取りの仕方を教わっていた。

美緒が楽しいならそれで良いんじゃないかなんて事を考えていると玉さんが声を掛けてきた。


「やっ君、お仕事。大好きな奥さんばっかり見ているとルコさんに怒鳴られるぞ」


「玉さんまで、勘弁してくださいよ」


PCに向かい仕事を始めると今度は美緒が嬉しそうに見ていた。

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