第94話 若い熊

4月も終わりが見えてきた頃、罠の見回りをしていた与作が慌てて八尾の所に駆け込んできた。


「ヤオにーちゃ、てぇへんだ、てぇへんなんだ。罠の近くに熊の足跡ばあっただ」


八尾は鶏小屋を作ってる手を止めて立ち上がり、870を取り出して弾を込めながら与作に訊いた。


「なに?熊の足跡?何時頃の足跡だ?どの辺にあった?どの位の大きさだった?足跡だけか?」


「え?ええと、ええと、熊の足跡さ、罠の近くさあっただ、てぇへんなんだ」


一度に色々と訊かれた与作は、興奮していることもあって中々要領を得ない。


パシッ


アンが後ろから八尾をはたく。


「もうっ、それじゃ与作も答えられないわよっ。はいっ、全員深呼吸、タケルは薬室から弾を出すっ」


八尾は弾倉の弾を押しながら870のスライドを操作して、薬室の弾だけを抜く。

後に居たべるでも大きく息を吸った。そして、与作を見ながら


「熊の足跡は、何時頃のでシタか?」


とゆっくりと訊いた。


「ええと、昨日見た時には無かったんだで、夕べのだ。

先一昨日鹿を止めた所近くをウロウロと歩いた跡っぽいんだども

足跡さ澄んだ水が溜まってたで、多分夜更けの足跡だと思うんだけんど」


今そこにいる訳ではない、と判断したべるでは、そろってルイの家に向かう事を提案した。


・・・


「何っ!熊さ出ただと!?」


ルイは箒を小脇に抱えると裸足で土間に降りて来た。


「おど、ヤオにぃちゃが家に来たって事は、熊さ森の中だべ?」


「何?、あ?、あぁそりゃそうだべな、儂としたことが、ハッハッハ」


土間から囲炉裏端に戻ろうとした所でミラに怒られる。


「おど、先に足さ拭いてけれ、もう、おどぅったら裸足で如何するつもりだったさ?」


ルイは足を拭き、頭を掻きながら囲炉裏端に戻った。

八尾達も囲炉裏端に上がると、与作から詳しい話を聞き始めた。


熊の足跡は、手の指を軽く曲げた位の大きさだった。

場所は鹿を止め刺しした所の周辺をフラフラとうろついている感じだった。と・・・

慌てていた割によく見てたな、と八尾は思った。

そして、足跡の大きさから言って、恐らく片目の奴じゃ無いだろうと・・・


「じゃぁ今から皆で見に行きましょうか?」


「そうじゃな、儂も行くだぞ。場合によっちゃぁ柵を増やさねばならんでの」


・・・


罠の近くまでゾロゾロと歩く一行。


「足跡って・・・これねっ?」


腐葉土の上にかすかに凹みが見える。

それは森の斜面をウロウロしながら、罠の方向へと向かっている。


「これだ、ヤオにーちゃ」


与作が指した先にはぬかるみに残された真新しい足跡だった。


「大きさからすると、片目の奴じゃないわねっ」


「そうデスね。足の大きさと沈み具合からして60キロから70キロの熊のようデス。

3歳位の熊でショウか?」


先に言いたい事を言われてしまった八尾は口だけパクパクさせた後、無言で他の痕跡を探す。

足跡は止め刺しした後をちょっと掘ったり、付近を散策しているような感じであった。


八尾は暫く思案したのち、与作に朝の見回りを昼前にしろと言った。

そして、絶対に一人で行くなとも告げた。



夕食後、お茶を飲みながら話す。


「親から離れたばかりの若い熊だよなぁ、新しい縄張りとしたんだろうか?」


「そうねっ、ルイはここ何年も熊は見てなかったって言ったわねっ、

新しい熊で間違いないんじゃないっ?」


「片目の熊の縄張りでは無かったのデスか?」


「それだよなぁ、あの足跡の主がアレに勝てるとは思えないし」


「じゃぁあの足跡は何も知らないで荒らしてるのかしらっ?」


「熊の行動半径って広いからねぇ、見つかってないだけかもしれないし、

それに、片目も与作が見てから全く出てきている気配が無いよな

片目の奴が縄張りの外でうろついていただけかも知れないし」


「そうすると、足跡の主はまだまだ出てくる事も有るデスね」


「冬眠明けでお腹が空いているのかも知れないねぇ・・・

罠に獲物が掛かってたら不味いかなぁ・・・」


・・・


翌朝、未だ日が昇る前に八尾はこっそりと家を出た。

畑の端まで来ると、キューキューと言う鳴き声が聞こえた。

急いで870を取り出すと薬室にスラッグを詰め、そして弾倉に目いっぱいの弾が入っているか確認をした。


・・・弾よし、・・・セーフティよし、・・・ダットサイトよし


そしてポケットにも数発の弾を入れると、森に入って行った。


遠目にイノシシが罠に掛かっているのが見える。

そして・・・その近くに黒い丸い獣が居る。


熊だ。


四つ足になっている時に頭が八尾の鳩尾位の高さである。

昨日の足跡の主に違いない、と八尾は思った。


まだ、どちらも八尾に気が付いていない。

そーっと足音を立てないように近づく。

枯れ枝を踏まないよう、獲物から目を離さないよう、注意して木の陰から回り込むように歩く。

20メートルまで近づくと両者の鼻息が聞こえる。


喰われまいと必死なイノシシ。久しぶりのご馳走に興奮しているような熊。

よく見るとイノシシもまぁ良いサイズで、5,60キロは有りそうである。

若い熊で経験も少ないのであろう、抵抗するイノシシをどう仕留めるか・・・中々手が出せないようである。


八尾は膝を付き、左肩を木の幹に当てた。

そして耳にオレンジ色のイヤープラグをねじ込むと、ゆっくりとした動作で870を構えた。


熊はなかなか良い位置に来ない。八尾に背を向けて四つ足になっているため、お尻しか見えないのである。

手負いにする訳にはいかないのだ、と八尾はチャンスが来るまで耐えた。


5分位・・・いやもっと経っただろうか?


畑の方からガサガサと足音が聞こえた。

熊は一瞬耳を動かした後、畑の方を向いた。

八尾も目だけ動かす。木と下草の間から黒い頭が見えた。与作だ!


熊はイノシシと与作を見比べた後、体を与作の方に向けた。

縄張りを荒らす者と思ったのかも知れない。折角の獲物を取られる・・・と


与作の動きも止まった。熊に気が付いたようだ。

熊は八尾から見てちょうど横向きになった。

視線をダットサイトに戻すと、赤い点は左前足に重なる。

八尾は前足の少し後ろにあるアバラ3枚に狙点をずらす。


ドォーン・・・ ガシャ


まだ薄暗い森の中で八尾の870が火を噴いた。

八尾が確認すると熊は未だ倒れていない。

続けて撃つ、八尾は頭の後ろ目がけて二の矢を放つ


ドォーン・・・ ガシャ


熊の頭が一瞬揺れた、と思ったら前足から崩れるようにへたり込んだ。

八尾は870のスライドを少し引いて半閉鎖状態にすると、ゆっくりと熊に近づいていく。

与作もガサガサとこちらに来る。種ケ島を片手で持って歩いている。


『初心者に一番気を付けないといけねぇのは、獲物を取った後だ。気ぃ緩むからな』

昔、八尾が先輩猟師に言われた言葉を思い出した。


よく見ると引き金を引いたようで撃鉄が落ちているが、確か発射音は聞こえなかった。

八尾はそーっと射線から逃げた。


「ヤオにーちゃ」


与作が手を振った瞬間、手元から火が噴きあがり弾が出た。


シュッ ドーン


弾はイノシシが掛かった罠が結ばれている木に中った。

イノシシはキーキーと逃げ回るが、熊はもう微動だにしない。

八尾は腰を抜かした与作に近寄った。


「なして今頃?さっき弾さ出なくて、なして?なして今?」


与作はガタガタと震えていた。

八尾は銃を受け取った。

種ケ島は藪を抜けた時の夜露で濡れていた。

恐らく、火縄の火が消えかかっていたのだろう。

それが、片手で振ったときの風で復活して火薬に燃え移ったのだろう。


銃を与作に戻そうとすると、まだ震えが止まらないようだったので、八尾が弾を込めて与作に止め矢を撃たせた。


「もおっ、あんた達はっ!朝は行かないって言ってたでしょっ?」


銃声を聞いて駆けつけてきたアンが熊を見て開口一番怒鳴った。


「いやぁ、まさかホントに熊が出て来るとは思わなくってさ」


「与作もタケルさんと打ち合わせて来た訳ではないのデスよね?」


べるでは、倒れた熊が確実に仕留められたか確認した後、銃を仕舞ってから落ち着いた声で訊いた。

与作は言葉も無く、しょぼんと小さくなっている。


二つの獲物を木に吊るすと、二人はアンとべるでの後ろをトボトボと付いていった。


この後、昼までお説教タイムであった。

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