第26話 誰が為に畑は実る
夏の終わりから現れだした獣は子連れだった。山で縄張りを追い出された年老いた猪だ。
数年間の間、山は豊作だった。山が豊作だと子供が死なずに増える。
増えた子供は一人前に自分の縄張りを持つ。
山は弱肉強食である。強いものが勝つ。自分の縄張りを確保出来るのだ。
老齢の母猪はもう縄張り争いに勝てる体力ではなくなってきた。
それでも、これが最後の子育てになるであろうと必死で餌場を探した。
森の一画に皆が近付かない奇妙な場所があった。
母猪が子供の頃、親に「危ないから近づいてはいけない」と言われていた場所である。
仕方なかったのだ。
最初は・・・最初は間引きされた作物の捨て場だった。
痛んだ野菜や芋類で量も余り無かったが、飢えていた子連れには充分であった。
畑に出ている若い村人も、初めのうちは餌をあさる親子の様子を見て、微笑ましいとさえ思っていた。
だんだん大きくなる子供たち・・・餌がもっと必要だ。
畦を掘ってはミミズを探す、畝を掘っては甲虫の幼虫を探した。
その頃から・・・村人に見つかると石を投げられるようになった。
母猪は、日のあるうちは餌場を控えるようにした。
夜ならば彼らと餌場は被らない。 ・・・野生の知恵である。
昼間、お腹を空かした子供たちは、山の限られたほんの少しの縄張りで餌を探した。
秋になり、畑には作物が実りだした。
子供たちはもうすっかり育ち、一人前の量を食べる。
もっと食べさせないと子供たちは冬が越せない。
そして収穫を前に実る畑は荒らされて行った。
寄り合いの夜・・・わずか数世帯しかない村だが、月の初めは
ハルト、村の若手・・・といってもすでに30も半ば、
やつれた顔に手入れをされてない金色の髪、日に焼けたソバカスだらけの赤い肌が苦労を物語っている・・・が耐えかねたようにこぼした。
「
「やるだよ、やっつけるだよ、おらの畑ももう駄目だ。このままおっちんじまうより、・・・やるしかねぇだべさ」
ダル(ダニエル)も思いつめたように呟く。
「ハル坊の言う通りだ。だがダルよぉ、おらたちじゃとてもあんな獣には太刀打ち出来ねぇだよ。
おめさ、あの牙みただべよ、おっがねぇ・・・
長よう、どうにかなんねぇもんだべか」
長が重い口を開く。
「・・・人さ雇うだ、町さいけばハンターギルドっちゅうものがあるだ。そこで人さ雇うだよ」
「長よう、人さ雇うにゃまんず先立つ物がいんべぇよ。おらさ乳飲み子ば抱えて出せる銭っこなんてねぇ、
なあに、やまんもんだで、しばらくすればどっか消えつまうべ」
「馬鹿こくでね、消えだとすても、そんころにゃぁ畑の作物もまんずねぇだろぉて、
やらねば皆飢え死んじめぇよ」
「銭ならここにある。・・・ワシがお前さんぐらいの年からためとった銭こじゃ」
長は薄汚れた布の巾着をズシャっと前に置いた。
中身は長年爪に火を灯すように貯めたお金である。
が、ほぼ小銭である。
「長ぁ、この金が有れば春までの喰いもんが買えるんで・・・ねぇべか?」
「んだ、海のもんとも山のもんともつかねぇハンターに頼むより喰もんを買うだよ」
「うんにゃ、喰いもんをこうちゃば、もっても今年だけじゃろ。人を雇うんじゃ。
退治ばしてもらって、それをばじゃ、じっくり学ぶんじゃ。
して、その次はワシらだけでやるじゃよ。
この村ば獣さ来ねばいい村じゃ、日照りもねぇ、大風も吹かねえ。ワシらで守ろうでばねぇか」
「長・・・判った、おらも有るだけ出すだ、」
「おらも」「おらも」
「だば、ダルとヤハチ、ぉめら頼まれてくれるだか?町さ行ってギルドさ駆除依頼ば出してくれるだな」
「判っただ、長、じゃ今から町へ行ってくるだ」
ヤハチが言う。慌て者である。
「うんにゃ、今日はもう日も暮れとるでな、明日の朝早くに出るんじゃ。頼んだぞ、しっかりとな」
長はその夜、思いつめた顔で手紙を認めた。
駆除依頼を出すには金が・・・金が足りなかったのだ。
翌朝、まだ夜も明けきらないうちにダルとヤハチは出発した。
ミノとカサをかぶり、村のお金は胴に縛り、腰には握り飯が竹の皮に包まれてぶら下げられた。
長はダルに手紙を託すと、先に町のとある店に手紙を持っていくように告げる。
「だば行ってくるでぇよ」
「お前さん、気を付けて下さいよ」
「なぁに早く片付けてくるだでよ心配さすんでね」
「だば、ダルとヤハチ、任せたでな。十分気ば付けるんじゃぞ」
二人は一路、町を目指した。
町までは、急ぎ足で三日の旅である。
山道に慣れた二人が急いでも、町への到着は明日の午後になる事であろう。
翌日、ハルトは昼前に畑の見回りに行くと言い出した。
「とうちゃん、止してけろ。直にハンターが来るでねぇか」
「馬鹿こくでねぇ、うちの畑が一番やられとるだ。
あと一枚、あと一枚畑喰われたら年が越せねぇだ。
なあにちっとばかり豆の様子さみるだけだぁ」
今年は実りが良かった。年貢を納めても正月の餅だけでなく酒の用意も出来ると思っていた。
一人娘も年頃となり、将来の祝言に備えた貯蓄もしたかった。
だが、陸稲も粟も芋も・・・皆喰われてしまった。
このまま喰われては一家飢え死だ、良くても娘の身売りは避けられない。
祈る気持ちで畑に向かった。
だが、そこで見たのは・・・腹をパンパンに膨らまして豆の畑で寝ている子猪だった。
母猪は最近、日のあるうちは食事に出かけない。
畑の縄張りを守っている奴らが石を投げるからだ。
子猪は考えた。
石なんて怖くない、おいら一人で飯を食って来てやる。
そして自慢してやるんだ。と
そうだ、人間なんて怖くない。
頭に血が登った男は持っていたクワを猪に振り下ろした。夢中だった。
クワは猪に刺さった。猪は一声も上げることなく倒れた。
膝が笑っている。手が震えている。
目に入るのは血だらけのクワと猪。
「やったぞ・・・、やってやったぞ。おらたちにも出来るでねぇだか」
長に報告を入れようと振り返った瞬間、男は宙を舞った。
母猪である。
日が暮れるまで寝ようと思っていた。
ハエが鼻をくすぐった。薄目を開けると胸騒ぎがした。
(坊?)
一番下の子が居ない。
他の子と違って怖い物知らずの一番下の子が居ない。
何処に行った? 必死で山の狭い縄張りを探して回ったが見つからない。
意を決して畑に行った時、男がクワを振り下ろしたのだ、坊に向かって・・・
・・・ハルトも死んだ。
怒りにタテガミが逆立った母猪の牙で太股の動脈を切られたのだ。
3日後、町のハンターによって母猪は駆除された。
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