第3章 七転八盗のシークレットガーデン PART7

 


  7.



 八橋に付け入るチャンスが訪れる。ここを逃す手はない。


「それは八橋だけではないだろう。要はいじめに合っているということか?」


「そうじゃないデスけど……」


 尋ねると、八橋は緩やかに否定した。


「ワタシを認めて下さった支配人には感謝していマス。しかしなぜワタシが料理長として選ばれたのか疑問に思うことがありマス。このホテルには本当に素晴らしい料理人がたくさんいマス」


 彼女が臆するのも無理はない。ここは日本一のホテル、クーロンズホテルだからだ。全国から腕に自信のある職人が集っている。いくら彼女に料理の才能があろうが心の強さまでは審査されていない。


 やはり八橋は今の自分の状況に怯えているのだ。


「純粋な日本人じゃないと日本で料理はできないのか?」


「まあまあ四宮君、そんなに攻めたら可哀想だよ」


 厳しく追求すると、参浦はフォローに入った。


「誰にだって悩みはあるよ。悩みがない社会人なんていない。むしろ責任者としてその悩みは当然といっていい。八橋さんは十分に責務を果たしていると思うよ」


 八橋がゆっくりと顔を上げる。彼の言葉に耳を傾けている。



……掛かったな、参浦!



思わず唇をきつく締める。零無との攻防を止めていた彼なら必ず間に入ると踏んでいた。


参浦の持ち前の優しさが八橋へと降り注がれる。



「もし料理長という肩書きが重たいのなら、自分でお店を開けばいいと思うよ。八橋さんならきっと成功するよ」


「そんなワタシがお店なんて……」


「いいや、君ならできるよ。断言する。君の才能がこの世に披露されない方がもったいないよ」


「……本当デスか?」



八橋が嬉しそうに顔を綻ばせる。


「ああ、ホテルは大勢のお客様を満足させるために存在している。でもそれが八橋さんの苦になるのであれば、たった1人のために料理をすることも必要だと思うよ」


「そうデスか、そういう考え方もあるんデスね。……ありがとうございマス、嘘でも嬉しいデス」


 二人の間に暖かい光が微睡む。参浦はまるで王女に薔薇を届ける王子のようだ。お伽話のような甘い世界が辺りに佇んでいる。



「……中々いい感じになりそうね、おふたりさん」



 八橋の隣で七草が息を殺してぽつりと呟く。彼女の吐息には白い冷気が潜んでいる。



「お互いの仕事を認め合えることは本当に大事だと思うわ。それだけでは足りないものもあるみたいだけど……」



 ……うう、寒気がする。



 七草を観察すると、彼女にいいようのない空気を覚える。先ほどまで甘かった世界が凍結されていくようだ。


「な、七草ちゃん! そんな落ち込むことないねんて。相手に見る目がなかっただけやって。なんなら俺っちが……」


「いいえ、結構です。お気持ちだけで十分です」


 七草が満面の笑みで二岡を蹴散らす。その顔には二流は消えろと書いてある。



 ……九条に選ばれなかったこと、結構ショックだったのか?



 もしかすると七草は九条と結婚する意思があったのかもしれない。彼女の言動の深層に九条とのやりとりが蘇る。



――許嫁なんて、両親が決めたことですから。



 強制的な結婚に願望も羨望もないと思っていたが、彼女の本心はわからない。決まったレールが崩壊したことで、自我が生まれるの可能性だってある。



「相手を尊敬できることは結婚にとって一番大切だと思うわ」



零無が七草に賛同するように頷いている。



「お互いの仕事を尊重し合えれば、結婚生活はきっと上手くいく。結婚することでさらにプラスになることもあるわね」



 ……確かに理論上はありえる。



 お互いを尊重し合えるのであればこの先うまくやっていける確率は高いだろう。お互いを気遣う精神があれば、それだけで共同生活は成り立つからだ。



……そんな関係、現実にあるとは思っていないが、この二人なら――。



 自然と周りの空気さえも彼らを押し始めていく。ここには彼らを反対する人物はいない。



 ……しかしこれだけじゃ足りない。彼らをうまく誘導できる方法は何かないか。



心の中で算段を取る。八橋真琴はまだ自分の結婚条件を話していない。


 次の番は五十嵐だが、この流れでは八橋に回した方が俄然、有利に働くだろう。



 ……ここは再び強引に押す場面のようだ。何かいい手はないか。



瞬間的にアイデアが浮かび、言葉を選んでいく。やはり自分を出汁にする方法しか浮かばない。



「……マネージャー、もう一つ、質問してもいいだろうか?」



「どうぞ、四宮君」


 一礼を持って、八橋の方へ体を向ける。ここが博打どころだ、大胆に行かなければ演技だとばれてしまう!



「実は俺は……八橋に非常に。お前となら結婚できるかもしれないとさえ、思っている」



きちんと彼女を見つめながらいう。



「だからお前に訊きたいことがある。八橋、お前の結婚条件は何だ? 参浦のようにお互いの仕事を認め合えることか?」



「いえ、ワタシは……」



周りの好奇な視線が大量に降り注がれる。リスクは覚悟している、だがここは押しの一手でいくべきだ。


「時間が欲しいのなら後でもいい。だが俺は! お前の意見が訊きたい!」


「え、や、それは別に構わないんデスけど……」


八橋は口ごもりながらも胸の方に手を当てている。



「やっぱり……正直に答えなきゃ駄目デスか?」



「そうだな。どの道、最後にはお前に当たる。決まっているのなら今、この場で答えて欲しい」


「そうデスか、うーん……」


八橋は大きく溜息をつきながらも意を決するかのように息を吸い込んだ。



  ……頼む。何でもいい答えてくれ!



 彼女の答え方によって今後の展開が決まる。ここでもし、俺と結婚してもいいなどと発言されれば、それでジ・エンドだ。


 

「結婚する相手には秘密はいけないデスよね……。仕方がないデス、ワタシも覚悟を決めていいマス」



 ごくり、と唾を飲む音が聞こえる。明るい栗毛が軽やかに宙に浮かぶ。



 ……頼むぞ、八橋。参浦が飛びつきそうなものを答えてくれ!




「じ、実はデスね……ワ、ワタシ……本当はれ、れれ、レーズンなんデスっ!!!」

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