残月夜の誘惑
霧生神威
~プロローグ~
始まりの地~少年編~
神の糸から切離された少年が視る世界
真上に浮かぶ、ユラユラと揺れ動く深紅月。天から降り注ぐ光を浴び、サツキは闇に交じる羽織りを靡かせた。
「……やめてくれ、もう…これ以上殺さないでくれ……。」
サツキの足元に纏わりつくように男が叫ぶが、その悲痛にも似た声は閑散とした大地へとこだまし消えていき、どんなに男が大声で懇願しても、サツキの耳にはまるで届いている様子はなかった。
ただ赤い月だけが視界を占領し、何千という人々の命を刈り取ったという高揚感に満たされていた。
辺りを少し見渡せば生々しい肉塊と、もはや人間と判別することも出来ないであろう、身体の一部の数々が散らばっていた。血の海に佇む、サツキのラフに着られた白い和服には、ベッタリと少しトロミのある血液がまるで薔薇のように咲き誇っていた。
冷たい風がサツキの長い黒髪をさらうと、澄んだ空気を身体に吸収するかのように、彼は大きく息を吸い、味わった空気を外へと吐き出すと視線だけを下に降ろしてから、ゆっくりと口元を甘く緩めた。
「……クスッ」
聞こえるか聞こえないか分からないくらいの声で笑みを零し、男の髪を掴み天へと向け、そっと耳元まで唇を這わせ、息を吐くように静かな声で囁く。
「……さようなら。」
一瞬の出来事だった。
気づいた時には男の身体は、糸の切れた人形のように地べたへと這いつくばり、切り落とされたばかりの頭部は、大きく左右へと揺れながらサツキの左手にいた。
光を失くした男の顔は、ただただ_____、揺れ動くだけだった。
******
人々は科学の発展を捨て、精霊の加護の元、与えられる魔力を糧として生きてきた。
魔力によって生み出される魔法コードには、様々な仕組みが施されており、誰でも使用出来るほどの簡単なコードもあれば、術者を選ぶコードもあり、それぞれ特殊とされる職には才能がなければ就くことさえ決して許されていなかった。
魔力を元に世界は構成されていたが、科学が禁忌なわけではなかった。
ただ、科学の発展を促すよりも、魔力に乗じた場合の方が利益が高い。
世界が、そう判断しただけのことだった。
だが、その反面、魔力は多大な利便性と引き換えに大きな危難も伴っている。
危惧されるリスクを回避するために【コード・ロー】という魔法規則を設けてはいるが、簡易コードしか展開出来ない一般庶民にとっては、その殆どが無意味なモノになっていた。
有限とも言われる資源を残すため、美しい世界を維持するためと世界は謳い、強きものが強者として確実に評価され支配できる、ここはそんな世界だった____。
※※※
サツキが生まれ育った村は、高山に囲まれ自然豊かで、穏やかな村だった。精霊の加護を受け、木々たちの囀りを耳にしながら共に生きてきた。
村には高山から流れるミネラル豊富な水が与えられ、街の至る所には川が巡っている。
サツキは、そんな川の傍にひっそりと佇む小さな家で育った。
幼い頃に両親をなくしていたが、祖母の手で愛情を持って育てられていた。
そんな祖母も、サツキが10歳の時に病気で亡くなり、それからは一人で生活していた。
別に不自由などなかった。
幸いなことに自然に囲まれていることもあり、食べ物や飲み物に困ることもなく、穏やかに日々を過ごしていた。
だが、ある日この何気ない日常は、急速に終りを告げることになる。
なんてことはない、普通のことだ。
当時は国同士の争いが激しく、些細なことで領土を奪い合い戦争をしていた。
サツキの住んでいた村には精霊の加護があり、水や食料にも困ることのない、まさしく理想の地だった。
どんなに高濃度の魔法や錬金術を用いても、食料は生み出すことが出来ず、自然は有限な資源である事は変わりはなかったのだ。
よって、目的も至ってシンプルなものだった。
王都がそれほど遠くなく、自然豊かで食に困らない。
なにより高山に囲まれているため見つかりにくい。
好条件な拠点場所だった。
そして攻め入れられたら一瞬で、自分の知る村ではなくなった。
ただ、それだけのこと。
至る所で黒い煙が何本も立ち昇り、火花が散るように人々も散り逝った。
若い女は士気を高めるための慰めとして使われ、役に立たない年寄りは、若い戦士の育成の一環と謡い、狩りの練習をさせるかのように切り殺されていった。
若い男は、有無も言わさずその場で処刑され、残された子供は戦士と名乗る男達の世話係として飼われていったのだ。
サツキもまたその中の一人だった。
サツキを飼った男は30代くらいの体格のいい男で、地位も高いのか「少佐」と呼ばれいた。ただプライドが高く、ひどく感情的で、何かある度にサツキを椅子に縛り付け、気が済むまで殴り続けた。
それが数時間で済む時はまだいいほうで、ひどい時は丸三日程休まず殴り続ける日も少なくなかった。
最初の方はサツキも泣き喚き、「やめてほしい」と懇願していたが、月日が過ぎるごとに何も感じなくなっていった。
数カ月が過ぎる頃には、もはや痛みすら感じなくなり、サツキは死体のようにピクリとも動かず、ただただ呆然と殴られ続けた。
そんなある日、サツキはあることに気づく。
若い戦士が魔法練習をしているのを、ちょっと真似てみた時の事だ。
あんなに幾度も練習して戦士が成功出来なかった魔法が、サツキの手にかかれば嘘のように簡単に術式を展開させ、発動させる事が出来たのだ。
それには自身でも驚いていたようだった。
その日を境に、ヒマを見つけては魔法の練習を繰り返し、密かに力を身についていく日々を送った。
だが、そんな日も長くは続かなかった。
一人の男がサツキの行動に気が付いてしまったのだ。
男はすぐに少佐へ報告し、サツキはまたいつものように椅子に縛り上げられた。まぁ、殴られるだけならいい、と瞳を閉じると、腕に今まで味わったことのない程の激痛が走る。
どんなに殴られても悲鳴一つ出さなくなっていたサツキは、その衝撃に顔を歪め、痛みの箇所を確認しようと目をやると、肘から下の腕が見事に切り落とされていた。
男は久しぶりに聞いたサツキの悲鳴に歓喜し、ニタニタとした笑みを浮かべる。
「どうした?痛いのか?」
当たり前のことを笑いながらサツキに問いかけると、今度は切り落とされた腕と対向線上にある、左足に刃を向け、力強く振り下ろした。
「ああああああああああっぁああぁ____」
ガタンと倒れる足に大声で笑い喜ぶ男の声が脳裏でこだまし、サツキの身体は次々と本体から切り落とされ、地に落ちていった。
村中に響き渡る痛ましい叫び声は、朝まで聞こえ続けていた____。
気絶していたのか、サツキが意識を取り戻し、目を開けると辺りは、一点の光も宿さぬ暗闇の中にいた。
どんなに辺りを見渡しても、家の灯り一つすら見えない状況に少し焦りを覚えるが、もはや手足がないサツキにはどうすることも出来なかった。
かろうじて聞こえる音を頼りに耳を澄ますと、ふと男達の声が聞こえる。
「あのガキ死んだんじゃね?」
「まだ生きているらしいよ」
「うげっ……まじかよ。アレで生きているなんてある意味不幸だな。」
自分のことを話しているのは、すぐに理解できた。
確かに両手足をなくしても尚、死ねない自分は不幸だとそう思った。
「確かにな。こんなに天気が良くても遊べもしないもんなぁー」
「にしても、夏の日差しは肌にくるねぇー」
手足があっても遊ぶなんて行為させてもらえる筈もないと、ふと笑みが零れると同時に、ある事に疑問を抱く。
(___いい天気?日差し?)
こんなに真っ暗なのに『日差し』とは、どういうことだと頭を捻らせ、もう一度辺りを見渡してみる。
(やっぱ夜じゃん。)
だが、妙に肌が熱い。
窓から強く日差しが照り付け、サツキの身体の左側には熱がこもっていた。
(___日差しが出ているのか?)
すると、サツキはすぐに残酷な事実に気づく。
(____ああ、俺目なくなったのか。)
既に抉られた眼球を確かめる腕もなく、探せる足もない。
涙を流すことすら奪われたサツキは、もはや笑うことしか出来なかった。
何故__自分がこんな目に合わないといけなかったのだろうか。
何故__死なせてもらえなかったのだろうか。
何故__。何故_________何故?
(____誰か早く俺を殺してくれ。)
声にならない声で鳴き、サツキが意識を失うと、脳に直接語りかけてくるような甲高い声が頭に響く。
【生きたくないの?】
___生きたいわけがない。
【死にたいの?】
___ああ、そうだ。
【あいつら殺したくないの?】
____殺して何になる?
【スッキリするよ?】
_____そうかもな。
【なら、殺そうよ】
_____何故?
【君にはその権利がある】
____殺したところで、俺には何も残らない。
【残るよ……】
___なにが?
【絶対的な力が。】
____絶対的な力ってなんだよ。
【決まりだね。君にあげるよ、だけど約束して?】
______約束?
【目が覚めたら、私を喰らって。】
声が消えると同時に、激しい頭痛がサツキを襲う。脳が内側から破裂するような痛みに、大きな唸り声をあげ、全身を駆け巡る血液に熱がこもる。
沸騰したような血液の熱量が全身に行き渡ると、ミシミシと音を立てて、生暖かい感触と共に床へと滴り落ちていく。
あまりの激痛に、獣のように哭き、体力が尽きると同時に意識を手放した。
喉がヒシヒシと渇きを訴える感覚に意識を取り戻すと、目の前には小さな少女がしゃがみこみ、こちらを見ていた。
「起きた?ちゃんと見えてるね」
二コリと微笑み呟くと、突然手を大きく広げ出す。
「さぁ、仕上げをしよう?」
少女は首を傾げながら言葉を投げると、まだ状況がよく理解出来ていないサツキに、コホンと咳ばらいをしてから話を始める。
「最後の仕上げだよ?約束したでしょ?力をあげるって。さぁ、私を喰らって♡」
何を意味分からないことを言っているのだと耳を疑うサツキに、少女は更に言葉を続ける。
「まだ実感してないの?私が君の身体元に戻してあげたんでしょ?」
そう言われて初めて気づく。
失ったはずの足はまだ地面に転がっているのに、何故かサツキの手足は何事もなかったかのように繋がっていた。
「医療魔法か?」
「違うよ、君の高速自己再生能力だよ?」
意味が分からなかった。
高速自己再生能力なんてものは、この世界に数人しか出来る者はいないと聞く。しかも自分にその能力があったのなら、日々の怪我の回復なんて容易かったはず__。
「ああ、ごめんごめん、元私の能力で、今は君の能力。」
能力移行なんて魔法も聞いたことがなかった。
だが、現に自分の身体は新たに作り直されていた。
「私は約束を守った。次は君の番だよ?さぁ、私を喰らって」
「___喰らうってどういう意味?」
「そのままよ。食して欲しいの」
満面の笑みで告げると、彼女は「約束ね?」と言い残し、破裂した。
言葉の通り、身体の内側から何かが爆発したかのように、はじけ散ったのだ。
サツキの顔には、ベタベタと生ぬるい肉片が張り付き、足元は泥ついた血液で真っ赤に染め上げられていた。
あまりにも悲惨な光景に、サツキは身体を震わせ、自身を抱きしめるように抱え込み、無残な残骸から目を反らすように地面を見つめた。
そこへ血の波に流され、たどり着いた少女の眼球が、足先にぶつかって止まる。
激しく吹き飛ばれた事を象徴するかのように、眼球の先には幾つもの神経の束が、血波に揺れていた。
【さぁ、喰らいなさい】
少女の瞳がジっとこちらを見つめ、訴えかけてきたようにも思えた。
もはや、サツキには笑うしかなかった。
狂った世界に生きるのなら、自身も狂わずどうして生きていけようか____。
【喰らって、生きなさい】
その時、サツキの脳内で何かが弾ける音が聞こえた。
全身焼けつくような血液の流れを感じ、心臓が激しく鼓動し熱を帯びる。
「___いいよ、喰らってあげる」
獣のような歯を潜ませ、サツキは久しぶりの食事にありついた子供の如く、飛び散った肉塊は拾い、しゃぶりつくように勢いよく喰らいついた。
苦い鉄の味と生臭い肉に包まれ、ただ無心で喰らい尽くした。
____ギィ。
扉を開けたその先にいたのは、長く伸びた黒髪を真っ赤に染まった赤海に泳がせ、まるで獣のように何かに這いつくばり、むさぼる少年。
幼い少女の腕に鋭く尖った牙を突き立て、肉を引き裂くように喰らうその瞳は、血の色と同じ真っ赤な輝きを放っていた。
目の前に広がる残酷すぎる光景に、足がガクガクと震えはじめ、逃げなければと強く願うほど、床に激しく張り付けられ、身動きがとれなくなっている一人の男と、少年の視線が交わる。
「____クスッ。お前も死ぬ?」
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最後までご拝読頂きありがとうございましたm(__)m
お手数かもしれませんが、☆やコメントなど頂けると嬉しいです。
良かったらよろしくお願いいたしますm(__)m
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