誰が為に鈴は鳴る

たれねこ

第一部 僕とキミ

01

 リンッ――


 小さな鈴のを聞くたびに、僕はキミが近くにいるのではないかと辺りを見渡していた。いつからかその鈴の音すらほとんど聞こえなくなって、僕はキミのことをゆっくりと記憶のすみに追いやっていった――。

 そんな僕がキミの事を再び強く意識しだしたのは高校生のときだった。


 今はただ 思い絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな


 それは古文の教科書に載っていた自分と同姓同名の平安時代の歌人の和歌だった。

 この歌は藤原通雅ふじわらのみちまさが三条天皇の皇女当子とうしに送ったもので、想いをあきらめ、別れを決意したことをせめてもう一度会って直接伝えたいという想いが込められた歌だった。

 僕とキミの間にはそんな悲恋ひれんや深い情愛というものはなかったと思う。なにせキミが僕の前からいなくなったのはもう十年も前の話で、そのころの僕の年齢はまだ一桁ひとけただったのだから――。

 そして、僕はあと数日もしないうちにこの町から出て行く。大学進学を機に一人暮らしをすることになったからだった。きっともうこの町に戻ってくることの方が少ないだろう。

 そんな僕のこの町での最後の気がかりはキミとのことだった。できることならもう一度キミに会って話したいと願っていた。


 なぜなら、きっとあれが僕の初恋だったから――――。




 僕がキミに出会ったのは小学校の入学式の前日だった。

 テンションが上がりすぎて、家で落ち着いていられなかった僕は、親に黙って家を抜け出して散歩に出かけた。山と田畑に囲まれた長閑のどかな田舎町――人に会うことより何かしらの動物を見かける確率の高いこの町で僕は落ちていた木の棒を片手に歩いていた。目的地なんてない。ただ高ぶる気持ちのままに歩いていた。

 鼻歌交じりに歩き、祖父の管理する畑を抜け、道路に行き当たる。そして、僕は白線の前で両足をそろえて立ち止まる。

 車が来ないと分かっているが、明日から小学生という一段成長する自分を誇るように、右見て、左見て、もう一度右を見て――。

 遠くまで見通せる直線道路で念入りに安全確認をし、車が走ってこないことを確認。僕は手をげて、元気に道路を横断する。そのまま真っ直ぐに歩き、道かられて山の中に入った。

 木の棒で雑草を叩きながら気持ちはジャングルを探検する隊長気分。道なき道を分け入っていくと、古い山道さんどうを発見した。その山道を辿たどりながら山を登っていくと、どこからか風に乗って甘い香りがしてきた。そのにおいに誘われるように歩を進めると、小さなやしろを構える神社に到着した。

 こんなところに神社があることを今まで知らなかったし、聞いたこともなかった。僕は辺りを見渡しながらおそるおそる鳥居をくぐる。

 そして、匂いの正体が境内けいだいの中にある一本の木だと気付いた。僕はその木の下に行き、あざやかに咲いたピンクの花を見上げる。深呼吸をして胸いっぱいに香りを吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 その匂いはどこか去年亡くなった祖母を想起そうきさせ、懐かしい気持ちになる。


 しばらく香りを楽しみながら花を見上げていると、離れたところから、サーッ、サーッと何かをいているような音が聞こえてきた。

 音の方に近づいていくと、社に続く参道さんどう石畳いしだたみを自分の身長と同じくらいの大きなほうきを使って掃除をしている同い年ぐらいの女の子がいた。

「こんにちわ」

 僕が挨拶あいさつをすると、その女の子は驚いた表情を浮かべる。そして、辺りを見回し、「私?」と自分を指差しながら聞き返してきた。

「うん。キミのことだよ。ところで、なんで掃除してるの?」

「これは私のしないといけないことだから」

「ふーん、そうなんだ。ねえ、あの花はサクラ?」

 僕はピンクの花をつけた木を指差しながら尋ねる。

「あれは桃の花だよ」

「へー。いい匂いだし、きれいだね」

 僕が女の子の方に視線を戻すとそこには誰もいなかった。僕は不思議に思いながら辺りを見回し、さらに境内を一周したがさっきの女の子はおろか誰一人いる気配はなかった。

 しかしながら、その疑問以上に知らないもの見つけた喜びや嬉しさが勝り、僕は軽い足取りで家に帰った。そして、あの神社を自分だけの秘密の場所にしようと決め、家族には内緒にすることにした。

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