ヘーゼン=ハイム


           *


 早朝に、アシュ一行を乗せた馬車が出発した。向かう先は、学術都市ザグレブである。車内にいるのは、アシュとミラ、そして学生たち……の他に。白髪の老人が、ニコニコと笑顔を浮かべて座っていた。


 ライオール=セルゲイである。


「……なぜ、君がいるんだい?」


 アシュが面白くなさそうな表情で尋ねる。


「ふぉっふぉっふおっ……まあ、いいじゃありませんか」

「……」


 不機嫌。いや、『男子の数が増えたら、必然的にカップリングの確率が下がる』という合コンの法則に怯える非モテ魔法使いである。


 そして、その理論を裏付けるように、ライオールの出現によって、識者のポジションは完全に奪われてしまった。


 アシュをそっちのけで、女子たちが聡明な老人を囲み、ワイワイ、キャッキャと高度な魔法理論について談義をしている。


「……ふっ」


 アシュは、窓の外を見ながら強がった。それこそ全身全霊を振り絞った笑みを浮かべて。『自分は一人でも全然寂しくない』のアピールが、この上ない。


「……」


 なんと言う道化ピエロだろうか、とミラは思う。


「あっ! そう言えば、アシュ先生とライオール先生は史上最強の魔法使いヘーゼン=ハイムの弟子だったんですよね?」


 そんな中、シスが気を遣ったのか、話題をアシュに振る。


「ヘーゼン先生か……」


 白髪の魔法使いは、馬車の窓を眺めながらつぶやく。話題を振られてめちゃくちゃ嬉しいはずなのに、全身全霊でなんてことないフリをする悲しき道化。


「どんな人だったんですか?」

「まあ、性格の悪い人だったね。とんでもなく、とにかく、性格が悪かった」

「アシュ様に言われるなんて、ヘーゼン=ハイム様も、さぞや、無念だったでしょうね」


 ミラがボソッと口にすると、アシュは窓の外を見ながら皮肉ニヒルな笑みを浮かべる。


「フッ……死人に口はないんだよ」


「「「「「「「……」」」」」」」


 せ、性格が悪い、と全員が思った。


「どのくらい強かったんですか?」

「強いと言うか、卑怯だったな。狡猾のすいを結集したら、あの人が出来上がるんじゃないかな」

「アシュ様に言われたら、もう死ぬしかないと思いますが」


 ミラが再びつぶやくと、やはり、アシュはフッと皮肉ひにくな笑みを浮かべる。


「もう死んだんだから、いいじゃないか」


「「「「「「……」」」」」」」


 やっぱり性格が悪いと、全員は確信した。


「そ、そう言う強さじゃなくて、もっと……ほら! 魔法使いとしてどうだったのか、とか」

「最強だね」

「……っ」


 白髪の魔法使いは、迷いなく断言する。


「リリー君。君もなかなかのものだ。聖闇魔法のレベルは非常に高い。他の魔法の精度もなかなかのものだ」

「へ、ヘーゼン=ハイムは?」

「至高だよ。次元が違う」

「……っ」


 アシュはキッパリと口にする。


「どこがどう違うってんですか!?」


 さすがのリリーも納得いかずに喰らいつく。自己顕示欲天井超え美少女は、史上最強魔法と謳われるヘーゼンに対して一歩も引きはしない。


 だが、白髪の魔法使いは自然に理由を説明する。


「まず、シールの速度、精度が桁違いだ」

「わ、私も天才ってもてはやされてるほど、精度には自信があるんですけど」

「……それなのに、もっともてはやされたいんだな。君の異常な自己顕示欲は、ある意味賞賛に値する」

「うぐっ」


 リリーは唸るように顔を真っ赤にする。


「まあ、天才などと言う形容詞は、あの人の前ではなんの意味も持たない。僕も自慢ではないが、一昨年に匿名で出した論文が『天才、天才、超天才』ともてはやされたものだった」


 アシュも負けじと自己顕示し、ベラベラと話を続ける。


「まあ、論文と言うのは、まず名をあげて有名になった上で投稿するのが通常だ。だから、匿名で出すなど、ほぼ無視されても仕方がないのだが、それでも、もてはやしてくるのだから、僕は自分の才能が恐ろしいよ、ねっ、ミラ?」

「アシュ様は大陸全土から恐ろしく嫌われてますので、匿名でないと公式に論文が出せないと言うのが、真実ではありますが、まあ、天才と称されていたのは本当ですね」


 ミラが淡々と突っ込む。


「コホン! 話が逸れたな。天才と言う形容などは、あの人の前では、なんの意味もない。ヘーゼン=ハイムは、天才などと簡単な言葉で片付けられる人ではないからね」

「……どう言うことですか?」

「ヘーゼン=ハイムが生きた200年余り。数多くの弟子を取った。先生もまた、大陸からあらゆる人材を募った」


「「「「「……」」」」」


 生徒たちが、アシュの話を夢中になって聞く。


「麒麟児、天才、数十年に一人の逸材。あらゆる、人材が彼の元に集まった。ヘーゼン先生もまた、彼らに惜しみない教育を施した」

「そ、それで……どうなったんですか?」


 生徒全員がゴクリと唾を飲む。


「潰れたよ」

「えっ?」

「ヘーゼン=ハイムという圧倒的な魔法使いを前に、ことごとく大成しなかった。200年と言う長い時を経て、一線級と呼べるのは、たった4人だ。僕が知る限りはね」

「……」

「それでも、未だヘーゼン=ハイムを超える魔法使いは現れていないと言うのが、大陸の評価だよ。その4人の1人であるライオール。君はどうだい?」

「ふぉっふぉっふぉっ……足元にも及びませんな、控えめに言って」

「……っ」


 生徒全員が愕然とした表情を浮かべる。


「普通の天才だと潰れるんだよ。あの人の指導方法は尋常じゃない。先生の目的は、『自分を超える後継者を作り出す』ことだったからね」

「……」

「あの人の実力は、稀代の天才が異常な努力をしても辿り着けないほどのものだった。あの人の歩んだ道は、天文学的な確率で死に至るほど……毎日、放たれる数万の矢の雨を歩くような道だった」

「……」


 アシュの話を聞きながら、生徒たちの息が沈んでいくのがわかる。だが、それでもリリーは喰らいつく。


「わ、私は中位悪魔とも契約しました!」

「はぁ……ヘーゼン先生に対抗しようと思うと、業火に焼かれるよ? あの人の真似はしないことだ……いや、誰にもできないがね」

「で、でも! でもでもでも! 私はヘーゼン=ハイムとも戦ったことがありますよ? いい勝負してたじゃないですか!?」

「はぁ……あまり調子に乗らないことだ。あれは、人形だよ。ロイドによって、極端に行動を制限されていた。彼はヘーゼン先生の恐ろしさを身をもって体感していたからね」

「……そんな」


 リリーは耳を疑った。自身では数分も持たなかった攻防が、本気でなかっただなんて。だが、アシュに誇張した様子はない。ただ、淡々と冷静に分析を続ける。


「運もよかった。以前、先生に囚われたときの8年間に考案した対策が見事にハマったしね。あらゆる偶然がことごとく味方した故の勝利だと言っていい」

「……そんなこと言われても、私はヘーゼン=ハイムを超えたい」

「……」


 それでも、リリーは譲らない。そんな翠玉エメラルド色の瞳を、アシュはしばらく見つめながら、やがて、少女の金髪をクシャクシャとなでる。


「そうだな。君の向こう見ずは死んだって治らないんだったな。まあ、僕には君たちの進路を決める権利はないから好きにするといい」


 そう言い捨てて。


 アシュは再び窓の外を見て笑った。

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