走る
*
ナルシーが目が覚めると、そこは見知らぬ部屋だった。特別クラスの生徒たちは誰もいない。ただ、そこには父親のリデールが心配そうな表情を浮かべていた。
「目が覚めたか?」
「お父さん……ここは?」
「私の部屋だ。城内ではこの一室を借りている」
「……」
筆頭大臣の部屋とは思えないほど、そこは簡素的な部屋だった。あるのは、法律の本ばかりで面白味に欠けた父親らしいと感じた。
「どうして言ってくれなかった?」
「……」
その一言に。黒髪少女は思わず目を伏せた。
「……なんで、言ってくれなかったんだ?」
「だって……」
恥ずかしかった。情けなかった。イジめられているなんて、イジめられてる子だなんて、絶対に思って欲しくなかった。恐らく、母が父と離婚しなければ、起きなかった。
大好きな母にも父にも『自分のせい』だなんて。
思いたくもないし、思われたくもなかった。
「カストロたちは?」
「……アシュ=ダールからの伝言だ。『こちらで処理をするから、後は心配しなくていい』だそうだ」
「……」
その時、ナルシーは、思った。
ああ、自分は『大人に守られたのだ』、と。
「情けないな」
「えっ?」
リデールはポツリと言葉をこぼす。
「私は……取引をしたよ。セザール王国の法律を無視して、彼らを引き渡す超法規的措置だ。彼らが、この後どんな目に遭うか、薄々わかっていながらな」
「……」
「ヘーゼン=ハイムが死んだ今、あの危険で忌々しい魔法使いを止められる者などいない。国家を守るために、私は信念を曲げたのだ」
「……」
「私は……揺るぎない信念で法治国家を目指していたつもりだった。どんなことが起きても、人が人を裁くのではなく、法が人を裁くべきだと」
「……」
「だから、ナルシー。愛するお前をイジめていても、法を遵守すると誓った私が、強権を振るうべきでないと思った。父親であることよりも、セザール王国の大臣であることを優先した。愛するお前を犠牲にしても……捧げた信念だったのに……」
「……」
「でも……なんでかな。アシュ=ダールが、強制的にカストロたちを連れ去った時。私は、心のどこかで思っていたんだ。ざまあ見ろ、って……」
「……お父さん」
「私は、弱い父親だ」
「……」
リデールの声を聞きながら。ナルシーの鼓動は小さく波打つ。そして、それは、どうしようもなく強い波へと変わり、少女の心へとぶつかった。
そして。
「ううん」
黒髪少女は小さいが、力強く首を振った。
「どうした?」
「違う気がするの」
「……なにが」
「お父様。ごめんなさい、私、いかなきゃ」
ナルシーは立ち上がって外へと出ようとした。
「ば、バカな事を言うな! あの男は危険だ。もう二度と近づけさせない」
リデールはすぐに側近の魔法使いを数名を呼びだし扉を塞ぐ。
その時。
一瞬にして、その二人が倒れる。そこに現れたのは、青髪色の美少女だった。
「シス!」
「行こう。私は……私たちはナルシーのすべてを応援する」
「……うん」
そう頷いて。ナルシーは手を繋いで走り出す。
「ま、待て! おい! 彼女たちを止めろ! 絶対に行かせるな!」
魔法で伝令を飛ばし、セザール王国の兵たちに通達する。
すると、続々と兵たちが集まってきた。
しかし。
ナルシーとシスの前にリリー、ジスパ、ダン、ミランダが立つ。
「みんな」
「後方は任せて、行って」
リリーは心なしか嬉しそうに答え、数百人の魔法使いの前へと進んでいった。
ナルシーが走ると、次々と魔法使いたちが立ちはだかるが、それぞれクラスメートたちが前に立ち彼女を前に進ませる。
「はぁ……はぁ……」
息切れしながら走って行き、やがて門へと辿り着いた。
しかし、その前に。
立ちはだかったのは、ライオールだった。不可思議な瞳を浮かべた老人は、笑いも怒りもせずに、ただ興味深げな表情を見せる。
「ど、どいてください! お願いします」
「なぜだい?」
その質問に批判めいた口調は一切なかった。
ただ、純粋な疑問を口にした。
そんな感じだった。
なぜ。
黒髪の少女は再び自分に問いかける。
かつて、白髪の魔法使いが何度も何度も問いかけたように。
「……」
「アシュ先生に任せておけば、君をイジめていた人たちは限りなく不幸になる」
「……」
「憎くないのかい?」
「憎いです!」
「許せなくないのかい?」
「許せないです!」
「……」
やがて。
ライオールは柔和な表情でニコリと笑い、
「では、行こうか」
ナルシーとシスを先導した。
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