登校
午前6時半。主人のベッドの上で、まさしく主人であるアシュ=ダールが優雅な朝を迎える。カーテンを開けて、いつの間にか机に置かれたダージリンティーに口をつける。外を見ながらフッとため息をつくアシュを見ながら。
「……」
なにカッコつけてやがんだこの負け犬が、とミラは思った。
「おはようございます、アシュ様」
「……」
無視。負け犬……いや、負け魔法使いが、無視をしてくる。
「そろそろ出発のお時間ですが……」
「今日は……少しだけ体調が悪い」
その言葉に、ミラは己の耳を疑った。
こいつ……登校拒否しようとしてやがる。
「アシュ様の体調は崩しようがありませんので、仮病ということでよろしいですか?」
不老不死の身体をもつ闇魔法使いには、もちろん風邪などは存在しない。あらゆる病原菌も受け付けない身体を持っていながら、よくそんな寝言が吐けるものだと大いに呆れる有能執事。
「……なんで、僕が病気を偽る必要があるのだね?」
「圧倒的にテスラ様に負けたからではないのですか?」
「クク……ククク……じゃあ、なにかい? まさか君は、僕が彼女に敗北して、学校に行きづらいから、仮病を使ってでも休もうとしたと?」
「はい」
「僕がそんなにヤワな男だと?」
「はい」
「僕がこんなことを気にしているとでも?」
「はい」
無駄にデリケートなところも、この主人の面倒くさいところだと、80年以上の付き合いで熟知している有能執事。
「やれやれ……そもそも、この結果は想定内なんだよ。勝負というものは時の運。どんなに優秀な者と言えど、百戦百勝などは難しいものだ。幾重もの不運が重なって、辛うじての敗北につながったということだな」
別に興味もないのだが、見苦しいネチネチとした言い訳を聞く羽目になったミラは、いつもどおり淡々とベッドのシーツを回収する。
「涙で濡れておりますが」
「……それは、汗だよ」
「……」
いや、顔の部分だけビッショビショだけども、と思う有能執事。
「まぁ、敗北の経験など僕には珍しい経験ではあるがな。本当に貴重だったよ」
特に聞いてもいないのだが、合間合間に『悔しくないアピール』を入れてくる負け惜しみ魔法使い。
「そうですか」
「いや、むしろワザと負けたといっても過言ではないけどね。テスラのような美女に負けることなど、滅多にない経験で興奮したよ。ああ、本当にあれは興奮したね……いや、むしろ、めちゃくちゃ興奮したよ」
「アシュ様……私は今ほど人形でよかったと思った日はありません。人間であったら、そのおぞましい負け惜しみの言葉で、その場で体内のすべてのものを吐き戻していたことでしょう」
ミラの思考は判断する。
こいつ、気持ち悪い、と。
「とにかく、今日は学校には行きたくない」
「かしこまりました」
「……いいのか?」
「いいもなにも、行かないんですよね?」
「……僕が休むとみんなはどう思うかな?」
なにこいつ、超面倒くさい、とミラは思う。
「負け犬がショックで寝込んだと思うでしょうね」
「……ふっ」
再びダージリンティーに口をつけ、外を見ながら物憂げにため息をつくアシュを見ながら。
「……」
なにカッコつけてやがんだこの負け犬が、とミラは思った。
「わかったよ、行くよ。行けばいいんだろう?」
「誰も行って欲しいとは行っていませんが」
いや……むしろ、ほとんどの人が来て欲しくないと思っているであろう。とりあえず報告を受けているのは、特別クラスの生徒たちが勝負の後に打ち上げを行ったこと。相当に嬉しかったのであろう、そのはしゃぎようは相当であったと聞く。
「いや、しかし辛いものだな。『大陸一の美男子』、『至高の紳士』、『天才闇魔法使い』等、様々な異名で称される僕は、常に勝利を求められているんだから。たった一度きりの敗北で、常に負け続けているであろう輩がここぞとばかりに攻撃してくるんだから」
「……」
「かわいそうだよ」
「……」
「僕は……かわいそうだ……」
「……さすがはアシュ様。人形の私にはまったく理解できかねます」
実際に呼ばれているのは『エロロリ魔法使い』、『最低性悪魔法使い』、『ナルシストキチガイ魔法使い』。どこまでも自己と世間との認識に乖離が埋まらないこの男は、なにやら果てしない妄言を吐きながらノスタルジックに浸っている。
ミラの思考は判断した。
とんでもないキチガイ野郎だ、と。
「まあ……天才というものは、常に世間から非難されるというので相場が決まっているから、甘んじて受け入れるとするか……さっ、行こうか」
「……」
結局、アシュは、鋼のメンタルで立ち直った。
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