戦いの後



 アシュが場所を一点に見つめるライオール。


 琥珀アンバーのように多彩に輝く瞳には、勝利の余韻も、敗北の絶望も、死者への哀しみも読み取れない。


 そして。


「ロイド、止まりなさい」


 魔法を解除したミラの一声で、仮面の魔法使いは一切の動作を停止する。すんでのところで命拾いしたローランは、顔色が酷く青い。どうやら、魔力欠乏症になっているようで、攻撃が止むや否や地に崩れ落ちた。


 有能執事はすぐにライオールの下に駆け寄って、切断された箇所の治癒魔法を施す。


「はぁ……はぁ……いいんですか?」


 息をきらしながら、ライオールはミラに問う。


「恐らくですが、あの方はそう指示をするような気がします」


「……そうかな」


「あなたが一番わかっておいででしょう?」


 ほぼ間違いなく、アシュの消滅によって、ロイドとの精神的な繋がりは絶たれたと言っていいだろう。悪魔譲渡は契約魔法から派生している。となれば、脳が消滅すれば、同じくそれも消失すると考えるのが自明である。


 正常な思考を取り戻したアシュが、不本意な戦いに身を投じたことを反省する可能性は高い……いや、もともと異常な思考の持ち主ではあるので、全く反省しない可能性も決して低くはないのだが。


 ミラは、むしろライオールがそれすら見通しているような気がしていた。だからこそ、勝敗の結末を、ミラが魔法を解除する時間と同じに持って行った。すぐに彼女が治療を施すことまで計算に入れながら。


 目の前の好々爺は笑いながら『買いかぶりですよ』とでも言うであろうが。


「ライオール様、お願いがあります」


「なにかな?」


「治療が終わったら、ローラン様を連れてこの場から出て行って頂きたいのです。それから、しばらくは誰もここには近づけさせないでください」


「……やはり、アシュ先生は復活しますか?」


「わかりません。あなたが放った魔法は、これまで見た中で最も威力のある魔法でしたから」


 多弾聖闇魔法は、かつてアシュが放ってきた全ての魔法を超えている。現時点で、この地上における最強の魔法だと言っていい。万物の存在を跡形もなく消滅させるほどのもので、アシュが復活してこない可能性は否定できない。


 しかし……もし、復活することになれば……


「あの方はきっと見られることを望みません」


「……」


 完全なる虚無からの再生。それは、悪魔や天使すら超えている化け物の所業であり、アシュ=ダールが人間でないことの証明である。肉体のカケラすらもないこの状態にもかかわらず、あっけらかんと戻ってくる姿はライオールから見ても戦慄を覚えるのだろう。


「仮に復活された時、あの方はまた泣くのでしょう。『また、死ねなかった。これですら死ねなかった』と。絶望と孤独に包まれながら、あの方は。その時に、側にいるのが私の仕事ですから」


 淡々とした表情で。


 抑揚のない言葉で。


 ミラはライオールに答えた。


「……わかりました」


 むしろ、それ以外に選択肢は残されていない。研究者としての本音を言えば、この場に留まって観察をしたかったが、アシュの心情への配慮もある。それに、ライオールはすでに片腕を失くし、魔力すら欠乏寸前。ローランはすでに意識はなく、倒れた状態。恐らく、数日は目が醒めることはないだろう。


 これは、勝利であり敗北であった。ライオールの戦力は全て出し尽くされ、アシュ側には完全な状態であるミラがいる。この場での支配権は彼女にある今、その言葉に従うことに異論を唱えることなどはできはしない。


「……ミラさん。私は、思うんです。途中からアシュ先生は正常な思考に戻っていたと。その上で、彼はこの結末を計算していたのだと」


「それは、買いかぶりすぎかと思いますが」


「……ふふっ」


 主人を甘やかさない言葉をつぶやきながらも、少しだけ誇らしげな表情に見えたのは、ライオールの気のせいだろうか。治療を終えた好々爺は、意識のないローランを魔法で浮かせてこの場を去っていった。


「ロイド、あなたは帰って」


「わかりました」


 命令に従って、仮面の魔法使いがいなくなった後。


 誰もいなくなったこの円形闘技場で。


 ミラという執事は待ち続ける。


 戻るかどうかもわからぬ主人を。いつかもわからぬ刻を。食事を摂ることもなく、睡眠をすることもなく、ただ、立って待ち続ける。


 死ぬことはない。


 どれだけ食事をしなくても。


 どれだけ水を飲まなくても。
















 その人形は、彼をただ、待ち続けた。

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