戦後


 魅悪魔オエイレットを見た瞬間、ヘーゼンが覚悟した。愛弟子のアシュが殺されること。この街全てが悪魔に滅ぼされること。しかし、最愛の娘だけは守ってみせる。中位の悪魔を相手にするのはそういうことだと、最強魔法使いは自らの経験則で理解していた。


 数秒で表層状の感情と、深層状の感情を分けた。2つとも、自分の偽らざる心には違いない。


 それからヘーゼンは、表層状の感情に従って行動する。それは願望に近かったかもしれない。リアナの前に立ち、聖闇魔法の魔法壁を張り守る。戦天使と怪悪魔を召喚してオエイレットを脅してクリストを追い出す。まるで、台本に忠実に動く役者かのように。


 実際に危ない場面は、何度もあった。まずは、聖闇魔法の魔法壁を張る前。深層状の感情まで読まれ、速攻の攻撃に移られたら厄介だった。ヘーゼンはあくまで魔法使い。肉弾戦に持ち込まれれば、最悪、一瞬にして殺されていたかもしれない。そして、もう1つ。オエイレットがアシュに取り憑くという選択をした場合。


 アシュ=ダールは麒麟児である。ヘーゼンが唯一測りきれない器であり、潜在能力は未知数。その能力を引き出させられれば、最悪この街を巻き込むほどの死闘になったことは間違いない。


 全てが魅悪魔の想定通りに事が進んだ。そして、最強魔法使いの理想通りに。時間が過ぎるほど、互いに勝利を確信する。有利なのは、それまでに圧倒的な戦力を有したヘーゼン。オエイレットを惑わすための罠は、すでにこの時点では見過ごすことはできないものだった。


 疑心暗鬼に陥った悪魔を狩るのは、簡単だった。犠牲を瞬時に覚悟したヘーゼンと、慢心に満ちたオエイレット。その差が、勝利を分けた。


「アシュ……意識はあるか?」


 ヘーゼンは、闇魔法使いの前に立つ。


「……なんとか」


「そうか……」


 そう言いながら、ヘーゼンはアシュの手を取り……


 ガッ


 殴る。


 ガッガッガッガッ……


 倒れ込んだ身体に馬乗りになって、何度も何度も。


「いやあああああ、お父さん、アシュが死んじゃう!」


 身動きの取れないリアナが泣きながら叫ぶが、ヘーゼンは無表情で何度も何度も殴る。


「なぜ、?」


「……」


 クリストに聖闇魔法を放てば、魅悪魔を確実に消滅させることができたのは間違いない。しかし、アシュはそれを選択しなかった……いや、選択できなかった。


「わからないか? お前には、覚悟が足りない。なにかを守るためには、なにかを捨てる覚悟を持たなければいけない。お前の守りたいものはなんだ?」


「……」


「すぐに答えられないってことは考えたことがないからだ。そして、お前は、決断できずに、なにもできずに、ただ殺されるところだった。想像しろ。普段から、あらゆる物事に対して優劣をつけ、天秤をかけてどちらを選ぶかを決めておけ。やむを得ない場合に、瞬時に殺してもいい理屈を構築し、倫理感のリミットを外せ。迷わず殺せることは決して強さではない。しかし、殺すことに迷った瞬間、お前は死ぬ」


 細く長く生きられる男ではないと、最強魔法使いは分析する。その揺るがぬ信念と難儀すぎる人格のせいで、アシュの歩む道には敵が至る所に存在するだろう。いずれ命を狙われるその時のために、ヘーゼンは生きのびる術を叩き込む。自らの信ずる道をまっすぐに歩めるように。決して志半ばで足を止めることがないように。


「あ、あの……」


 隣の声でヘーゼンが振り向くと、クリストが震えながら立ち尽くしていた。


「ぼ、僕が……魅悪魔オイリエットを召喚し、リアナを危険な目に合わせました。アシュは、それを止めようとしてーー」


「ああ、君は帰っていい」


「えっ?」


 クリストは、信じられない表情を浮べる。怒っていないはずがない。自分の娘を死の危険に合わせたのだ。


「私が怒っているのは、君を殺すという選択をしなかったこのバカ弟子だ」


 クリストには毛ほどの興味も見せずに、再びアシュを殴り始めるヘーゼン。


 その瞬間、わかってしまった。自分という存在が、彼の歯牙にもかけられていないこと。アシュという魔法使いを一人前にするための餌にしか過ぎないこと。


 やがて、クリストは力なくフラフラと歩き出す。


 誰もそれに気づくことなく、まるで役目を終えた道化ピエロのように、彼は校庭を後にした。



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