寂れたバー


 明けぬ夜を喜ぶかのように、首都ジーゼマクシリアの繁華街は華やかな賑わいを見せる。そんな贅沢な立地にも関わらず、全くその場にそぐわぬ建物が一軒。薄汚れた酒場の錆びついた扉を、アシュ=ダールは強めに開いた。


「今日もガラガラだね」


 店内を一瞥するや否や呆れたようにつぶやく。


 外の喧騒がまるで嘘かのように、その店内は酷く閑散としたものだった。


「……大きなお世話だ」


 バーテンダーのシエール=ペンライトは表情を変えることなく、カクテルグラスを丁寧に乾拭きする。


 黒髪で中肉中背。初対面で会って、再び思いだそうとしても難しいような顔だち。印象が残らないということが特徴であるこの男は、裏仕事の斡旋業としては適任であった。


 ここ、『セズラー』は主に非合法の仕事を斡旋する裏ギルドである。あくまで、バーは表の顔。客がいようといまいと別に関係はないのだが、それでも自分色に染めた城を否定されたかのようで気分はよくない。


「客に対しての物言いを少しは考えた方がいいんじゃないのかい?」


 アシュは誰もいないバーカウンターの椅子に腰かけ、血で染まったオーバーコートとシャツを彼に手渡す。


「……今回は、なかなかの強敵だったみたいだな」


「なんてことはない。たまたま知った顔だったので、人生の先輩として少々躾をしてやっただけだよ」


 遠い目を浮かべながら、フッとキザな笑みを浮かべるナルシスト魔法使い。


「そりゃ……お気の毒だな」


 心の底からシエールは思う。


「仕事は?」


「ない」


「ふーっ……容姿・実力・実績を兼ね備えたこの天才魔法使いに仕事がないなんて、君の斡旋力が足りないんじゃないのかい?」


「……俺は容姿・実力・実績を兼ね備えておきながら、仕事の依頼が全くない理由を省みた方がいいと思うがな」


「ふむ……そりゃそうだ。まったく、世間というやつは天才に対する理解が足りないよ」


「……天才が全員お前のような奴だったのなら、その形容詞に対する世間の評価は正当だよ」


「ふっ……」


 なにを思ったか、ニヒルな笑みを浮かべカクテルに口をつけるキチガイ魔法使い。


 アシュという男、確かに優秀な魔法使いである。その知識の幅広さ、深さは右に出るものはなく、魔力、技術ともに超一流と冠するに相応しい。仕事の手際もよく、その達成率も申し分ない。その容姿すら、長身で輪郭は非常に整っている。その白く染まった髪が不審がられる場合もあるが、大抵の初対面では、好印象に見られることが多い。


 が、リピーターが極端にいない。


 そんな奇妙な状況たらしめているのは彼の性格の悪さに起因する。通常、依頼者は仕事の達成を目的としているので、請負人の性格云々は重要ではない。


 しかし、彼の場合は例外である。


 仕事を請け負うや否や、依頼人に与える圧倒的不快感。とにかく根掘り葉掘り聞きだし、罵倒し、皮肉り、そもそもこんな依頼などする愚かしさを嘲笑う。途中で嫌になって投げだす依頼人は後を絶たず、果ては『彼の殺害』と内容が変更されるケースもちらほら。


「とにかく、僕にはお金が必要なんだ。早いところ、依頼人を見つけてくれたまえ」


「……ああ」


 最近、シエールの悩みはこの性悪魔法使いに仕事が紹介できぬこと。この嫌な性格に耐えられる依頼人を探すことは、非常に困難な仕事であった。しかし、そんな苦労をおくびにも出さず愚痴もこぼさずに、ただそのストレスをカクテルグラス拭きにぶつける斡旋者の鏡である。


 そんな中、再び扉が開かれる。入ってきたのは、肩にかかるほど長い茶色ブラウンの髪をした美女。質素な木綿コットン素材のロングシャツにくたびれたスカートの装いから、一目見れば平民であることがわかる。


「あの……仕事をお願いしたいのですが」


「帰んな」


「そんな! 三日間寝ずに歩いてきたんです。報酬だって……」


 慌ててバーカウンターに小汚い袋を取り出す。その中には、シワになったお札と使い古された硬貨が入っていた。


「ウチの相場はその百倍以上だよ」


 シエールは、一瞥すらもせずに答える。このナルシャ国では貴族と平民の隔たりは大きく、平民=貧乏人という方程式がほぼ成り立つほどである。貴族の仕事しかしていないのではなく、貧乏人の仕事は受け付けてはいない。


「……っ! お願いします。このままでは、家族が……家族が……」


 頭を地面に擦り付けながら、女性は土下座をする。地面には涙が滴り落ちる。


「……」


 シエールは、なにも言わない。いや、むしろ目の前の相手に軽蔑の眼差しすら向けていた。対価を支払おうとせずに、利益のみを情で享受しようとするその浅ましさ。それは、斡旋業という計算で成り立つ仕事をしている者であるからこそなおさら目についた。


「……うう、うううううっ」


 彼女には、ただ泣くことしかできない。自分の無力を呪いながら、世界の理不尽さを呪いながら。


 しかし、そこに空気の読めない男が一人。


「美しいお嬢さん、残念ながらこの世界では……いや、どこであろうと貧乏人が優遇される世界などはない。悲しい事実だがね……」


 アシュは彼女の肩に優しく手を触れて、さも理解者かのように柔らかな微笑みを見せる。


「……助けてください。お願いしますお願いしますお願いします」


「ふぅ……お嬢さん。僕の依頼料はこの中でもなおさら高いんだ。超一流の魔法使いは、このはした金の千倍は下らない」


「私……なんでもします……なんでも……」


 すがりついて懇願する美女をジッと眺める闇魔法使い……それこそ、上から下までシッカリと撫でまわすかのように。


「お嬢さん、お名前は?」


「……サラと言います」


「サラ……美しい名だ。大地の女神と同じ名を冠するとは、平民でありながらも君のご両親は聡明な方だと見える」


「は、はぁ」


 目の前の男の言葉の真意を理解できない彼女は、ただ不明瞭な相槌をつくことしかできない。


「世の中には貧乏人が優遇される世界はない……しかし、美しい者はたびたび世界において優位に働く。これもまた、悲しき世界の真実だね」


「あ、あの……それって……」


「おい、ちょっと待てアシュ。お前、彼女の仕事を引き受けるというのか。お前、金が必要じゃなかったのか?」


「……美女の涙の前には、大海を埋め尽くすほどの金塊すらゴミさ」


 パリン。


 身震いのするような台詞に、バーテンダーは思わずカクテルグラスを落とした。しかし、助けを求めている彼女にとっては、紛れもなく救世主以外の何者でもなかった。


「助けて……くれるんですか?」


 彼女の問いに答える前に、シエールが不満を口にする。


「おい、ルール違反じゃないか?」


 裏には裏の秩序があり、取り決めがある。斡旋業を通さずに仕事をするのは、明らかな抵触違反で今後の信頼関係にも関わる重要事項だ。


「この紳士が約束を破るとでも?」


「……個人的な依頼だからとでも詭弁を使うつもりか?」


「クク……僕がそんな見苦しい言い訳じみた真似を使うと思うかね?」


「……なら、どうすると?」


「さぁ美しいお嬢さん、行こうか。こんな不粋な場所にいたらあなたの美貌が台無しになってしまう」


 アシュは優しく彼女の肩を抱いて、錆びついた扉に向かって歩き出す。


「あ、あの……まだ、目的地を伝えてないんですけど……」


「それ以上は言わなくていい。この先に美味しいセジーナ料理を堪能できるレストランを知ってるんだ」


「……えっ?」














「さぁ、嫌なことは全て忘れて。いや、僕がすべて忘れさせてあげよう」

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