正義
朝日が顔をだし、鳥の鳴き声が聞こえてもリリーはベッドから出てくることはなかった。あれから、ライオールが訪ねてきて、『退学の撤回』を伝えてくれたのだが、どうしても足がベッドから出せない。
トントントン
「リリー、起きてる?」
そのノック音にびくつき、小さく声をあげるが、シスの声を聞いて安心と自己嫌悪が同時に襲ってくる。
「ど、どうしたの?」
「風邪、治ったみたいだから私、学校行くね」
「そ……そうなの。よかった」
「あの、リリー。昨日、なにかあった?」
「……」
昨日は途中で帰って、一日中、シスの看病をしていた。彼女のことはもちろん本気で心配していたが、それより一人になって考えるのが怖かった。照らされていた光を消された暗闇を歩くことも。今までないほどの
それでも、病人の部屋に長くいるわけにもいかず、半ば強引にベッドに潜り込み、眠れぬと知りながら瞳を閉じ、案の定一睡もできぬままここまで至る。
「リリー?」
「ちょっと……調子が悪いの。今日は……休む」
「……そう、わかったわ」
それ以上彼女はなにも言わずに、去った。心遣いに感謝しながらも、彼女に対する罪悪感がとめどないほど湧いてくる。守ると誓っておきながら、逃げだしてしまっている自分に。
アシュにことごとく批判された後、すぐにトイレに駆け込んで息を殺しながら号泣した。もちろんあの最低教師の物言いに腹も立ったが、何より許せなかったのは自分の言動、振る舞いだった。
シュバルツ家は、『聖賢者』と謳われたレイア=シュバルツを輩出した家系である。彼女は生涯独身であったので、妹であるセルーが家督を継ぎ一族を繁栄させた。
8代目当主であるリリーはレイアの逸話を聞きながら育った。彼女がゴブリン族の大首領ジグラーを討伐した話。このナルシャ王国のみならず大陸各地に救貧院を自らの財を投げうって建てたこと。大天使を召喚し、神との交信が可能だったという逸話まで残っている。
リリーが成長していくにつれ、『彼女はレイアの生まれ変わりなのでは』と周囲から言われるようになった。いくつも残されている彼女の痕跡がリリーの風貌に酷似していたからだ。
細く流れるような金髪。凜と整った端正な顔立ち。深海のような青の瞳以外の特徴は、絵画に描かれたレイアのそれと同様であった。奇しくもレイアが死去して以降170年間、その特徴を持つ者は1人として現れなかったため、その噂はまことしやかに囁かれた。
そして、それを証明するかのようにリリーは魔法において優秀な成績を上げていった。元々持つ彼女の魔法使いとしての才能もさることながら、彼女の努力には目を見張るものがあった。それも、彼女がレイアに近づきたい一心であることは言うまでもなかった。
聖賢者レイアのようになりたい、脇目も振らずにまっすぐ走って行っていると思っていた。これからも変わらずに走り続けていつか彼女のようになれる、そう信じて。
そんな中、奇妙な魔法使いに足をかけられてつまずいた。彼はリリーに対し、傲慢で、無礼で、失礼だと口にした。起き上がって己の自分勝手さ、醜さに初めて対峙し狼狽えた。そんな自分であることが、許せなかった。こんな自分など見たくなかった。あんな最低な魔法使いに、見透かされて、恥をかかされ、泣かされて。
自分の浅ましさに思わずため息が出る。いったい自分は何様だったのだろうか。
我が身を振り返って、二時間ほどが経過した時、
トントントン。
再びノック音が部屋を木霊する。
「シス。なにか――「ミラです」
「ど、どうして……ここに?」
「今日お休みになると聞き、心配になりまして。今日はもう授業には来られないのですか?」
「……今更、どんな顔をしてあいつに」
「そこはあまり心配なさらずとも。アシュ様はリリー様より数億倍恥をかいていると思いますが、恐ろしく平然とした顔で私の前に存在しております」
「でも……」
リリーは、それでもベッドから動けずにいる。
「……よくアシュ様が恥をかいた時、私は言います。『よくもおめおめと私の前で存在することができますね』と。すると、アシュ様はこう言うのです。『恥をかかない人間はいない。間違えることがない人間がいないのと同じように。しかし、大事なのは勇気を出してその恥を認めること。間違えを正すこと、その勇気を持つことこそ重要であるのだ』と」
「……」
「余計なお節介が過ぎました。申し訳ありません」
ミラが深々とお辞儀をして戻ろうとした時、
「ありがとう……ございます。ミラさん」
そう言ってリリーは足をベッドから出した。
*
10分後、リリーはホグナー魔法学校の特別クラスの教室の前にいた。
扉を開ける手は震えていた。でも……大事なのは勇気を出してその恥を認めること。間違えを正すこと、その勇気を持つことこそ重要であるのだ……深呼吸しながら、何度も何度も忌々しい最低魔法使いの言葉を反芻した。
自分がやってしまったことは変えられない。時間を戻すことはできないのだから。
だからと言って。
過ちを悔いて、何もしない? あの最低魔法使いに負けたまま? そんなのは考えられない。
ガラララ……
無機質な音が響いて、視線がリリーに集まってきた。思わず、足が震える。しかし、動かないわけではない。ゆっくりと踏み出すように歩を進めて、自分の席へと座った。
「……遅刻だな。リリー=シュバルツ君」
アシュが側に近づいてきてそうつぶやく。
「すいません」
リリーは唇を噛みながら頭を下げた。
「時間を守れぬものは、いざという時に大事な機会を失うものだ。マイナス10点だ」
「……はい」
「しかも、よくもおめおめと僕の前に顔を出せたものだな」
「……」
リリーが下を向きながら黙っていると、アシュはその柔らかな金色に輝く髪を優しく撫でた。
「大した勇気だ。プラス20点」
顔を上げて表情をうかがうと、アシュは柔らかな笑顔をリリーに浮かべていた。
「さあ早く開始したまえ、リリー君。僕は公平な紳士だ。遅刻した分、君に時間を与えてやるような配慮はしない」
そう言って背中を見せるアシュを、リリーは少しの間、ペンを動かさずに眺めていた。
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