願い花


 ミラは、その声の主にまったく見覚えがなかった。小太りで頭皮の薄い男。その身なりから、貴族であることはうかがえたが、そもそも貴族に知り合いなどいるはずもない。


「なぜお前のような者がこんなところにいるのだ!?」


 しかし、この男は、紛れもなく彼女のことを認識していた。


「デリテクール大臣……この淑女を知っているのかい?」


 ライーザ王が落ち着き払った様子で尋ねる。


「陛下、恐れながら申し上げます。このミラ=エストハイムは、貴族ではなく平民の娼婦であります!」


 小太りの身体をひざまずかせながら。デリテクールと呼ばれた男は高々とそう報告する。


 一斉に周囲の視線がミラに集中した。


「やだぁ、娼婦ですって」「なんで平民がこんなところに」「衛兵はなにをしていたのかしら」「陛下とダンスなんて身のほどをわきまえなさい」「死刑確定ね」


 王の寵愛から漏れた貴族の女性たちから、口々に浴びせられる。


「あ、あの……私……」


 数歩後ずさりながら、彼女は振り向いて走り去る。


「っはは、ほら見ろ! バレて逃げ出すのが、平民の証拠だ。陛下、ここは私にお任せください。身分を偽った愚かな罪人には、相応の報いを与えましょう」


 お辞儀をして、デリテクールは意気揚々と彼女の後を追って行った。


「……」


 ライーザ王は、黙ったままその場に立ち尽くしている。


「追わないのかい?」


 気がづけば彼の横に、アシュ=ダールが立っていた。その両頬には、女性の張り手の跡がクッキリと残っている。こっ酷くフラれたばかりの、非モテ魔法使いである。


「……」


「あの豚は、女性を大切にするタイプとは僕には思えないがね」


「……」


「……まあ、いいが。じゃあ、僕も失礼するとするか」


 そう言いながら、闇魔法使いは舞踏会の会場を後にした。


              *


 北に広がるシルキスの森は、漆黒の夜があたりを包み込み、梟の瞳のみが不気味に輝いていた。そんな中、デリテクールは、腕利きの護衛2人を従え、馬車の中で上機嫌にワインを飲む。


「ククク……あんな上玉は、ライーザ王なんかにはもったいない」


 莫大な金を提示され、嬉々として譲った女であったが、今日の彼女を見て気が変わった。絶対に自分のコレクションの1つに加えようと、ワイングラスを転がしながらほくそえむ。


 その時、馬車が急停止し、ワインがデリテクールの顔に全て掛かった。


「くっ……ゴホッ、ゴホッ……貴様! 何をやっている!?」


 叫びながら、馬車の外を出ると、目の前にはアシュが立っていた。すでに、白髪の髪、黒々とした瞳に戻っている。


「やぁ」


「き、貴様……なぜここに!?」


「本当に不本意だがね。僕は君に聞かなければいけないことができたんだ。『なぜ約束を破ったのか』、ということをね」


 ミラを金で買おうとしていた貴族。それが他ならぬデリテクールだった。闇魔法使いは、その情報を掴み、より莫大な金を渡して彼女をあきらめさせた。


「ああ、言わなかったかな? 私は約束をよく破る」


「……そうか」


 闇魔法使いは静かに頷く。


「ククク……私が紳士じゃなくて残念だったな」


「ああ、気にしなくていい。


「……訳の分からぬことを……おい、この不気味な男を早く殺せ」


 デリテクールが叫ぶ。


 が。


 側にいるはずの護衛がいない。


 そのことに、初めて気がついた。


「お、おい! お前たち! どこにいる!?」


 周りを見渡すが、そこには誰の気配もない。


「君が呼んでいるのは、この首を持った者たちのことかな?」


 お手玉をするかのように。デリテクールに見覚えがある護衛たちの首から上を空にくるくると飛ばして遊ぶ。


「なっ……」


 小太りの男は、怯えた表情で数歩後ずさる。


「さっき、僕はお互い様と言ったよね。どういう意味かわかるかい?」


 二つの首を地面に落とし、闇魔法使いはゆっくりと近づいていく。


「あ……う……」


「僕も君に言ってなかったことがあるんだ。君が約束を破ればどうなるか、ということをね」


 そう発した瞬間、デリテクールに雷のような激痛がほとばしる。


「ぎゃああああああああああああっ!」


「……」

 

 アシュは首を傾げ、大きな目を見開いて凝視する。


 立っていられないほどの激痛で。小太りの男は地面にのたうちまわる。


「ぐえええええっ、い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃ……」


「……花をね。君に植えたんだ」


 ボソリと闇魔法使いはつぶやく。


「は、はな……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……うぎゃあああああああああああああああああっ」


「ああ、君が約束を破った時に全身の血液を養分にして咲き乱れる花をね。僕は花を愛でるのが大好きなんだ」


 無邪気に。


 得意げに。


 苦しみ回っているのを心底楽しみに眺めながら、アシュは説明する。


「お、お願いだぁ……助け……ええええええええええあああああああああ!」


願花ねがいばなと、この花は呼ばれているんだ」


「ええええええ……」


 やがてデリテクールには声が出せなくなった。


「そう。君はこれから、なにもすることができなくなる。叫ぶことも、助けを求めることも、気が狂うことすらできなくなる。でもね、表情だけは穏やかなんだ。だから、みんな君が痛がっているなんて、微塵も思わない」


「……」


「死にたくて、死にたくて、死にたくて、死にたくて。毎瞬、君はそう願うようになる。しかし、死ねない。死を願っても願っても願っても願っても、それが他人に届くことはない。君は、安らかな顔で眠り続けているように見えるからね」


「……」


 やがて、闇魔法使いの言う通り、デリテクールの表情が穏やかな表情になってくる。地面を転げまわることも、激痛で叫ぶこともなくなった。


「死を願い、それが叶った時に咲き乱れる花。それが、願い花。苦しむ時間が長ければ長いほど、綺麗に咲き乱れるらしいよ? さて、君はどれだけ綺麗な花が咲くかな?」


「デリテクール様! デリテクール様!」


「おっと……まだ、君の部下がいたんだね。これで、君はここで野垂れ死ぬことすらできなくなったわけだ。あと、何年……いや、あと何十年、君は苦しみ続けるのかな」


 満面の笑みで、アシュは眠るように横たわったデリテクールに語りかける。


「……」


「いい願花が咲きそうだが、残念ながら僕は見れそうにない。では、ご機嫌よう」


 闇魔法使いは、礼儀正しくお辞儀をし、夜の闇へと消えて行った。


 

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