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 盗撮の件は大問題だが、だからといってそれ以外のコトをおろそかにしてはいけない。夏はひとを開放的にさせる。いつ校舎の片隅で誰かが乳繰り合っていないともかぎらない。

 マユリはまず外からまわるコトにした。校庭の端のほうや、体育倉庫のなか、非常階段、校舎裏の茂み、フェンスを挟んだ部室棟と住宅のあいだのわずかなスペース、どこにナニが潜んでいるかわかったものではない。校庭では野球部が練習中なので、ジャマにならないよう――流れ弾に当たらないようにも――気をつける。

 正門のところでは、ゲート班が文化祭入場ゲートの制作を本格的に開始していた。三芳野高校文化祭の予算は100万円、そのうち優に30万円もの金額が、ゲート作りに計上されている。ゲート班は実委のなかでも一番人気の班で、あくまで縁の下の力持ち的組織である実委において、働きがストレートに評価されやすい花形だ。なにせ学校関係者も来場者も、文化祭へ訪れれば真っ先に、この巨大で精緻なゲートを目にするのだから。今年のモデルはモン・サン・ミッシェルだというハナシだ。完成するのが今から待ち遠しい。

 炎天下の作業になるので、仕事の過酷さでも警備班を例外とすれば実委イチだろう。熱中症が懸念される。むろんゲート班にかぎったコトではなく、もしそれで病院へ運ばれたり、最悪、死者が出たりすれば、盗撮事件ほど直接的ではないにせよ、伝統的な実委活動の継続に影響を及ぼしかねない。ゆえに実委メンバーたちへ水分補給を促すのも、警備班の重要な仕事だ。

「じゃぱん、がばめん、ふおるもさ、ううろんち、わんかぷ、てんせんす。かみんかみん」

 奇妙な呪文めいた言葉を唱えながら、大きなウーロン茶のペットボトルをいくつも抱えたツインズが歩いてきた。実委だけでなく、校内にいる人々に紙コップでウーロン茶を配っていく。

「やァカーリー元気?」「キミもウーロン茶飲む?」「飲むよね?」

「……ふと思ったんですけど、ウーロン茶ってカフェイン入ってるじゃないですか。熱中症対策の水分補給としてはどうなんです?」

「だってOBの差し入れが余ってるんだもの」「しかたないしかたない」「それにカフェインは」「利尿作用で出てっちゃうのが問題なのであって」「つまり出て行った分はまた飲めばいいってハナシさ」「自転車操業ってヤツさ」「あとみんな基本的に寝不足だし」「今はまだしも合宿中とか文化祭前日とかヒドイね」「だからカフェインでスッキリさせたほうが」「ケガもしにくいって寸法」「特にゲート班はクギとかノコギリとか使うし」「高いところに登ったりするから」「でもまァ」「ぶっちゃけたハナシ」「さっさとこの大量のウーロン茶を」「始末したいだけなんだけど」

 ツインズはちょうど出張から帰還した設営班の面々に駆け寄り、問答無用でウーロン茶を手渡していく。設営班はこの炎天下のなか、大量のスリッパをリヤカーで運んできたのだ。文化祭来場者が手ぶらでも来られるように、当日は昇降口でスリッパを配布するコトになっている。しかし三高の備品だけでは数が足りないので、近隣の学校や公民館などから借りてきたのだ。彼らはこれから夏休みのあいだじゅう、ひたすらスリッパを雑巾で磨き続けるという苦行に入る。そのまま使うには汚れが気になるからだ。そのあまりの数の多さに、ある者は精神に異常をきたしてフィボナッチ数列を数えはじめ、またある者は死んだ魚の目でスリッパをらせん状に重ねていき、バベルの塔を建設するのだという――。ある意味、どこよりも強靭な精神力を要求されるのが設営班だ。

 パンフレット班の取材担当がやって来て、ゲート班にインタビューと写真撮影を始めた。実委の活動記録は印刷所への入稿ギリギリまでおこなわれる。そうこうしているうちに文化祭告知ポスター――イラストはピーター作――を貼りに出ていた宣伝班も戻ってきて、正門付近がにぎやかになってきた。

 そこへさらに、明智がスーパー袋を持って現れた。「差し入れ持ってきてやったぞ。ガリガリ君だ。警備班のみんなで食え」

「ありがとう明智先生」

「あまり根を詰めすぎるなよ。文化祭は高校生活を彩ってくれるが、高校生活やその後の人生が文化祭のためにあるワケじゃない」

「うん。ところでピーター――小林センパイに会ってく? 今ならたぶん生徒会室にいると思う」

 明智は日陰へ入っているのに、まぶしそうに顔をしかめる。クリント・イーストウッドのヘタクソなモノマネみたいだ。

「……いや、エンリョしとく。ジャマしちゃ悪いからな。どうせアレだろ? 夏コミの原稿に追われてるんだろ?」

 マユリは苦笑いした。「そうみたい。文化祭パンフレットに寄稿するマンガも同時進行してるらしくて、ホントいそがしそう」

「今日はもう帰る。老兵はただ去りゆくのみだ。というか、今日じゅうに済ませておきたい用事がいくつかあるし。今度は夏休み合宿に差し入れ持ってきてやるよ」

「あの、先生」マユリは逡巡しつつも、「あとで帰ったら、チョット相談したいコトがあるの。いい?」

「ああ、わかった。ビール飲みながらでいいなら」

「かなりマジメな相談なんだけど」

「冗談だよ。それじゃアな」

 明智の背中を見送り、マユリは校舎内のパトロールに移った。

 空き教室のひとつで、ステージ班がイベントスケジュールを組んだり、進行台本を作ったりしていた。ゲート班と違い、屋外ステージの設営は業者にまかせるので、ステージ班は徹頭徹尾ステージの運営に直接かかわる作業に集中する。

 一方、設営班の別動隊が各教室をまわって、机とイスに手当たり次第ナンバリングシールを貼っている。参加団体によっては、使用する教室から不要な備品をどかすところもあれば、お化け屋敷などで大量の机を積み重ねたりするところもある。なので終わったあと元に戻せるよう、残らずナンバリングして管理するのだ。設営班の仕事は実委でもっとも多岐にわたる。そもそもが総務班の仕事量を軽減するために作られた班であり、そのせいか何でも屋的な性質が色濃い。ひたすらゲートの制作をおこなうゲート班とは対照的だ。当日の会場警備や列整理においても、例年ゲート班と並んで設営班から多く人員が駆り出されている。

 パンフレット班は表紙デザインの選定、寄稿された原稿からどれを採用するか、取材記事にスクープを載せられる余地をどの程度残すかもふくめてページの割り当て、怒号が飛び交うなかで目まぐるしく進行していく。そのさまはまるで戦場だ。

 総務班はどんな仕事をやっているのか、実委内でさえあまり認知されていない。正直マユリもよくわからない。とりあえず知っているのは文化祭予算の管理と、実委メンバーの名簿管理、実委へ入った新入生から名簿登録料の徴収、実委ハッピ代金の徴収、見かけるといつもみんなでカップめんを食べているコトくらいだ。「チョット待てそのカップめんの代金どこから出てるの?」なんてこれっぽっちも思っていない。間違っても口には出さない。実委の暗部は闇が深く、ヘタに覗き込むのは危険がともなうのだ。ヘタを打つと組織に消されかねない。

 夏休みがスタートして、文化祭準備に取りかかったのは、何も実委だけの話ではない。水泳部が、今年披露するシンクロナイズドスイミングで曲選びをおこなっている。昔、男のシンクロとして話題になり、映画化やテレビドラマシリーズが作られたコトで有名だ。その内容から世間では誤解されているが、三高の水泳部は年がら年じゅうシンクロをしているワケではない。あれはあくまで文化祭の見世物にすぎず、ふだんはフツーに競泳の大会へ向けて猛練習している。というか、こうやって夏休みに入ってから曲や振りつけを少しずつ決めていき、実際に練習を始めるのは例年本番の2週間ほど前だそうだ。にもかかわらず、あそこまでのクオリティに仕上がるのだからおどろきである。

 ただ、有名になったコトで来場者数に貢献してくれる反面、整理券の配布および列整理に多大な労力を割かれるため、実委内ではシンクロを毛嫌いしている人間も少なくない。化学部には元実委の部員も多いのだが、化学実験室がプールの目の前にあるコトもあり、毎年文化祭当日はシンクロ開始に合わせて爆破実験という名の妨害工作をおこなっているらしい。何を隠そう、プール正面に位置する部室棟の魔法少女も、シンクロへの嫌がらせで誕生したと言われているくらいだ(※諸説あり)。

 一般的なイメージの文化祭と違い、三高ではクラスでの文化祭参加は少ない。実委として運営に携わるか、部活単位での参加が主になる。クラスで出し物をするのは、部活も実委も引退した3年生だけだが、それもあまり活発とは言いがたい。受験勉強に集中するか、結局は古巣を手伝う者が多いからだ。また、生徒全員が一丸となって文化祭に取り組んでいるワケでもない。メンドくさがったりして、まったく文化祭に参加しない面々も存在する。開催期間中は休日がごとくすごすのも、生徒個人の自由。それが許されてこその三芳野高校だ。

 生徒たちの様子を観察しつつ、女子トイレと更衣室の調査も並行しておこなっていく。ここしばらくで、スッカリ日課になった作業。パトロールする効率的な順番も手慣れたものだ。とはいえ、ミスは慣れたころになって起こりがちだ。ルーチンワークで注意が散漫になった結果、大事な証拠を見過ごしてしまうかもしれない。よって本日は、いつもと違うルートで見てまわる。

 半分ほどこなしたころ、携帯電話にピーターから着信があった。

『カーリー、新しい動画の投稿が確認された』

「またですか……。スッカリやりたい放題ですね」

 こちらが足踏みしているうちに、ふたたび盗撮の被害者が出てしまった。くやしさでこぶしを握り締める。

『それがだね、これまでと違った場所で撮影されているんだ。トイレでも更衣室でもない』

「……何ですって?」

『今からその動画を送る。確認しだい現場へ急行してくれ』

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