003
「三芳野高校文化祭! よろしくおねがいします!」
新宿アルタ前で、赤いハッピを着た宣伝班がビラ配りをしている。道行く人々は物珍しそうに眺めている。パッと見、隣のポケットティッシュ配りより、多く受け取ってもらっているように感じられた。
宣伝班の仕事は1にビラ配り、2にビラ配り、3、4がなくて、5にビラ配りというくらいビラ配りに特化した班だ。あとはポスター貼りのほか、変わりダネとして高校生クイズへの参加がある。あの企画には国内の有名進学校が毎年本選に出場しているが、彼らと学力で肩を並べる三高が予選を通過したコトはない。そもそもクイズ研究会すら存在しない三高において、宣伝班が毎年大会へエントリーするのは、同じく県予選に参加する近隣高校へ文化祭の宣伝をするためだ。むろん本選へ残ってテレビ出演すれば、これ以上ない宣伝になるから、それもやぶさかではないが、そのためにわざわざ多大な労力をかけるつもりもない。同じ労力ならビラ配りにかける。それが宣伝班の生きざまだ。
元気のイイ声でせっせとビラを配る彼らを尻目に、マユリたちはヒマだった。お目付け役として同行したものの、トラブルなどそうそう起きないし起きないほうがいい。そうは言ってもやはりヒマだ。
「……もう帰っちゃダメですかね」つい本音がもれる。
「そんな退屈なら手伝えばいい」ニブズはあくびをしながら言う。
「トーシローが手出ししてもジャマなだけでしょ。あとどのくらい続けるんでしたっけ?」
「7時までってハナシだったから、まァ残り30分ってトコだな」
「うゥ……」
「どうした? さっきからモジモジして。ひょっとしてションベンか? べつにエンリョするコトないぜ? さっさとしてこい」
「違います!」
退屈だという以上に、マユリには早く帰りたい理由があった。
まさか口が裂けても言えない――朝から水着を着て来たせいで、下着を忘れたなんて!
バッグにチャント入れたつもりだったが、どうやらウッカリしていたらしい。不幸中の幸いはスカートを穿いていないコトだ。風でめくれてご開帳なんて事態だけは避けられた。歩くたびに股がこすれて、危うくヘンな声が出そうになるが、耐えれば何とかなる。むしろ問題は下ではなく上だろう。彼女はこれまでの人生で、男子をうらやましいと思った点ふたつがある。ひとつは三高が男子校だったから。もうひとつは、ブラジャーを身に着ける必要がないから。
つまり彼女は今、ノーパンのみならずノーブラなのだ。
夏といえば当然、薄着になる。マユリもまたしかり。色的にシャツが透けるコトはないと信じたいが、あまり汗で濡れて肌に張りつけば、乳首が目立ってしまうかもしれない。気温が高くなっているのか、それとも羞恥ゆえか、カラダがだんだん火照ってきた。
「――オイ、ダイジョーブかカーリー? なんだか顔が赤いぜ。熱でもあるんじゃねえのか」
「ダ、ダイジョーブです」せっかくのチャンスだったのに、強がってしまった。たとえウソでも具合が悪いと言えば、この状況から抜け出せるかもしれないというのに。
この場にいるのがトゥートルズなら、スライトリーなら、あるいはツインズなら、いやいやピーターであったとしても、マユリは弱みを見せられただろう。けれどもこの男子は、ニブズだけはダメだ。最初のころと比べれば、いくらか態度はやわらかくなったとはいえ、いまだ女子であるマユリをあなどっているきらいがある。見返してやるためには、女子でも警備班の立派な戦力であると示さなければならない。
ノーパンくらいなんだ。ノーブラくらいなんだ。そんなのは屁でもない。なめられっぱなしでいるくらいなら。
ビル風が股のあいだを吹き抜けた。「ひゃうッ!」
「マジでダイジョーブか? ヤバかったらムリせず早めに言えよ。あとになって倒れられたりしたら、それこそ迷惑だ」
「ダイジョーブって言ってるじゃないですか! わたしのコトなんかより、今は宣伝班のほうを――うひゃあ!」
「風が吹いたくらいで悲鳴あげるとか、痛風じゃあるまいし」
「まさか! 痛風なんて病気は、ニブズみたいな金持ちがなるもんでしょ。わが家は節度ある暮らしをしてますから」
「あァン? 最近の金持ちなめんなよコラ。栄養士の資格持った家政婦高いカネで雇って、超ヘルシーな献立組んでもらってんだぜ。しかもメッチャクチャ美味いんだぜ」
「どうだか。そんなに言うなら、ぜひ食べてみたいもんですね」
「だったら今夜、招待してやろうか? いつも多めに作ってくれるから、ひとりやふたり増えたって全然問題ねえ」
なんだかおかしな流れになってきた。「エッ? あ、いや、それはエンリョしときます。さすがにおジャマでしょうし」
「ジャマも何も、今夜は両親とも帰ってこねえから心配すんな。まァ妹はいるが、コイツに関してはむしろジャマしてほしいくらいだぜ。あのバカ中3で受験生なんだが、よりによって三高受けるとかぬかしてやがる。まったく、妹と高校が同じとか冗談じゃねえ」
両親不在というコトで、一瞬エロい妄想をしてしまったが、妹がいるなら安心――いやいや、ダメだダメだ。冷静になれ。ノーパンノーブラで男子の家へ行くなんて、まごうコトなき痴女ではないか。
「お招きはありがたいですけど、母が夕食を作って待ってますので」
噂をすれば、マユリの母から電話がかかってきた。
『あ、マユリ。ゴメン連絡するの遅れたけど、今夜チョット急に高校時代のトモダチと会うコトになったの。準一郎も仕事で遅いみたいだし、夕飯はどっかでテキトーに食べて来て。あとで食事代あげるから。よろしくー』
母は一方的にそれだけ告げて、さっさと切ってしまった。食事代はあとでくれると言っていたが――さて、現在サイフにいくら入っていただろうか?
今さら確認するまでもない。イマドキのコンビニには下着も売っている。その気になれば、トイレに行くフリをして買ってくるコトもできた。それをしなかったのは、何を隠そう手持ちの現金がなかったからだ。ここ最近ムダづかいしすぎた。昼食が購買のシュガートースト一枚だったのも、実はカネがなかったから。
「……センパイ」
「なんだ?」
「おカネ貸してくれません?」
「ことわる。メシはおごってやってもいいが、カネはゼッタイ貸さねえ。痛風で脚を切ったジーサンの教えだ」
「…………」
「今夜はカレーだそうだ」
腹の虫の鳴き声が、コンクリートジャングルに溶けた。
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