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埼玉県川越市。かつてかの太田道灌が築いた川越城本丸跡地に、県立三芳野高等学校――通称「三高」は存在する。
本校は明治時代創立の歴史ある名門であると同時に、県内有数の進学校だ。創立以来ずっと男子校であり、第二次大戦直後はGHQの命令に背いてまで男女別学を維持し続けていたが、時代の波にはあらがえず5年前とうとう共学化してしまった。
男女が同じ学舎でともに過ごすとなれば、もはや昔のままではいられない。特に問題だったのが文化祭だ。三高の文化祭は予算総額100万円、実行委員総勢300名超、例年来場者数3万人近い大規模を誇る、地元の一大イベントだ。それを可能とするには、連日の泊まり込みによる準備なしでは考えられない。しかし男女共学となると、そのまま以前と同じように続けるのは難しくなる。まさか実委に女子を加えないワケにはいかない。それでは男女差別になってしまう。
万が一、準備合宿中に男女間で何らかの問題――ようするに不純異性交友が発生すれば、これまでの実委の在り方どころか、文化祭の存続自体があやうくなってしまうだろう。それを防ぐため、新たに警備班が設立された。
文化祭開催中の会場警備は、もともと当日の日中に手が空いているゲート班や設営班、パンフレット班の人員を配していたが、それは現在も変わらず続いている。警備班は当日の警備指揮に加え、準備合宿中に生徒たちが問題を起こさないよう監視するコトを目的としている。
実委会長直属というコトもあってか、この5年間のうちに彼らの権限は大きく拡大した。現在では合宿中にかぎらず、一般的に言うところの風紀委員のような立場となっている。とはいえ、生徒の自主自立を掲げる三高には、学校側から押しつけられた校則など存在しない。あるのは生徒総会が掲げた生徒憲章だけだ。そして警備班の仕事は、生徒憲章を遵守させるコトでもない。三高生の自主自立をおびやかしかねないモノを、すみやかに排除するコトにこそある。
警備という職務は、捜査および諜報との両輪だ。アメリカ大統領を警護するのは偽造通貨を取り締まる
「正門前に植えられた菩提樹は、三高のシンボルだ。ブッダが菩提樹の下で悟りを開いたコトがゆえんだそうだ。一方で菩提樹といえば、竜血を浴びたジークフリートは、貼りついていた菩提樹の葉のせいで、背中が弱点になってしまったという。ゆえにわれわれの仕事は言うなれば、落ち葉掃除だ。
警備班は実委のなかでも、特にいそがしい班だ。それゆえ高い能力と忠誠心が要求される――大仰な言いまわしだが、ようするに学生の本分であるところの勉学より、警備班の仕事を優先する覚悟が必要になる。事件が起これば定期テスト前だろうと関係ない。それゆえ警備班に加入したければ、入学試験とは比較にならないほど高難度の学力テストをクリアしなければならない。
「歓迎しよう花崎マユリ――いや、コードネーム〈カーリー〉。ようこそ、わが警備班へ」
「ありがとうございます。期待に応えられるよう、精いっぱいがんばります。至らない点もあるかと思いますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくおねがいします」
マユリは休めの姿勢のまま微動だにしない。小学1年生からボーイスカウトで鍛えられている。イマドキ女子はガールスカウトしか入れないというコトはない。
「キミを推薦してくれた明智先生の信用を裏切らないよう、励んでくれたまえ。――さて、これからきみと苦楽をともにする仲間たちを紹介しよう。手始めに今さらかもしれないが、僕は実委会長の小林芳阿だ。コードネームは〈ピーター〉」
ピーターは眉目秀麗な美少年だ。スラリとしたカラダつき。珊瑚のように細くなめらかな指。鼻筋の通った顔立ち。大きな瞳は深い海の底を思わせる。最高級の絹糸がごとくサラサラの髪は、縮毛のおのれからすれば嫉妬せざるをえない。
三高は私服での登校が許されているものの、指定の制服――学ランとセーラー服もある。野球部や応援部以外だと、毎日のファッションを考えるのが面倒だという生徒が着用するばあいが多い。しかしピーターに関して言えば、明確な信念をもって詰襟を着込んでいるように見えた。古風な学帽もよく似合っている。
対して、その隣に立つ生徒はボサボサの髪に、しわだらけのシャツと穴だらけのジーパン――おそらくダメージ加工ではなく、ボロなだけ――そして、ひどく薄汚れた白衣を羽織っている。いかにもマッドサイエンティストといった風情。
「ボクは大友九、コードネームは〈スライトリー〉。警備班の装備担当だ。さっそくだけど、いくつか餞別をわたしておこう」そう言って二種類の錠剤と、古い硬貨を手渡してきた。「こっちはカフェイン錠剤。どんな眠気もイッキに吹き飛ぶ。そしてこっちが睡眠薬。海外ではレイプドラッグとして使用されるほど強力で、意識が強制的にシャットダウンされるから、カフェインの摂りすぎで眠れないときに使うといい。どっちも用法容量を正しく守るように。できれば一度も服用しないのが望ましいけれど、定期テスト前はそうも言ってられなくなる。で、この二銭銅貨は幸運のお守りだ。にっちもさっちもいかなくなったら、コレに祈るといい」
「コラコラ」「ルーキーをおどかすのも」「ホドホドにしときなよスライトリー」「そうだよ。かわいそうだよ」「テスト前にあくせくしなくても」「彼女の成績なら授業だけで充分さ」「もっとも、僕らは」「授業中寝ないためにクスリ頼ってるけど」
うりふたつの顔が、興味深げにマユリの顔を覗き込む。身に着けているファッションもまったく同じ。
「はじめまして。オレは羽柴双一。そっちが双子の弟で双二」「違うよ。オレが兄の双一だよ。おまえが双二だろ」「いいや、双一はオレだ。生まれてこのかたオレが双一だ。ウソつくな」「ウソつきはおまえだろ双二。カーリーの顔がチョット好みだからって。ガキじゃあるまいし」「なんだって? オレがガキならおまえだってガキだろ。双子なんだから」「いいかげんラチが明かないな。こうなったら、彼女に決めてもらおう」「それはナイスアイデアだ。ねえカーリー? どっちが双一でどっちが双二だと思う?」
「エッ? いや、そんなイキナリ言われても――」
「しかたないなァ」「いくつかヒントをあげよう」「双一はジャズが好き」「双二はハードロックが好き」「双一はセルジオ・レオーネが好き」「双二はセルジオ・コルブッチが好き」「双一は目玉焼きを黄身から食べる」「双二は卵かけごはんに醤油をかける」「双一はF・スコット・フィッツジェラルドのFが、FUCKのFだと思っている」「双二は司馬遼太郎が横道にそれた箇所を読み飛ばす」「双一はエジプト旅行がしたい」「双二は今日の夕食のメニューが気になっている」「さァて」「どっちが」「どっち?」
マユリはめまいがしてきた。見分けなんてまったくつかないが、答えなければいつまでも終わりそうにない。おそるおそる回答を口にする。「右が双一センパイで、左が双二センパイですか?」
「ナルホド」「じゃあそういうコトにしとこう」「オレが兄の羽柴双一で」「オレが弟の羽柴双二だ」「ふたり合わせてコードネームは〈ツインズ〉」「あらためてヨロシク」「ヨロシク」
「俺はヨロシクするつもりはないがな」横柄に言い放ったのは、いかにも成金の小悪党みたいな雰囲気の男子だ。親の七光りが輝いているのが目に見えるよう。威張り散らす姿がさまになっている。
彼は不機嫌さをまるで隠そうともしていない。そして機嫌が悪い理由は、どうやらマユリにあるようだった。
「いいか? このさいハッキリ言っておくが、ピーターがなんと言おうと、俺様はおまえを認めたワケじゃアねえ。今後認める気もねえ。警備班の仕事は、女子なんかに務まるようなラクな仕事じゃないんだぜ。遊び気分ならとっとと辞めてくれ。足を引っ張ってまわりにメイワクかける前に、な。かわいいマユリちゃんは、女の子らしくさっさとカレシでも作って、花の女子高生ライフを満喫してろ」
マユリは正直、すぐにでもこの男子を張り倒したくなったが、ここは短気を抑えて、「失礼ですが、センパイのお名前は?」
「二年の篠崎三鳥だ。コードネームは〈ニブズ〉」
「べつにわたしは、お遊びのつもりなんて。プライベートと仕事は分ける主義ですから。なので申し訳ありませんが、活動中はコードネームで呼んでくださるようお願いします。ミドリちゃんセンパイ」
「誰がミドリちゃんだッ!」
「まァまァそうカッカしない」火花散る両者のあいだに割って入ったのは、最後のメンバーだった。「おとなげないよォ、ニブズ。きみはもうセンパイなんだからさァ」
おっとりとした雰囲気の男子だ。彼の周囲だけ、時間の流れが遅くなっているかのように感じる。そのおかげか、ニブズはスッカリ熱が冷めてしまったらしい。「ったく、チョーシ狂うぜおまえは」
最後のひとりはマユリに向き直り、「やァどーも、おれは野呂明星。コードネームは〈トゥートルズ〉だよ。ヨロシクね」
このメンバーのなかでは、トゥートルズが一番マトモに見える。ただしひとつ気になるのは、なぜかその手に、日本刀を携えているコトだ。朱塗りの鞘が目に鮮やかである。ホンモノの漆だろうか。
「コレが気になるのかい? 竹光だから安心していいよ」
「ハァ……」
「いやァそれにしても、キミみたいなカワイイ子が入ってくれてうれしいなァ。おれのコトは気軽にノロちゃんセンパイとでも呼んで」
「いやいや、センパイ相手にそんななれなれしい態度は取れませんって。フツーにコードネームで呼ばせてください」
「うん。マユリちゃんがラクな呼びかたでかまわないよ。――あっ、こっちこそ後輩女子に対して、イキナリなれなれしすぎたかな?」
「いえ、マユリちゃんでべつにかまいません。仲のいいトモダチはみんなそう呼びますから」
するとニブズはふたたび不機嫌そうに、「オイ新人、俺のときと態度が違いすぎやしないか?」
「べつにニブズも、そんなに呼びたければマユリちゃんでかまいませんよ。ただし、かならずしも返事するとはかぎりませんけど」
「このクソアマ――」
ピーターが手をたたいて、「ハイ、それじゃア自己紹介も済んだコトだし――さっそくだけどカーリー、キミに初任務を与えよう」
マユリは背筋を正して傾注する。不安と緊張、そして期待が胸にうずまく。警備班に加入して最初の仕事は、はたしてどんなミッションだろうか。
「とても重要な任務だ。心してかかってくれたまえ」
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