国家憲兵隊所属・対DS特殊部隊【ギャンブリング・アサルト】

秋山機竜

第1部 奪われた〈コスモス〉を取り戻せ

1章 東京

第1話 プロローグ 一杯の味噌ラーメン

 木枯らしが吹き荒ぶ真冬の夕暮れ。薄暗く停滞した東京の一角にラーメン屋があった。五十坪の敷地には警備システムが張り巡らされていて、ガラス張りの店舗を守っていた。もちろんガラスは防弾性であり、店内には武装したガードマンも配備されていた。


 かつては庶民の味として親しまれたラーメンだが、二十二世紀の半ばにもなると高級料理になっていた。あらゆる国の経済が傾いて食材を入手するのが難しくなっていたからだ。


 そんな高級料理店で、十五歳の少年と五十代の男性がラーメンを食べていた。


 十五歳の少年は、霧島五光という名前だった。顔にはダックスフントみたいな愛嬌があって、目と鼻がおもちゃのように丸かった。身体は鋭利な刃物のように引き締まっていて、指先まで堅強である。拳銃を携帯しているからスーツの上着が膨らんでいた。


「俺、ラーメン初めて食べましたよ。こんなにうまいとは」


 五光は夢中になって味噌ラーメンを食べていた。塩気があって甘みがあって脳を刺すような快楽がある。金持ちは毎夜こんなものを食べているのか。貧乏人は政府から配給される完全栄養食のゼリーしか口にしていないというのに。


「私もラーメン屋に入るのは久々だよ」


 五十代の男性は、新崎零次という名前だった。岩みたいな顔をしていて、眉毛も頬骨も顎も唇さえもゴツゴツしていた。鉄骨のごとくがっしりした肩幅であり、中年になった今でも筋肉が衰えていない。彼も拳銃を携帯しているからスーツの上着が膨らんでいた。


「ところで、校長先生は食べないんですか?」


 五光は箸を止めた。


「お恥ずかしながら手持ちが足りなくてね。一人分しか払えんのだ」


 新崎は快活に笑った。だが笑顔に刻まれた皺の数々から、濃縮された不満が嗅ぎ取れた。


 彼の不満は、ラーメン屋に同席する富裕層の人々へ向けられていた。


 富裕層の人々は高級料理店であるはずのラーメン屋に通いなれていて、五光と新崎を厄介者扱いしていた。きっと貧乏人が金持ちのテリトリーに入ってくるなと言いたいんだろう。直接文句をいわないのは、二人が憲兵隊に支給されるスーツを着ていたからだ。しかし人間には気配という武器があるため、無言の圧力をかけていた。貧乏人はさっさと店を出ていけと。


 たった五十坪の店の中に、社会階層という名の深い溝が生まれていた。


 突然ラーメン屋の店主が替え玉を持ってきて、五光の味噌ラーメンへぶち込んだ。


「手が滑った」


 どうやらサービスしてくれるようだ。富裕層も毒気が抜かれたらしく、五光と新崎への興味を失った。


「校長先生……ちょっと食べますか?」


 五光は控えめに提案した。新崎のプライドを傷つけないようにだ。


「そうだな。せっかくの厚意をムダにしてはいけないだろう」


 新崎はお椀にスープと麺を小分けすると、さっそく味噌ラーメンを食べ始めた。


「やっぱ、二人で食べたほうがおいしいですね」

「そうだな。せっかくのお祝いだからな」


 というのも五光は今年で訓練学校を卒業して、来年から現場に配属される。しかし配属先が異例であった。特殊部隊【ギャンブリングアサルト】に配属されるのだ。本来は各地の現場で優秀な戦果を叩き出した生え抜きしか配属されないため、とても栄誉なことであった。


 だから訓練学校の校長である新崎が、お祝いのために高級料理店であるラーメン屋へ連れてきてくれたのである。おそらくラーメン屋の店主は、このあたりの事情を察していたから、替え玉をサービスしてくれたんだろう。


 ありがたいことだ。人と人の繋がりを信じたくなる。


「でも、なんで俺がギャンブリングアサルトなんですか? 訓練学校を卒業したばかりの新兵ですよ。足を引っ張るとしか思えません」


 五光は味噌ラーメンのスープを飲み干した。一滴も残さないことが新崎と店主への返礼になるからだ。


「将来性があったのだろう。訓練学校でも優秀な成績だ。自信を持って着任しなさい」


 新崎もお椀のスープを飲み干してから、低い声で続きを語った。


「だが五光のような子供が前線に出るなんて間違いだとも思っている」

「俺は、校長先生みたいな立派な大人になりたいから、訓練学校でがんばったんですよ」

「私は立派どころか悪辣な大人だ。五光のように貧困が原因で訓練学校へ入ってくる子を、何百人と前線へ送り出してきた」

「校長先生の責任じゃないでしょう」


 五光と新崎は、ラーメン屋の窓から高層ビルを見上げた。


 曇天を貫く摩天楼が無数にあった。グローバル企業の所有物であり、二十二世紀における力の象徴だ。俗称・吸血企業。庶民を搾取して肥え太ったことから、伝説の生き物である吸血鬼にたとえられるようになったわけだ。


「あいつらは金の力で政府さえ抑えてしまう。しかも我々が身体を張ってテロリストから守れば守るほど、結果的に吸血企業をサポートすることになる。こんなアリ地獄みたいな搾取の構図があってたまるものか」


 新崎は怒りのあまり箸を握りつぶしてしまった。


「校長先生。いまどき箸だって安くないんですよ。落ち着いてください」

「そうだな……五光の言うとおりだな。落ち着いて、やることをやらなければな」


 二人は店主に箸を壊してしまったことを謝り、替え玉をサービスしてもらったことを感謝すると、ラーメン屋を出た。


 すると店主が追いかけてきた。


「政府は、いつかあいつらをどうにかしてくれるんだろ?」


 どうやら富裕層向けの商売をやっている店主ですら、吸血企業に群がる連中を憎々しく思っていたようだ。


「もちろんだ。いつか必ず、このパワーバランスを書き換えてみせる」


 新崎は力強く答えた。だが五光が訓練学校を卒業した翌日――失踪した。

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