コンノさんと今野さん、そして私

一、桜並木

 夢を見ていた。

 不思議な夢だ。

 桜並木の向こうで、コンノさんが手を振っている。

 何か言っているのに、吹き抜ける風の音がうるさくて聞こえやしない。

 舞い踊る桜吹雪。薄紅色に染まる視界。

 胸騒ぎがして、咄嗟に手を伸ばす。


「コンノさん、待って……!」




 はっと顔を上げれば、呆れ顔の同級生と目があった。

「ちーちゃん、夢の中でも今野さんを追っかけ回してるわけ?」

 夢――。そう、夢だ。きっとこの美しすぎる桜並木が、妙な夢を見せたに違いない。

 そして、胡乱な目で見られているということは、夢の中で叫んだ台詞を実際に口走っていたということで――穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。

「勧誘の机で居眠りするとは、いい度胸だわ」

「ご、ごめん……暖かくて、つい」

「気持ちは分かるけどさあ。せめて部室に戻ってからにしときなって」

 正門から構内を真っ直ぐに貫く大通りは、つい先ほどオリエンテーションを終えて講堂から出て来たばかりの新入生と、何としても彼らをスカウトしたい在学生とが入り混じり、大変な賑わいを見せている。

 入学式から一週間を上限に設けられた『新入生勧誘期間』中は、どのクラブやサークルも青空の下に机とパイプ椅子を出し、呼び込みをしたりチラシを配ったりと、さながら即売会のようだ。

 当然のことながら、漫研も人当たりのいい部員を中心にスカウト部隊を結成している。脈がありそうならこの机まで連れてきて、詳しい話をする段取りだった、のだが。

「……で、収穫は?」

 時計を見る限り、居眠りしていたのは十分ちょっと。そんな短時間で何か進展があるとは思えないが、一応尋ねてみる。

「ついさっき、八嶋さんが可愛い女の子三人組にアタックして手ひどくフラれたとこ」

「……ちゃんと人選んで声かけてる?」

「どーかな」

 そもそも、文化部は運動部と違って、そこまで執拗な勧誘をしない。興味のない人間を無理やり引っ張ってきたとしても、仮入部期間にいなくなることがほとんどだからだ。逆に、興味がある人間は勧誘期間が過ぎても自分からやってくる。――去年の私のように。

「昨日来てくれた二人は入部しそうな感じだったけどねー」

「うん、あの子達は入るだろうね。昨日の時点で馴染んでたし」

 三月末に四年の先輩二人が卒業し、現時点での部員は十三人。聞いた話では、仮入部から正式入部まで行くのは毎年七割程度だそうだから、まあ五~六人入って三人も残ってくれれば御の字だ。そもそも、あまり人数が増えてしまうと部室に入りきらなくなってしまう。

「っと、ごめん。ちょっとトイレ行ってくるわ」

「了解。ついでに飲み物を買ってきてくれない? アイスのココアがいいな」

 おっけー、と答えてクラブハウスへと駆けていく彼女を見送り、段々と人通りが減ってきた大通りをぼんやりと眺める。

 開花予想が大幅に早まって、入学式には満開になっていたソメイヨシノ。春風に揺られて舞い散る花びらは、この世のものとは思えないほどに美しい。

 そういえば『桜に攫われる』なんて表現があったな、などとぼんやり考えていたら、目の前を見慣れた顔が通りかかったものだから、咄嗟に手と口が出た。

「コンノさん!?」

「……はい?」

 驚いたように立ち止まったその人―履き古しのジーンズによれたパーカーとTシャツ、少し癖のある髪をくしゃりと掻き、困ったように立ち尽くす彼は、どこからどう見てもコンノさんそっくりで。

 それなのに、その瞳は明らかに初対面の人間に向けられたものだったから、すぐに人違いだと気付いた。

 この人は違う。そう――私の知っている、正体不明の付喪神(仮)ことコンノさんじゃない。

「ご、ごめんなさい! その……知り合いにそっくりだったもので、間違えちゃいました」

 掴んでしまったパーカーの裾から手を離し、あたふたと謝罪の言葉を紡げば、男子学生は「なあんだ」と表情を緩めた。

「いやあ、びっくりしました。随分と熱烈な勧誘方法だなー、と思っちゃいましたよ」

「ごめんなさい……」

 恥ずかしさに顔から火を噴きそうだったが、目の前の彼はそう気を悪くした様子もなく、それどころか「ここは漫研の机なんですね。へえ、楽しそうだな」なんて言ってくれたから、ほっと胸を撫で下ろす。

「そ、そうなんです。うちは……えっと、漫画やアニメやゲームが好きな人が集まって、本を作ったりしてるんです!」

 自分で言っておいてなんだが、この説明だと単なるオタクの集まりとしか認識されないのではないか。

 何かもっと適切な言い回しはないかと考え込んでしまったら、思いがけない言葉が返ってきた。

「分かります。ボクも漫研にいたので」

 まるで遠い昔を思い返すような口ぶりだったけど、見たところ新入生のようだし、つまり高校時代は漫研に所属していたということだろうか。

「へえ、どんな活動をしてたんですか?」

 思わず勢い込んで尋ねてしまったら、まるで計ったかのように構内放送が流れ出した。

『まもなくゼミナールの説明会が始まります。新入生は三号館に集合してください』

「すみません、もう行かないと」

 申し訳なさそうに立ち去ろうとする彼に、慌ててチラシを差し出す。

「良かったら暇な時に部室を覗きに来てください! この時期は十七時くらいまで、誰かしらいると思うので!」

 強引だと自分でも思ったけれど、彼はありがとうございますと笑顔でチラシを受け取ってくれて、そして小さく手を振ると、足早に去っていった。

「たっだいまー! あれ、誰か来てた?」

 これまたタイミングを見計らったように戻ってきた同級生に、もう、と溜息を漏らす。おしゃべり好きな彼女が同席してくれていたら、もう少しまともな勧誘が出来ただろうに。

「有望そうな人がいたんだけど、ゼミの説明会に行っちゃった。チラシは渡したよ」

「そっかあ。まあ、脈ありなら部室に来るでしょ。あたしらもそろそろ引き揚げますか」

 新入生のほとんどは説明会に行ってしまうから、これ以上机を出していても仕方ない。部長からは「人がいなくなったら撤収していい」という指示が出ているから、彼女の判断は妥当だ。

 机上の整理は彼女に任せ、二人分のパイプ椅子を畳んだところで、はたと思い出す。

「……あれ、頼んだココアは?」

「あ。ごめーん、すっかり忘れてた」

「んもー!」

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