放課後綺談

小田島静流

コンノさんと私

一、新学期

 コンノさんと出会った日のことは、はっきりと覚えている。

 あれはグラウンド沿いの桜が満開だった、四月のこと――。


「ここで……いいのかな?」

 グラウンドと体育館の間に挟まれた、四階建てのクラブハウス。

 勧誘期間を過ぎてしまったから、外に勧誘の机が並ぶこともなく。クラブハウスも妙に静まり返っていて、何だかちょっと怖い感じ。

 恐る恐るドアを開ければ、そこはちょっと広めのロビースペース。そこで寛いでいる人達はみんな体育会系っぽくて、胡乱げに視線を送ってきたので、慌てて玄関横の階段スペースに飛び込む。

 勧誘期間にもらったチラシによれば、目的の部室はクラブハウスの三階、その突き当たりだ。

 昼間なのに薄暗い廊下。それぞれの部室からは話し声が聞こえてきたりするけど、ここは文化系のクラブが集まる階だからか、騒がしいというほどじゃない。

 突き当たりの窓から差し込む光を目指して、そっと歩を進める。

 そうして、ようやく辿り着いた部室のドアを、意を決してノックし――たのに、返ってくるのは沈黙ばかり。

 何度か試したけど、やはり返事はなくて。

 今日は誰もいないのかな。部員が少ないって言ってたし。

 小さく息を吐き、出直そうと踵を返した、その瞬間。

 唐突に開いた扉の向こうから息せき切って現れた、その人こそ――。

「ごめんね、イヤホンつけてたから聞こえなくて。えっと、入部希望の子かな?」

 透き通るような白い肌。眩しそうに細められた切れ長の瞳。柔らかそうな焦げ茶色の髪に、だぶだぶのパーカーとジーンズ。

 一言で評するなら、「絵に描いたような草食系男子学生」。

 それが、コンノさんだった。



「ごめんね、片付いてなくて」

 イエお構いなく、とはお世辞にも返せないほど、乱雑に物の積まれた机と本棚。ロッカーもぐちゃぐちゃだし、窓際の事務机の上には古めかしいテレビ。その横にはゲーム機が積み重なっているような、そんな部室。

 わたわたと長机の上を片付け、壁際に立て掛けてあった折り畳み椅子のうち、まともに使えそうなのを選り分けてセットしてくれた男の人は、唖然と立ち尽くす私に柔和な笑みを向けた。

「立ち話もなんだから座って? あ、ごめん自己紹介もしてなかったね。ボクはコンノっていいます」

「ありがとうございます。私、商学科一年の吉川です」

 長居する気はなかったんだけど、折角出してもらったので折り畳み椅子にそっと腰掛ける。

「あのっ、先週これをいただいたんですけど、その時は急いでて、お話もちゃんと聞けなくて……」

 ――実は、話し掛けてきた先輩のチャラ男ぶりに、よもや漫研の勧誘とは思わなかった、というのもあるのだけど。

「不親切なチラシでごめんね。活動時間も書いてないなんて酷いよね」

 明らかに手書きの原稿をコピーしただけのチラシは、可愛い女の子の絵が半分以上を占めていて、あとは部活名と部室の場所が書いてあるだけだ。

「じゃあ、ボクでよければ簡単に説明しようか?」

「はい、お願いしますっ!」

 勢いよく頭を下げたら、うっかり長机に額をぶつけてしまったけれど、コンノさんはそんな私の失敗を笑うことなく、大丈夫? と優しく声を掛けてくれた。



 活動内容と週一回行われる部会の説明、それに会費と現部員の構成。受けた説明はそれだけだったけど、合間に挟まれた小ネタで、部内の雰囲気が何となく想像できる。

「昔っから女の子が少ないのが悩みなんだけど、今は三人いるから、なんでも相談するといいよ。調子に乗った男子部員のシメ方もきっちり伝授してくれるから」

「部誌の締め切り直前は部室が修羅場と化すから、出入りには気をつけてね。うっかり勢い良く開けると原稿が飛んだりして、殺気立った連中にこっぴどく怒られるから」

「年に二回、合宿と称して旅行に行ってるんだ。特に冬はスキー合宿をするのが恒例なんだよ」

 ほら、と見せてくれたアルバムには、雪景色の中、カラフルなスキーウェアでポーズを取る男子学生の姿。

「この年はセミナーハウスが使えなくて、安い民宿の一部屋に詰め込まれて、雑魚寝状態だったんだ」

 懐かしそうに笑いながら、事務机の引き出しをあちこち開けていたコンノさんは、三つ目でようやく目当てのものを見つけたようだった。

「あったあった。これが仮入部届ね。四月中はどの部も仮入部扱いになって、会費の徴収もないんだ。まずは部の雰囲気を見てもらって、大丈夫だと思ったらそのまま残ってくれたらいいし、自分に合わないと思ったらその旨を伝えて抜けてくれてオッケー。――どうする? 今、書いていく?」

「あ、はい!」

 良い返事だね、と差し出されたボールペンには、私の好きなアニメキャラの横顔。同好の士が部内にいると分かって、何だか嬉しくなる。

「私、このアニメ大好きなんです」

 何気なくそう口にしたら、コンノさんはとても嬉しそうに笑った。

「部長が好きなんだよ、そのアニメ。きっと話が合うと思う。部会は明日の放課後だから、四限が終わったら顔を出してみて。その時ならみんないるから」

 はい、と大きく返事をして、仮入部届へと向き直る。名前と学籍番号、携帯番号を書き込んで顔を上げると、いつの間にか窓際に移動していたコンノさんが、細く開けた窓から外を窺っているところだった。

「ああ、雨になりそうだ。折角の桜が散ってしまうね」

 え? と首を傾げて、コンノさんの背後に広がる空を見つめる。確かに雲は多いけれど、今にも降り出しそうなほどではない。

「傘、持ってる?」

「いいえ」

 それじゃあ、と部室の片隅を探って、引っ張り出してきたのは、いわゆるビニール傘。

「持ち主不明で置きっぱなしになってたヤツだから、返さなくていいよ。持っていきなさい」

 真剣な顔で差し出されたものだから、思わずはい、と受け取ってしまう。

「降り出さないうちに駅まで行けるといいね。じゃあ、またね。吉川さん」

 わざわざドアを開けて送り出してくれたコンノさん。

 『一緒に帰ろうか』とは言わないんだ、なんて、安堵と落胆とが混ざり合った、実に奇妙な表情を浮かべていたと思うのだけど、コンノさんは何も言わず、私が階段を下り始めるまで手を振ってくれていた。



 最寄り駅に辿り着く直前、遮断機の下りた踏切で足踏みをしているうちに、ぽつりぽつりと落ちてきた雨の雫に、周囲から「嘘だろ?」「雨の予報なんて出てたっけ」という嘆きが上がるのを横目に、借りてきた傘を差す。

 残念ながら骨が一本折れ曲がっていたけれど、すぐに本降りとなった雨から身を守る役目は十分果たしてくれた。

 返さなくていいとは言われたけど、明日必ず返しに行こう。そして、コンノさんにお礼を言おう。

 そう心に決めて、遮断機の上がった踏切を渡る。

 あっという間に出来上がった水たまりを避けて改札へと急ぐうちに、再び踏切警報器の甲高い警告音が鳴り始めた。

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