アリスダイナーの恋愛旅行

花梨

第一章・遥菜、チェシャ猫に誘われる

第1話

 気が付いたら、お気に入りのスカートが入らなくなった。

 後姿がおばさんっぽくなっていた。

 ヒールの低い靴ばかり履いている。

 好きだった男友達には彼女が出来て、毎日幸せそうだ。

 気が付けば、私はひとり。


「不幸になれ、地獄に落ちろ! 幸せになってね(はぁと)。なんて思うわけないだろバカじゃねぇの! 「竹内たけうちにも素敵な男性が見つかるといいね」って、余計なお世話だバーカ! 『素敵な男性』はかじくんだったのに!」

 心の中で、男友達だった梶くんに悪態をつく。夕ご飯中のお店の中だから口には出せない。

 二十四歳、結婚適齢第一期。人生で初めて訪れるご祝儀貧乏タイム。

 私をむしばむ言葉やイベントはこの世にたくさんある。一度しか着ない結婚式用のワンピースを買うのだって面倒だ。最近は三千円くらいのワンピースとボレロを着て参列する。意外とバレない。ファストファッションありがたい。いや、バレているのかもしれないけれど、知ーらない。

 内心は愚痴ばかりの私のテーブルに、マスターがやってきた。

「竹内さん、今日もご機嫌斜めですね」

 マスターの年齢は不詳だ。見た目が異様なまでに若々しいので、二十代、大学生だと思う人もいるだろう。だが話す声の落ち着き、博識ぶりもあり、そこまで若くもないと思う。歴史や政治、ドラマからファッションの流行までどんな話題でも大丈夫。職業柄なのだろうが、素晴らしい事だ。

「すみません、お酒も飲まないのに長居して。ゴールデンウィークも終わって、完全に五月病ですよ」

 五月十六日の火曜日。私にとっては、何物でもないただの一日が終わろうとしている。

 食事だけで三時間も粘ってしまった。職場から二駅、私の地元駅からすぐ近くのお店・アリスダイナーに直行して、気が付けば夜の十時。それでもマスターは嫌な顔をせず、笑顔で首を横に振る。

 銀ブチメガネの似合ういい男。イケメンは得だ。同じくらい美人も得なんだろうなと思うとやるせない。梶くんの隣のあの子の笑顔を思い出して、グラスの水を思いっきりあおる。

 グラスには、金と黒のラインでアリスが描かれていた。

 すぐに空いてしまったグラスに水を注ぎ、マスターはそのままカウンターの向こうへ戻る。

 カウンターに座るのはどうにも気恥ずかしいので、いつもテーブルについている。

 こうして水を注ぎに来てくれるのだからカウンタ―の方が楽なのはわかるけれど、十席程度の店内だからさほど労力はかからないはず……と勝手にエクスキューズをつけていた。カウンターだと、何か話さなくてはいけない、と気負ってしまう。

 不思議の国のアリスをモチーフにしたカフェはゴマンとある。ここもそのうちのひとつ。夜はお酒も楽しめるダイナーだ。

 マスターが生粋のアリス好きらしいけれど、なかなか可愛い趣味である。マスキングテープ集めが趣味だというし、基本、中身は乙女な人だ。

 長居をしても文句も言わず水を注いでくれるし、料理はおいしくお酒もリーズナブルだからつい足が向く。私自身アリスに興味はないけれど、美しい内装を見てときめかないわけはない。

 あの子だけじゃない。私にだってそういう乙女な気持ちはある。それなのに。

 あああ、時間が戻れば。それは無理か。じゃあ、未来に向かって私はどうしたらいいんだろう。

 恋愛って、こんなに難しいものだったかな。いや、そもそもまともに恋愛したことなんて、一回もない。

 彼氏がいる自分が好き。いないと周りにおいてけぼりになるから好きでもない同士、恋人ごっこをしていただけ。

 世の中の人ほとんどがそうだと思う。そのうち、本当に好きな人が見つかればいいっていうだけで、ちょっと好きなら付き合ってみるのだ。

 でも、そんな人がいるだけいいじゃないか。

 本当に好きな人には振り向いてもらえない哀れな女の末路は、寂しい老後かそれとも十代のようなキラキラした新しい恋愛か。

「わからん」

 マスターに何度も注いでもらった水を一気に飲む。ひとりだと、お酒を飲む気にすらなれない。

 いつの間にか、一緒に飲んでくれる女友達もいなくなった。彼氏がいたり、家庭が出来たり、引っ越したり。恋愛相談すら出来ない。

 さみしい。さみしいよ。

 なんだか泣きたくなってきた。もう帰ろう。私は立ち上がり、お会計を済ませて店を出た。キレイな笑顔で送り出してくれるマスターだけが私の癒しだ。

 夜空はいつだって、人を暗い気持ちにさせる。明けない夜はないけど、明けなくていい夜だってあると思うんだ。

 明日、会社に行きたくないなぁ。水曜日ってなんだか面倒。いや、月曜も面倒だし、土日出勤もある。ああ働きたくない。

 それに、幸せそうな梶くんの顔なんて見たくもない。

 こんなことなら、まずは友達から、なんて余裕ぶっこいてないでもっと好きな気持ちをアピールすればよかったな。

 梶くんは好き。でも嫌われてしまい、隣にいることを捨てることは出来ない。優柔不断な私がいられるのは、そのどちらでもないひとりぼっちの席だった。

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