【荒れ果てた庭】⑰ 『夏雄/戦いの結末』
(――じつに興味深いじゃないか――)
夏雄は興奮で背筋がぞくぞくした。
子供たちの能力がここまで成長するとは、予想外だった。
ということは、京一の能力もまた秘かに成長を続けていたという可能性がある。
(――あの大いなる失敗作が成長するのか――)
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京一が過去と共に封印している数々の異質な能力、その怪物たちがドアの向こうでひっそりと成長を続けていた……
その可能性を考えただけで、なんともわくわくしてくる。
それこそ、わざわざ彼を引き取って観察を続けてきた甲斐があったというものだ。
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(だが、まぁ……今はこの子を先に片付けないとな……)
夏雄は息を吸い込み、ゆっくりと自分を落ち着かせた。
落ち着いてくると、左手に痛みが広がってきた。ちらりと目をやると、ガラス片が手のひらを貫いていた。
それをゆっくりと抜き取ると、痛みが激痛に変わったので、痛みの神経回路を閉鎖した。それはずいぶんと昔に訓練した方法だったが、いまでもコツはよく覚えている。痛みはすぐに痺れとなり、意識から消えていった。
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「さて……芳春。キミの手も尽きたようじゃないか?」
夏雄はナイフを構えなおした。
目の前の芳春は美しい顔を歪ませ、苦しそうな表情を浮かべている。
もうとっくに限界を超えているに違いない。それでも右の目で夏雄を睨みつけ、閉じた左の目で夏雄の精神世界を、無数のドアの向こうの空っぽの空間を睨みつけていた。
「まだ終わってない。本物のドアがあるはずだ。捜せ! バイ……」
芳春の言葉と同時に、再び夏雄の頭の中に【バイ】のイメージが閃いた。
無数のバイが真っ黒な霧のように飛び立ち、まだ開かれていないドアにとりつき、次から次へと開けていく。
だがどのドアも中は空っぽだ。さらにドアはまだまだ無数に浮かび上がっている。バイはドアを探りながら、さらに次々に分裂し、飛び立ち、新たなドアを次々と開いてゆく。
「……分かってるんだ。おまえの本体が必ずドアの向こうに隠れている」
芳春は左目をきつく閉じたままでそう言った。その閉じた目尻から、赤い涙のような血がとろりと流れ出した。
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「……いいや、見つけられんよ」
トン、と夏雄のナイフの先端が芳春の額に刺さった。それは表面に軽く刺さっただけだが、血の雫が膨れ上がり、流れ落ちていった。
「……芳春、今なら命だけは助けてやってもいい」
「そんな気遣いは無用だ。オレは負けない。バイが必ずお前を見つけ出して殺す」
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芳春は右の目も閉じた。ナイフの刃先が自分を貫く前に、夏雄を内部から殺すつもりだろう。残った最後の力を振り絞り、バイに集中している。
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「分からないか? 全て無駄なあがきだ」
夏雄はそう伝えたが……同時によく知ってもいた。命をかけた人間の力というものを、
確かにバイの力は異常だった。他のファーザーたちもそれぞれに特殊な防御スキルを身に付けていたはずだが、これだけの能力を使われたなら誰一人太刀打ちできなかっただろう。
だが……それでも夏雄だけは特別だった。
そうでなければ子供たちの親はつとまらない。
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夏雄は刃先に力をこめ、再びゆっくりと語り掛けた。
「……考え直せ……キミには無理だ。運よく見つけたとしても……」
夏雄がそう言う間にも、バイはまだ増殖を続けている。
真っ黒な翼をはためかせ、黒いうねりとなって次々とドアを開いてゆく。そのスピードは落ちるどころか、さらに加速し、夏雄の精神世界に入道雲のようにもくもくと膨れ上がってゆく。
このままでは最後のドアが発見されるのも、時間の問題だろう。
それでも夏雄に焦りはなかった。
というのも……
「わたしには、まだ切り札があるんだよ、反抗期の子供を押さえつける、取っておきの切り札がね」
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「……いまさら……ハッタリは、きかない」
芳春はうめくように答えた。
と、夏雄は自分の体が震えだしているのに気がついた。バイが増えすぎたせいだろう。心の中が黒く汚染され、些細な神経コントロールが暴走をはじめていた。
ナイフを持つ手が震えだし、お気に入りのナイフが床に落ちてしまった。
「まさか、ここまでとはな……やるじゃないか」
「だが、芳春。おまえはすこしやりすぎだ……」
夏雄は顔面の筋肉を震わせながらそう言った。
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その時、心の中でバイの声が聞こえてきた。
(見つけたぞ、最後のドアだ!)
信じがたいことだが、すべての、あらゆる、ドアが開かれていた。
そして精神世界の地平線のかなたに、それまでのドアとは形の違う、真っ黒な金属製の扉が現れていた。
その分厚くて巨大な鋼鉄製の扉には髑髏の複雑なレリーフが刻まれ、その中央には巨大な十字が刻まれていた。
それこそは夏雄の主人格が隠れているドアそのものだった。
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「これで、あんたも終わりだ、ファーザー……」
芳春の声が遠くに聞こえる。
無数のバイが空中に浮かび上がり、ゆっくりと翼をはためかせながら、その全ての赤い瞳を鋼鉄のドアに向けている。
「……いけ……ドアを破り、奴を引きずり出して、殺してこい!」
芳春が命じると共に、全てのバイがドアに殺到した。
真っ黒な霧が、一つのドアを目指して流れ込んでゆく。
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「想像以上だったよ……」
夏雄は苦しそうにそう告げた。
「今さら命乞いか?」
「――だが想定内でもある」
「だから何だというんだっ!」
「初めから言っただろう? 私には切り札、ジョーカーがあるんだよ」
夏雄は最後のドアに殺到するバイの群れを見ながら呟いた。
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たしかにここまで追い詰められるとは想像外だった。
芳春を誉めてやってもいいぐらいだ。
だが子供に勝たせるわけにはいかない。
どちらが親なのか、どちらが主人なのかをはっきりみせてやらねばならない。
それが、いつ、いかなる時であろうとも。
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「――ブルーローズ――」
夏雄はそう囁いた。
それだけだった。
それだけの言葉で、
心の中にいたすべての【バイ】が蒸発するように、瞬時に消え去った。
先頭にいたバイはドアノブに手を触れた瞬間に消え去った。
夏雄の精神世界に残ったのは、無数の開かれたドアと、開かれることのなかった巨大な扉が一枚だけだった。
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「――ブルーローズ――」
芳春はその一言を聞いた瞬間に意識を失っていた。
全身の力が抜け、重力に引かれるまま、ガラスの散らばる床にガクリと両膝をつき、それからソファに倒れこんだ。そのままピクリとも動かない。
「……キミに最初から勝ち目はなかったのだよ」
それは
心の中に仕掛けた爆弾を作動させるパスワードだった。
その爆弾は本人たちも知らないうちに、夏雄によって巧妙に仕掛けられていた。
子供たちを催眠状態にし、長い時間をかけて、繰り返し繰り返し暗示をかけていったのだ。
芳春の場合は【ブルーローズ】
その言葉を耳にすると、一瞬で気絶し、丸一日は目を覚まさないようにプログラムしたのだ。
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「だが、まぁ、キミはよくやったよ」
夏雄はナイフを床から拾い、ポケットにしまった。それから芳春の隣に座り、ソファに崩れ落ちた体を引き起こし、楽な姿勢になおしてやった。
「……しかし、やはりキミも失敗作だ……」
夏雄は血が出たままの右手をちらりと見、それからハンカチで傷口をきつく縛った。
「……われわれの作り出した唯一の完成作『笑い男』には到底かなわない、京一の力は未知数だが、やはり彼も失敗作にかわりはない……」
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夏雄はすこし『笑い男』のことを思い出した。だが、すぐにそれをやめた。
彼のことを考えるのは、今でも気が重い。
あれは最初から怪物だった。だがそれを本当の怪物に仕立て上げたのは自分だった。それは自分が生み出した最高の作品であり、最低の作品だった。
「そろそろ、あの子が動き出すときかもれないな……」
夏雄はあの荒れ果てた庭を思い出し、ぼんやりとそう思った。
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