第72話黒衣の呪術士

ひと時の安息を得たガードルートは、地下に存在する最後の欠片を目指して走り出した。 

 設置した魔道具が作り出した炎獄は、打ち寄せる波のように途切れる事の無いアンデット達を跡形も無く燃やし尽くしていた。

 地下でこれだけの火が発生すれば酸素も全て燃やし尽くす所だが、魔法や魔道具での暗殺を警戒したダンケルクの希望で換気設備は徹底されている。


 「この奥か......マップの赤い光点が集結する前に脱出しなければな」


 拷問室として使われていた部屋である事は把握している。呼ばれでもしない限り絶対に入りたく無い場所だったが、目的が目的なのだから避けては通れない。

 濃密な負の気配を感じる部屋の扉を開けて中に入ると、室内に設置された照明が自動で灯り、暗闇を一掃する......はずだったのだが、正面の拷問器具が濃密な漆黒のオーラで光を吸収している。


 「鋼鉄の処女アイアンメイデンか、夫人のお気に入りだったな。私はどんな化け物を相手すれば良いのだ?」

 「その声はガードルートね。何年ぶり......何十年ぶりかしらね。元気だった?」


 ガチャリと開いた鋼鉄の処女の中から現れたのは、漆黒のローブを目深に被った老婆だった。エカテリーナをしに追いやった原因。王国にその悪名を轟かせた呪術士「グレーズ・ブレンダ」はガードルートと知己であった。


 「冗談はその辺にしておけ。老婆の姿で芝居を打つなら、声も喋り方もそれらしくするんだな。そのような若い声で安い芝居を打っても、騙される奴などおらんだろうに」

 「年齢は相応なんだけどねぇ。不老を手に入れてから感覚がおかしくなったのさ」


 バサリとローブを翻すと、老婆は20台半ば程の妖艶な女性に姿を変える。匂い立つような色香が艶やかな雰囲気を演出し、女性の淫靡な魅力を際立たせている。目深に被ったローブの前を開きその肢体を晒した姿は、傾国の美女と言っても過言では無いだろう。

 ローブの下に来た真紅のドレスをグイグイと押し上げる豊かな胸に、キュッと締まった腰。抱きしめれば折れてしまいそうな儚さと美しさを両立した腰から伸びる足は、傷一つ無く滑らかで、完成された美を内包していた。


 「2人と別れてからは退屈でさ、ただ過ぎていく生にも飽いていたしねぇ。別に生へしがみつく気も無かったんだけどさ。あの小娘の所業には怒りがこみ上げてきてね。道連れにしてやったよ」

 「図らずもアンの復讐を果たしてくれていたのがお前だと知ってな。少々複雑な思いだったよ」

 「スカッとしたかい?それなら呪術を掛けて殺した甲斐があったってもんだ。けどね、アンは今でも大切な友人であり、何時までも可愛い娘さね」


 腰まで伸ばした黒髪をフワッとかき上げる仕草は、それだけで道行く男達を魅了するだろう。彼女は意識していないが、ガードルートでなければ正気を失っていただろう。


 「魂の欠片が目的だろう?別にくれてやっても良いんだけど、それだけじゃ~面白くないねぇ!アンには悪いけど、今はあたしだけを見てもらうよ!」


 左右に広げた両手には蒼い炎が燃え盛り、頭上には紅蓮に燃える拳大の炎球はギュルギュルの高速回転している。炎球が頭上から前方へと浮遊して降りてくると、左右に燃え盛る蒼炎を喰らい尽くして紫炎へと変わる。


 「綺麗だろう?我が生涯最高にして最大の魔術。紫苑死音の呪炎さね。別れの時にくれた花......忘れちゃいないよ」

 「約束だ。だから忘れた事など無いさ。修羅に落ちるにはアンとの思い出も、お前との時間も封印する必要があった。あの時があったからこそ今の俺がある」

 「この一撃で命を奪えたなら、アンタは永遠にあたしの物だ」

 「良かろう。今こそ我が剣で道を切り開く!捨てた物の価値を超える力を手に入れた証明は、我が剣で語る」


 胸に抱いた思いを放つように両手で押し出された紫苑の呪炎球は、更に力を増してダンケルクを燃やし尽くそうと高速で飛来する。


 「はぁああああああ!」


 闘気を剣に変えて放つ奥義、ガードルートが闘剣と名付けたこの技は、剣に纏わせる事で真価を発揮する。剣から伸びた紅刃でサイズが2メートルまで肥大した剣で最高の一撃を振るう。

 

 バチバチと力が押し合い、2つの力を境目として左右に力の余波が漏れる。地面には亀裂が走り、狭い室内を破壊の力が満たすと、ビリビリと部屋全体が振動を始める。


 「さすがはあたしが、あたし達が惚れた男だね。アンとあっちで待ってるよ」


 同等に渡り合っているように見えたが、限界の力で放った呪炎に対して叩きつけてから更に全身のエネルギーを叩き込むガードルートの剣はこれから力を増していくのだった。

 呪炎を切り裂き紅刃がブレンダに迫るが、直撃する寸前で刃が消失する。


 「俺の勝ちだ。これでいいだろう?俺にお前を斬らせないでくれ」

 「ああ、そうだね。悪かったよ。私の負けだ」


 複雑な関係だった。彼女は育ての親であり、戦う術を与えてくれた師匠であり、対等に仕事をしたパートナーであり、男として初めての相手でだった。

 時と共に移り変わる関係の中で、ガードルートとアンナマリーは誰よりもフレンダを愛し、愛されたのだった。


 平民として生を受けたガードルートとアンナマリーは幼くして両親を無くした。当ても無く少ない食料を分け合い生活していたが、ついに食料は底をつき、残された僅かな金も使い切った2人には選択肢が残されていなかった。死か、奴隷として身を落とすかの二択を迫る現実を憎む気持ちで一杯だったが、8歳児に出来る事など何も無かった。


 スラムで人攫いに遭遇した2人は、ブレンダに救われて生きる術を学び成長していく事になった。長い時の中で生き甲斐を無くしたブレンダの心を2人が救い、心を救われたブレンダは誰よりも深い愛情を2人に注いだ。

 互いに依存しあう関係だったが、それは家族の絆よりも余程深い物だったと全員が思っている。


 「ガードルート、あんたに植え付けられた嘘の記憶に気付いているかい?」

 「ああ、父上に会ってから違和感は感じていたが、お前に会って正体が分かったよ」

 「あんたが夢を誰かに託すような安い人間じゃないって事は、あたしが一番知っている」

 「だが、まだ何かを失っている気がするんだ」

 「魔法で治療を施せば何か分かるかもしれないね。あたしに任せなよ」

 

 ガードルートの治療を始めようと魔法を組み上げたブレンダに静止の声がかかる。


 「それ以上はルール違反だよお嬢さん。ガードルートには悪いが、答えを手に入れるのは自力でなければならないんだ。君は自分を取り戻さなければならない」

 「ケイ殿......いや、ケイ様ですか」

 「別に呼び方は拘らないから好きに呼んでくれて構わないよ。君はまだ会わなければならない人物がいるんだ。もう少し冒険してもらうよ?」


 思わぬ人物の乱入に緊張したが、敵意が皆無の様子を見て安堵した2人は構えを解いた。抵抗しても戦いとなれば即座に殺される事など、佇まいを見るだけで嫌な程理解していたが、構えたのは条件反射だった。


 「まだ会わなければならない人物がいるのですか?それは誰で、何処に居るのです?」

 「探さなくても必ず会う事になるよ。今回の出会いも含めて、全ては俺が計画した通りに事が進んでいる。逸脱しようと足掻くも良し、受け入れるも良しだけどな。次だけは絶対に受け入れる事をお勧めするぜ?」

 「もう抵抗する気はありませんよ。記憶は取り戻せていませんが、こうなった背景が見えて来ました。本当に復讐するべき人間は誰で、その対象が誰かも含めて......ね」


 そういったガードルートを見て満足したのか、ケイは姿を消す。部屋全体を支配していた強大な気配が消え失せた事で、周囲の状況が分かるほどに感覚が鋭敏になっているのが明確に感じられた。

 ケイの気配に気が付いた残り2つの赤い光点がここへ向かっている事も分かる。


 「もう逃げ道は無しか、次の刺客はただの敵だろうが、一戦交えない訳にはいかないだろうな」

 「そんな事言ってる内に......ほら」


 ガチャリとドアノブが回り室内へ侵入してくる人影が2人、1人は古びた全身鎧を着た騎士、もう1人は緑色の服を着た男......弓からして狩人だろう。


 「ライオット・ガードルート殿とお見受けした。我が剣を馳走する」

 「本来なら騎士の決闘を邪魔するような無粋な真似はしないのですが、今回は美学を捨てて相手を致します」


 騎士は鎧と動きから見てリトア騎士団所属だった誰かだろう。全身鎧と言葉から【鉄壁のクリフ】を連想した。狩人は心当たりが無いが、周辺3国で名を馳せた弓士ならば【神弓のセリオン】【義賊のロビン】【一矢六殺のカーミラ】だろうが、セリオンとカーミラは存命のはず、ならば彼はロビンだろうと予測する。


 「あんた達の相手はあたしさ。あんたはもう行きな!」

 「しかし、そんな事をすればお前は」


 既に崩れ始めた体を見て絶句するガードルートだったが、既に止めるには遅すぎた事を悟る。命の全てを注いだのだろう。先ほど受けた一撃を遥かに上回る紫苑の魔力が部屋を満たしていく。


 「楽しかったよガードルート。もし来世があるならばその時は」

 

 転移魔方陣が足元に現れた事に気付いたガードルートは意図を悟ると、最後の言葉に耳を傾ける。


 「またアンとあたしとあんたで......愛してるわ」


 転移したガードルートを追いかけるでもなく刺客の2人は佇んでいる。


 「邪魔しないなんて紳士な男達だねぇ。動けないように結界は張ってるけどさ」

 「逢瀬を邪魔する騎士がいるならば、逆に切り伏せるが我が騎士道」

 「私の対象はダンケルクであって貴方達ではありませんからね。拾った命にも執着はありません」


 暴発しそうに高まった魔力の渦の中で笑みを交わす3人だったが、終わりの時間は訪れる。


 「感謝するさね。最後は痛みも感じない死をプレゼントするよ、【死音の恋歌】」

 

 部屋に紫苑の花が咲き乱れるように、紫の呪炎が爆発を繰り返して花を形取る。抵抗すら許される事無く部屋ごと爆砕した3人の姿は消え失せる。残ったのは燻るように残る3輪の炎の花だった。



 「ブレンダ......あの時違う選択をしていたなら、アンとお前は生きていたのだろうか......いまさらだな」


 その手に握られているのは【防魔のアミュレット】だった。


 【防魔のアミュレット】「レアリティ SRスーパーレア」

 呪術師ブレンダが作り出した魔道具で3輪の紫苑の花をモチーフにした絵が刻まれている。

 装備者を一日3回まで魔法から守る力を持つ。魔法の規模によっては1度で全ての力を使い尽くすので注意が必要である。

 効果を発揮すると花の色が失われていくのが目印となる。

 花言葉通り、所持者の記憶を蘇らせる力を持ち、【精神異常耐性】のスキルを付与する。


 「君を忘れる事などあるものか」


 決意を新たにしたガードルートは一緒に転移してきた魂の欠片を回収すると、1階へ向けて走り出した。


 「ケイ様の用意した結末通りになるだろうな。俺自身の過去がそれを望んでいる気さえする」


 自嘲する男はアミュレットを握りながら過去へと思いを馳せる。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る