第17話君の名は~運命の出会い~

 教会でジョブを得る為、大通りを北へ向かった俺は、ある光景を目撃した。

 馬に牽かれている荷台が、通常の2倍ある馬車だった。

 特徴的なのは、荷台が大きな檻になっていて、中には子供から老人まで男女問わず、手枷足枷を付けた状態で乗っている事だろう。


 想像通り、奴隷商の所有する馬車と商品達だった。

 この世界の人間には見慣れた光景なんだろうが、俺にとっては違った。

 人の命が数十万円程度で取引されるこの世界では、奴隷は財産の一部であり、所有者が悪ければストレスの捌け口や玩具扱いされる。


 知識でしか戦争を知らない世代である俺は、この世界に来てから嫌と言うほどに、人の残酷さや非情さを学んだ。

 俺はこのシステムが全て間違っているとまでは思わないが、理解したいとも許容したいとも思えなかった。

 この十年で出した結論は、これからの世界を徐々に変えて行く事だった。

 

 今すぐには無理だが、俺の家族の様な関係を築く事が出来る世界にしたい。

 それには力や財力だけでは足りないのだ。

 どんなに足掻こうと、個人の及ぼせる影響力など限度があるのだ。

 俺には信頼できる【仲間】が足りなかった。


 教会に行くはずが、馬車の後ろを追って奴隷商に足を運ぶ事になった。

 この姿では店に入店する事は年齢的に不可能だ。

 闇魔法で幻影を纏った俺は、前世の自分をこちらの世界風にアレンジした姿へ変身した。


 店の前には、見張り役兼店員役であろう強面の男が立っている。


 「なんだ?ここはガキの来る所じゃねえぞ?」

 「俺は客だ、人を見た目で判断するなよ?三下が粋がってるんじゃねぇ」

 「あんだって?てめぇぶっ殺され」


 ピンッと男に向かって、親指で金貨を弾きながら、俺はこう呟いた。


 「手間賃だ。ごちゃごちゃ抜かさずに、さっさと店を案内しろ」

 「へい、人が悪いですぜ旦那。金持ちはもっと登場の仕方ってもんがありやすぜ?」


 調子のいい奴だ。

 さっきまでとは態度が180度変わった男が、店の扉を開けて中へ迎え入れてきた。

 

 「どのような奴隷をお求めで?愛玩用ですか?戦闘用ですか?ウチは王都でも5本の指に入る品揃えですぜ?ご希望があれば何でも言ってみてください」

 「ふむ、この店の奴隷は全部で何人位居るんだ?」

 「人数ですかい?地下から4階までを全部合わせれば、200人は居ますかねぇ......値段を付けれないような不良品も混じってますがね」


 まるでゴミの話でもしているかのような男の態度に、不快感が湧き出したが、ここで揉めるわけにもいかないので、感情を押し殺した。


 「全部見せてくれ。一番高いのから順番で良い」

 「それでは、4階から下に向かって見ていきやしょう。値段が高い奴隷ほど上に置いてあるのがここのシステムでさぁ」


 上機嫌で案内する男が問いかけてくる。

 

 「所で旦那、予算はどれ位までお考えで?」

 「逆に聞くが、この店で最も高い奴隷は幾らだ?」

 「金貨800枚で、極上の愛玩用奴隷が居ます」

 「二人買っても釣りがたんまり帰ってくるなぁ」


 男の顔が驚愕に染まる。

 20歳にも届いていないだろう、目の前の若造が持つには過ぎた金額だ。

 ゴクリと喉を鳴らした男は、これまで以上に上機嫌で上客を案内する。


 円筒状の魔力結界が形成されている店舗の真ん中へ行くと、男が結界に触れる。

 すると、触れた場所から左右に向かって入口のような物が開いたので中に入る。

 地面の魔方陣が光りだすと、目の前の景色がぼやけてくる。

 体が軽くなる感覚を感じたが、気が付いた時には4階に立っていた。


 「短距離用のテレポーターでさぁ。貧乏人には味わえない道楽ですぜ?」

 

 自分の力でも、財産でもない癖にやけに得意げに話すんだな。虎の威を借る狐って奴か。

 まぁ、こんな小者には興味が無いのだ。

 高級奴隷を扱うフロアだけあって、とても清潔だ。

 よく手入れをされているのが分かる。


 「ひひひ、あの扉の向こうが奴隷を飼っている牢屋でさぁ」

 「口よりも足を動かせ、お前の自慢話を聞きに来た訳では無い」


 扉を抜けると、ここは娼館か?と言いそうになった。

 下着のようなギリギリのドレスに身を包んだ女性、清楚さをアピールするような純白のウェディングドレスを着せられた少女がこちらを見て微笑んでいる。

 服を着ているという言葉が怪しくなる程度の面積しかない紐水着を着た猫獣人、着物をわざと着崩して誘惑の視線を向ける女郎の様な仕草のアラクネ。


 「どうです?股座の息子もいきり立つ上物ばかりでやんしょ?」

 「美しい事は認めよう。教育も行き届いているようだな」

 

 ネグリジェの様な薄い衣を着せられたフェアリー、拘束用の鎖で縛られた、黒いゴスロリ衣装に身を包んだヴァンパイア。

 純白の羽を晒して半裸の状態で歌と演奏を披露するフェザーフォルク。

 自分から衣服を脱ぎ、見せ付けるように濡れた局部を晒すニンフまでいた。


 監獄の様な檻の中にさえいなければ、全員がその種族の姫君だと言われても疑問を抱かない整った容姿と立ち振る舞いを兼ね備えていたが、ここは奴隷商だどのようにして集まったのかは知らないが、全員が権利を剥奪された家畜である。

 

 「お決まりになりましたか?どいつを選んでも後悔させませんぜ?なんなら味見してみますか」


 ウヒヒヒと下種な笑い声を上げる男に吐き気がするが、堪えて先を進む。

 3階、2階と階を降りる毎にランクが落ちていくのは、説明通りだった。

 一番の戦闘奴隷だと紹介された竜人ドラゴニアンの男など、アーネストの倍近いレベルの達人だった。

 どうして?と問わないのが奴隷に対するマナーだが、出自については気になった。


 「最後は地下ですぜ。ここは病気持ち、呪い持ち、部位欠損、人格異常、廃棄予定の奴隷を置く場所でやすが、それでも入るので?」

 「無論だ。貴様は言われた役目を果たせば良い」

 「へいへい、分かりやしたよ」


 錆びた鉄の扉がギギギギと軋みを上げなら開くと、不衛生な環境なのだろう、中からは異臭が漂ってくる。

 地面には幾何学的な魔方陣がびっしりと描かれているこの意味に気付く者が何人いるだろうか?


 髪を掻き毟るような仕草をしている者、そこには無い腕や足を幻視して痛みに悶える者、立ち上がる力も無いのかアーウーと呻く者、両手足を切り落とされて達磨になった者。


 誰もが見るも無残な状態だ。まともに食事も取っていないのかガリガリで皮と骨しか無い。

 健康な状態であれば、誰もが振り返るような美人も、ここまで落ちれば誰も視線を向けない。

 

 明日への希望すら無くした濁った目には何が映っているのだろうか?

 申し訳程度に巻かれた包帯は、壊死した部分から染み出す膿で黄色く染まり、ニチャニチャと地面との間に糸を引いている。


 「うっぷ......旦那ぁ、もう良いでしょう?これまで何度も足を運んでますが俺ぁこのゴミ溜めにこれ以上いるのぁごめんですぜ」

 「良いだろう。この店の主人に会わせてくれ。直接交渉がしたい。案内ご苦労だったな」


 そういって金貨を一枚握らせてやると、しかめっ面をしていた男が上機嫌に変わる。

 

 「へへへ、悪いですね旦那ぁ......あっしも案内した甲斐がありましたぜ」

 

 ヘラヘラと笑う男に案内されて、1階の最奥にある支配人室へ向かった。


 「支配人。お客様が直接あって話がしたいと」

 「ん......ああ、分かった。入れよ」


 暗がりで大きなソファのようなでかい椅子に腰掛けているのは、眼帯で左目を覆った男だった。

 野獣のような鋭い目つきでこちらを値踏みしているのか、上から下へと視線が動く。


 「もういい、マッシュ......席を外せ。二人で話をする」

 「わかりやした。あっしは店に戻ります」


 バタンと扉が閉まると、棘々しい言葉を放つ男 

 

 「ガキがこんな所に何の用事で来た?見た所貴族様では無い様だが、その高度な幻術を見るに相当なスキルか力を持っているのは分かる」


 怪しむ視線を向けて、更に言葉を続ける男


 「自分で言うのもアレだが、ここは異常性癖の持ち主や、性格破綻者が欲望の捌け口を探して、自分好みの家畜を飼いにくる場所だ......客も店も全部クソしかいねぇ。そんな場所に何の用事がある?」


 【自分すらも嫌っているような言動をするこの男が、俺の運命の相手だった】

 

 「ひとつだけだ......ひとつだけ正直に答えてくれ。お前には全てを犠牲にしても叶えたい願いはあるか?」

 「面白い質問をするガキだな。いいぜ?戯れに答えてやる。話を聞いたらとっとと失せろよ?」


 男の名前はバルドといった。

 なんの因果か奴隷商の長男として生まれた男は、類稀なる資質を持っていた。

 【看破の魔眼】を生まれながらに宿していたのだ。


 人を扱うこの仕事は天職だと言っても良いだろう。

 本人も自覚していた。本気になれば、自分に比肩する同業者など居ない。

 跡継ぎに選ばれるのは当然の結果だった。

 相手のステータスだけでなく、感情や魔術まで見抜く魔眼を活用すれば良いのだから。

 

 父が病気で亡くなり、後を継ぐ事になったのは、仕方が無かった。

 生きていくにも金は必要だし、それ以外にも理由はあるのだ。


 嫌々ながらも奴隷商という仕事を続けていたのは、愛する妹の為だった。

 アリアは生まれつき体が弱く、不治の病を持って生まれてきた。

 

 【体内魔力飛散症】

 この病に侵された者は、時間の経過と共に体内の魔力が飛散して死に至る。

 幼い頃は身体が虚弱になる程度で済むが、年を重ねる毎に病状が悪化していき、自分で歩く事すら出来なくなる。

 唯一の延命策として知られているのが、極めて高位の魔力回復ポーションの定期的な服用か、魔法による魔力の譲渡である。

 

 前者は莫大な費用がかかり、病状が悪化するに連れて回復薬の効果に耐性が生まれ、ポーションが効きにくくなる。

 後者は強制的に体内へ魔力を流し込むので、かなりの苦痛を伴う行為である。

 末期患者が感じる痛みは、精神が壊れるほどの苦痛であり、まるで生皮をベリベリと剥がされるかのような痛みだという。


 そんな病を生まれながらにして抱えた少女は、傾国の美貌を持ちながらも、花瓶に飾られた花の様にひっそりと屋内で咲く、孤独な一輪の花だった。

 優しい兄に助けられ、孤独と痛みに心を壊しそうだった少女は、何とか人間性を保って生きていた。

 8歳になると、1人で歩く事が困難になり、火傷でも負ったかのようにヒリヒリと全身が痛むようになった。


 愛する妹を少しでも楽にする為、兄は身を粉にして働いた。

 己の所業は人を不幸にした分だけ、自分が浮かび上がれる外道の行い。

 人の生き血を啜るのが、奴隷商という職種に定められた因果である。


 妹を救う為には金が要る。

 金を稼ぎ、妹を助けるだけ溝ドブに沈む人間が増える。

 他人の為に流す涙も枯れ果てた兄は、自分が外道だと自覚しつつも止まれなかった。


 もうずっと前に決めたのだ。

 この身が憎悪の炎に焼かれようと、迷わず進むと。

 後に復讐の怨嗟が身に降りかかろうと構わず進むと。


 アリアが生きて笑顔を向けてくれる限り、身が張り裂けるような心に痛みにも耐えて、人を不幸にしながらでも生き続けると。


 ある日、自らが生み出した死神が、ついに鎌を振り下ろしてきた。

 背中が焼けるように熱かった。

 端金で子供を奪われた親が狂って襲い掛かってきたのだ。

 懐から取り出した小型のナイフが抉る様に突き出され、何度も何度も繰り返し突き刺された。


 これで終わるのか......アリア......すまない......もう一度でいい......その顔が見たかった。


 「兄様!......嫌!嫌あぁああああ!!!!!」


 使用人の支える手を振り切り、地面に倒れながらも、血の海に沈む兄に這いずって近寄るアリアは、泥と血に塗れてひどく汚れていた。


 「ア......リア......すま......い......もぅ......なにも....えない」


 流れ出した膨大な血の量は、生きる力を奪い付くし、自慢の魔眼には光りすら映らなかった。

 ゴポゴポと口からどす黒い血を吐き出し、目に映らない妹の温もりを求める兄に、アリアは涙をボロボロと溢し続けた。

 

 ごめんなさい兄様。

 ひとつだけ秘密にしていた事があります。


 【ステータス】


 アリア (8) LV14 種族 ヒューマン ジョブ 聖女

 HP 62/140 MP 8612/12874

 スキル 『戦闘技能』 献身 Master


 『献身』

 聖女固有の職業スキル。

 膨大なMPと引き換えに、対象を瀕死の状態からでも回復する事が出来る。

 対象をへの感情が強いほど高い効果を発揮するが、引き換えに膨大なMP消費する。 


 

 もし、生きて会う事が出来たら......何を話せば良いか......分からないなぁ


 【献身】


 アリアから膨大な白銀の光が溢れて、バルドに注がれていく。

 穴だらけだった背中の肉が盛り上がり、瞬く間に治癒する。

 血の気が失せて真っ白だった顔にも血色が戻り、消えそうだった呼吸もリズムを取り戻した。

 光を失った目にも力が戻る。


 その様子を確認したアリアは、全身から噴出す様に血を流すと意識を失った。

 奇跡的な事に、その場に居合わせたとある貴族が処方したポーションのおかげで、アリアは一命を取り留めた。


 しかし、体内から膨大な魔力を根こそぎ放出した後遺症は甚大だった。

 美という物を形にしたら彼女のようになるとまで、詩人に言わせた美貌は見るも無残な状態に変わり果てた。

 枯れ枝のように細くなった手足、老婆のようにシワだらけの体には、無数の亀裂が刻まれ、ジュクジュクと血を滲ませている。

 

 黒曜石のように滑らかで美しかった美髪は、艶を失い果ててしまった。

 櫛を入れれば千切れ、根元からポロポロと抜け落ちる。

 

 文字通り全てを捧げた結果だった。

 バルドは......愛する妹をこんなにしてしまった自分を許せなくなった。

 ナイフで刺された事は自業自得だと、何度自分に言い聞かせても止まらない。

 ドロドロとした復讐心が狂おしい程に荒れ狂った。


 復讐対象は、バルドを刺した時点で満足してのか、自決してこの世には居ない。

 感情をぶつけられたら何でも良かった。

 家の中の物を破壊し尽くし。壁を殴り、頭を叩きつけて血みどろになっても、心は晴れなかった。


 そんな彼の元に、アリアの命を救った、あの貴族が尋ねて来たのだ。

 その言葉を聞いたバルドは狂喜した。


 「君の妹を救う薬がある。完治は出来ないかもしれないが、莫大な魔力と生命力を齎すアレを使えば、最悪でも元の状態にならば戻せるかも知れない」


 藁にも縋る思いだった。

 これまで心を支配していた絶望や復讐心は霧散し、明確な力がバルドの心に宿った。

 もう一度アリアの笑顔を取り戻す。


 その為ならば何だってやる。

 忌み嫌っていた奴隷商の仕事だって喜んでやろうじゃないか。


 【エリクシル】「レアリティ LG」

 対象のHPとMPを全快する霊薬。

 命の力に満ち溢れた霊薬を飲み干せば、傷や病は立ち所に癒えるという。

 高度な技術と貴重な材料を使用してようやく完成する希少な薬である。


 その貴族から聞いた薬の値段は、白金貨3000枚という馬鹿げた金額だった。

 一国を買えるだけの値段である。

 希少なその霊薬は、この国の王が宝物庫に2本だけ所有しているというのだ。


 一本だけなら交渉次第で何とかなるかもしれない。

 そう言ったとある貴族は、バルドにこう言った。


 「お前も男ならば、助けられた命に誓って願いを貫けと、全てを捨てる覚悟があるならば、全身全霊を持って戦えば、不可能ではないと」


 情けなかった。他人がここまでお膳立てしてくれなければ、立ち上がることも出来なかった自分が......「兄は妹を守るのが仕事だろう?」

 あの貴族が、アーネストが俺の心に火を灯したのだ。


 アーネストは定期的にハイポ-ションを持参しては、アリアに飲ませていた。

 コイツだけは信用出来ると妹を任せてた俺は、全力で金を稼いだ。

 奴隷商という枠組みに捕らわれず、ありとあらゆる手段を使って金を用意した。

 白金貨2000枚という馬鹿げた金額を10年で用意した俺にあいつは言った。

 

 「男になったな。足りない分はこいつを使え」


 投げられた魔法の皮袋から白金貨が零れ出る。

 中にはどれだけの枚数が詰まっているのか分からないが、何枚でもあって困ることは無い。 


 「3000枚ある。もし王が渋ったら残りも全部ぶちまけてやれ!」

 「なぜここまでしてくれる?俺に何の価値がある?」


 「見返りを要求するつもりはある。だが、お前の心意気に惚れたのもまた一つの理由だ」

 「何が欲しい?俺が差し出せるのはこの目くらいだ」

 

 「その......アリアに一目惚れしたんだ。彼女の優しさと可憐な容姿を思い出すだけで鼓動が早まるのを感じる」

 「は?......それで、まさか癒えた妹に恩を着せて、無理やり手篭めにしようなどと考えてはいまいな?」


 腰のナイフを抜き放つと、殺気を放ち始める俺に、アーネストは続けて言った。


 「いや、一度話す機会をくれればそれで良い。彼女と二人の時間をくれ」

 「良いだろう、お前だけは信用出来る。それでアリアがお前を選ぶならば、俺はそれを認める」

 

 アーネストに場を整えてもらったバルドは、国王相手に交渉で勝利した。

 見事にエリクシルを勝ち取った。

 白金貨3000枚と、アーネストが話を持ちかけた時に悩んでいた王の反応から予測したバルドは、最初から白金貨を5000枚提示して強気に攻勢をかけたのだ。


 これ以上は出ない、これ以上出せる奴も居ないと。

 その男らしさに、王も逡巡する事無く交渉に応じたのだった。 



 バルドは、協力してくれたこの貴族に心から感謝していた。

 だから、エリクシルをアリアに飲ませる役はアーネストに譲った。


 コクンコクンと、ゆっくりエリクシルを飲み込むアリアの体には劇的な変化が起きた。

 枯れ枝のようだった手足は丸みを帯び、ひび割れて見るも無残だった肌は色艶を取り戻し、18歳という年相応の瑞瑞しい肌を取り戻した。

 それどころか、より一層艶やかになったアリアはその美しさを増した。


 「兄様......アーネスト様、朦朧とする意識の中、二人の事をずっと考えていました」

 「ア......アリア!アリアぁあああ!!!!!話したかった!抱きしめたかった!その笑顔をもう一度見る事が出来るならと幾度神に願ったか!」

 「良かった......本当に良かった。我々の努力は無駄では無かったのだ」


 3人で抱きしめ合い涙を流した時間は、無限のように長く感じた。

 もう二度と来ないと思っていたこの幸せな時間をかみ締めるように、3人はいつまでも抱きしめ合い続けた。


 無事に病は完治した。

 奇跡の霊薬はその効果を存分に発揮して、不治の病を打ち破ったのだった。


 「兄様!私はアーネスト様の元に嫁ぎます!」

 「ああ、この結果は予感していた。否は無い。」


 そう言ったバルドは、アリアの手を引いてクローゼットの前に行く。

 真新しいクローゼットは、最近設置したばかりで、アリアはバルドがそのクローゼットを開けた所を見た事が無かった。

 黙って扉を開けたバルドだったが、中を見たアリアが無言で涙を流した事に満足したのか、誇らしげに笑う。



 そこには純白のウェディングドレスが飾られていた。

 

 衣装の前に吊られたメッセージカードを見つけたアリアは、中身を見るとそこにはこう書かれていた。


 『愛しい妹へ捧ぐ、生まれて今までたくさんの苦しみを味わってきたお前だ。アーネストという男がどれほど優れており、価値のある人間であるかを心で感じているだろう。お前にはこれからの人生を幸福に生きて欲しい。』


 兄と妹は、父を無くしてから苦難の連続だったが、それでも希望を捨てずに仲良く暮らしていた。

 兄が刺された事で、妹は全てを捧げて天に祈った。

 対価として10年の月日を奪われたが、同時にかけがえの無い存在が現れた。


 『アーネストという男は不器用だが、真っ直ぐで信頼できる男だ。今では裏切りなんて言葉は創造する事も出来ないような間柄になっただろうと思う。アリアが嫁ぐ事を想像しなかったわけではないが、あの状態のお前を本気で愛したアーネストだからこそ認められる』


 吐き気を催す外見に成り果てても、見捨てずに支え続けてくれたアーネスト。

 薬を飲み込む体力すら無くなったアリアに口移しで薬を飲ますなど、どこの誰がやってくれただろう。

 死にたい......殺して......と弱音を吐いたアリアの手を優しく握り、黙って一晩中抱きしめてくれたアーネスト。


 『辛い中で思い浮かぶのは、アリアとアーネストと俺が必死に戦った記憶だけだ、お前がアーネストに惚れるのは当然の結果だろう。幸せになれ!兄は二人を祝福する』


 パタリとメッセージカードを閉じて抱きしめるアリアは、これまでの苦難を思い起こし、兄とアーネストに感謝した。

 止まらない涙は悲しみでは無く、暖かな幸せの涙だった。

 


 「全てを犠牲にして願いを叶えた俺は、抜け殻になったわけじゃない。新たな野望に向かって走り出したが、ちょっと現実の厳しさに腐りそうになってるだけだ、だが諦めちゃいねぇ」

 「陰気なクズかと思えば、良い兄じゃないか。どんな悪事を働いていようが、妹の為に何百人を犠牲にしていようが関係無いさ」


 不思議な物を見たかのように驚くバルドを見て、ケイは決めた。


 「なぁ、この店もお前の人生もさ......俺に売ってくれよ」

 「ほう、対価に差し出すのはお前の何だ?」


 ギラリと光る眼光にゾクゾクしたが、ケイは確信した。

 この男と自分の向いている方向は一緒だと。


 「そうだな。お前の野望の完遂でどうだ?」

 「野望の完遂ねぇ、何を指しているんだそれは?」


 立ち上がったバルドは、タバコに火を付けると一息で飲み干し、フーーっと紫煙を吐き出す。


 「この世界から奴隷という存在を抹消しないかと言っている!何度でも言おう、俺には優れた仲間が必要だ。バルド!お前が欲しい」

 「その話......乗ったぜ!俺の人生はてめぇに預けた!」


 拳を合わせた男と男は、まだ見ぬ大きな夢に心を躍らせていた。


 地下の奴隷達はいつ死んでもおかしくない状況だった。

 だが、なぜ死なないのか。

 描かれた魔方陣の意味は、『幻覚・偽装・治癒』


 ならば、地下に居た彼女達は......

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