第18話 星空の下の約束1

——同日。夜。『紅眼の家畜小屋スカーレット・ハウス』近く。

「では、俺達は先に帰っているからね。あまり、長居するんじゃないよ」


 ルークは仲間を連れて、帰路につく。アイシアと日向を残して。

 『義務』を終えた『疎外の紅眼スカーレット』達は自分の家へ戻っていた。夜になり、一帯を闇が包んでいたが、ディルエールの巨壁から漏れ出る街頭の明かりが、灯台のように標となっていた。

 日向とアイシアは『紅眼の家畜小屋スカーレット・ハウス』近辺の草原の上で、地べたに臀部でんぶを落として、体育座りのような形で座り込む。


 最初に口を開いたのはアイシアだった。


「どう、面白かった?」


 小鳥のさえずりのような可愛らしく美しい声で、微笑を浮かべながら、隣に座る日向に問いかける。


「面白くは……なかった。あんなに、戦いを強いられると思うとまいっちゃうなぁ~って感じで。けど……」

「けど……?」


 今日一日の体験を思い返しながら、日向は言葉を紡いでいく。


「改めて、凄いなぁって。思った」


 思い返せば見えてくる彼らの強さ。単純な戦闘能力という観点だけでなく、文句も愚痴も言わずに『義務』を果たそうとするその精神や気概に日向は尊いものにすら感じていた。


「……そう。それがわかってくれただけでも、少しは良かったかな」


 微笑を見せているアイシアの口元がほんの少しだけ弛緩しかんした。


「それで、僕を呼び止めたのはなにが目的で?」


 日向もすぐ隣にいるアイシアの鼻腔をくすぐる甘い香りにほんのりと頬を桜色に染めながら、微笑を浮かべて問いかける。


「……そうだった。私達の秘密をもう少しだけ知ってもらおうかなって、思って」


 アイシアは表情を変えずにそう言った。随分と知ったディルエールの闇と彼らの境遇だったが、まだまだその闇が深いということを示唆している。


「これを……見て」


 アイシアは日向から見て左側にあたる肩にかかる帯状の布を外し、煽情せんじょう的な肌を露わにする。


「ちょっ、ちょっと何してるんだよ!」


 突然の出来事に日向は困惑と照れで頭が回らなくなった。一目で目が奪われる美少女のあられもない姿など今の日向には刺激が強すぎる。けれど、そんなことも気にせずにアイシアは片方の布を外し、真っ白な肌を見せる。


「少し目を瞑っていて」


 淡々と言ったアイシアの言葉に日向は従うほかなくて、目を瞑り、頭を下げる。アイシアは片方の胸を露わにして、手で覆い隠す。


「いいわよ」


 見上げれば情熱的なその光景。ほのかに汗ばんだアイシアの肌に日向の鼓動は高まる。けれど、その白い肌に映る黒いあざのようなものが日向の鼓動を元に戻した。


「……これは、なんだ?」


 少しだけ恥ずかしいのか、それともこのあざがそうさせているのか、アイシアは俯き気味に口を開く。


「日向、あなたは『女神の腕輪』のことは知っているよね?」

「うん。一応は……。でも、マロンやルークさんに聞こうと思ったところで、話が途切れちゃって聞けずじまいになってしまったんだ」

「……そう、ならどうしてあなたは腕輪をしていないの?」


 アイシアは何かを期待するように問いかける。


「わからない。けど、何かつけていちゃだめだと思って」

「そう、勘が鋭いのね」


 アイシアは期待通りの応えに喜色を浮かべる。


「これは、私達が言うところの『かせ』。私達を縛り付けるものよ」


 聞き覚えのある言葉に日向は嫌悪感を抱いた。そして、確認をとるためにアイシアに問いかける。


「『枷』というのは、具体的にどういったものなんだ?」

「これは、『女神の腕輪』を持つ人に攻撃することで、否応なしに私たちを殺す呪い。つまり、ディルエールに入ることも、関わることも、逆らうことも許さなくする存在そのもの」


 まさに『枷』そのものだった。


 そもそも、これだけの力を持った人々が、ディルエールに逆らえなくなるのが矛盾している。その暴力的な力で、無理やり従わせればいいのだから。頷かせればいいのだから。けれど、それをディルエールは認めなかった。

 我々が絶対の存在であると、虐げる側の人間であると、ディルエールはその呪いをもって、力を誇示し続けたのだ。


「この『枷』を私達は『悪魔の紋章』と呼んでいる。正義をつかさどる女神が悪魔と相対した時にその絶対的な力で浄化してしまうように、私達の境遇がそれと重なり合っているようだから」


 日向は今『女神の腕輪』を捨ててよかったと心の底から感じていた。悪魔と揶揄やゆされる彼らを無益に殺してしまいかねなかったのだから。むごい女神になりかねなかったのだから。


「それは……いつから付けられているんだ?」


 日向は言葉を濁らせながら問い返す。


「生まれた時から。この世に生を受けた時から、ずっとよ」


 アイシアは辛そうに、けど淡々とそう答えた。

 ディルエールでは、何百年も何千年も紅い目をした人々を否定するという風潮が流れていた。それは、ディルエール全国民に言えることではないが、特に王族や貴族の間では今の今まで連綿れんめんと受け継がれてきた考え方だ。

 赤ん坊の時に、紅い目をした人々に呪いをかけ、死ぬその瞬間までディルエールに近づけなくする。それは、虐待なのではなくて、ディルエールにとっては伝統なのだ。


「どう感じた? 日向。私達を醜く思った?」


 アイシアの問いかけに日向は首を何度も振った。


「僕は絶対にそう思わない。君は、君達は間違っていない。人として尊い存在だよ。少なくとも、君達を虐げるディルエールの人達よりは絶対に」


 アイシアは「……そう」と言って、微笑んだ。彼女の今の表情が、ディルエールの偽りの女神よりも、何倍も女神然としていた。


「なら、もう一つだけあなたに伝えなくてはいけないわね。これも、とても大切なこと」


 アイシアは胸元を布を覆うことで隠し、元あった肩の位置に戻して、そう伝えた。


「……もう一つ?」

「日向、気づいていたかしら。私達の名前のこと」

「……名前?」


 日向はこのことに関して、何も気づいていなかった。疑いを抱かなかった。

 それが、当たり前だと潜在意識の中で、先入観として認識されていたから。


「私達には名前が……ないの」

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