♪23 4者面談

「ただい――……?! っおい! 誰だお前!」」


 かなり焦った様子の章灯しょうとが玄関のドアを開けると、そこにいたのは自分に背を向けるようにして晶に抱き付いている見知らぬ男である。


 章灯は靴を脱ぐのも忘れ、自分よりも上背もあり、胸の厚みもあるその男の襟首をつかんだ。見れば男はあきらにキスを迫っていたようで、彼女は真っ青な顔でそれを阻止せんと彼の口を押さえている。


「アキから離れろ、この野郎っ!」


 渾身の力で引っ張ると、男は思ったよりもすんなりと晶から離れた。彼女が触れていた自身の唇を撫で、きょとんとした顔をしている。


「大丈夫か、アキ。誰だ、こいつ」


 男の支えを失った晶の肩を抱き問い掛けるも、彼女は答える気力も尽きたのか、ぐったりとしている。


「誰だお前。アキに何しやがった!」


 晶をその場に座らせ、男と向き合う。体格差など章灯の頭にはなかった。例えばここで傷害事件にでもなればどうなるか、ということすらも。完全に頭に血が上っている章灯に対し、男は混乱しているのか戦意は無いようである。ただひたすら「え? え?」と言いながら、誰かを探すように辺りを見回している。その視線は何度か晶にも向けられ、それがまた章灯の怒りを増幅させた。


「だから! 誰なんだよお前!」


 平時ではまず耳にすることはない大声に、晶は壁にもたれた状態で目を丸くした。


「あ、あの山海やまみさん――」

「どうしたのかね山海君、外にまで声が――」


 自身の熱烈なファンであるという老齢のタクシー運転手から、どうしてもと頭を下げられて止む無く応じたサインと握手を終えた清吉が玄関のドアを開けたのと、怯えたように瞳を潤ませた蒼空そらがリビングへと通じるドアから恐る恐る顔を出したのはほぼ同時だった。

 2人はまず、廊下で睨み合っている章灯と仁太(とはいえ、睨んでいるのは章灯のみだったが)を見、次に壁にもたれてぐったりとしている晶を目に留めた。そうしてからようやくお互いの存在に気付いた。


「蒼空! 話は山海君から聞いたぞ!」

「何でお父さんが……!」


 ここまで人数が増えると、章灯も幾分か落ち着きを取り戻した。とりあえず、目の前の男を感情に任せて殴るのはまずい、と判断出来る程度には。


 そして、呆けたような表情で沈黙を守っていた男――仁太が聞き覚えのある声にゆっくりと振り向いた。玄関で靴を脱いでいる清吉は彼の顔を見て「仁太! お前何をしている!」と叫ぶ。そのハリのある声に、仁太はびくりと身体を震わせて肩を竦めた。そうしてから、彼は助けを求めるように蒼空に視線を送った。それを受け取った蒼空は気まずそうに顔を背ける。


「……とりあえず、一旦中へどうぞ」


 いつまでも廊下ここにいても始まらないだろうと判断した章灯がそう言うと、清吉は映画の中の剣客さながらに鋭い視線を仁太に向けたまま「うむ」と返事をした。仁太はというと、一瞬、帰りたそうな素振りを見せたものの、自分よりも小さな――しかし、到底逆らえるものではないその大きな存在に腕を取られ、いまにも泣きそうな表情で、半ば引きずられるようにリビングへと入った。



「――さて」


 リビングのソファには、清吉と蒼空が並んで座っている。その前に山田仁太が正座をしてうな垂れており、章灯はそれを仁王立ちで見下ろしている。晶はとりあえず回復するまで自室で休ませることにした。


「僕は何からお聞きすれば良いんですかね」


 一際低い声を出すと、それに怯えたのは仁太ではなく蒼空だった。

 ちっとも口を開かない仁太にしびれを切らしたのは清吉である。


「こいつはウチの新人の『山田仁太』だ。まだ脇役くらいしか与えられていないから山海君も知らんだろう」


 そこで仁太はぺこりと頭を下げた。


「それで、山田君。君は何をしてたんだ、アキに。抱きついてキスを迫ってたよな?」


 彼にしては珍しく、腰を落として目の高さを同じにすることはなかった。立場を明確にするためにか、腕を組んだ状態でただひたすら冷たく見下ろしている。


「えっと、その……。あの、お嬢さんが……」


 蒼空に媚びたような視線を向けつつそう言うと、最早その『お嬢さん』が誰であるかなど明白であった。蒼空はどうにかそれを誤魔化せないかと明後日の方を向いたが、清吉はそんな娘の膝を無言でぴしゃりと打った。加減はしているのだろうがそれなりの強さのようである。


「いたっ! ちょ、ちょっと、お父さん!?」

「どういうことだ、蒼空」

「わっ、私は別に……。ちょっと山田、おかしなこと言わないで」

「そんな! お嬢さん! だってお嬢さんが――!」

「アンタもう黙りなさい!」

「そうだね、山田君。君はちょっと黙ろうか」


 ここで章灯はその場にしゃがみ、尚も食い下がる仁太にほんの少しだけ態度を緩ませた。そのことに蒼空は胸を撫で下ろす。しかし――、


「続きは蒼空さん、お願いします」


 一際低い声でそう言われ、蒼空は震え上がった。その表情も、声も、疑いようがないくらいに『キレていた』からである。

 大御所の一人娘だろうが、ましてその父親が同席していようが関係無い、というような凄味があった。思わず隣に座る父に助けを求めるも、彼もまた同様に憤怒の表情で彼女を見つめているのである。


 もう逃げられない。


 右手が震え出し、左手でそれを押さえるように包むが、やがてその左手の方も震えが始まり、いよいよ彼女は「ごめんなさい」と呟いた。



「だっ、だって、AKIさんってゲイだから……」


 第一声がそれかよ、と章灯は思った。と同時に、脱力する。


 何の根拠もねぇくせに断定までしやがって。


 確かにさっき、「ごめんなさい」とは聞こえた。ただし、正に『蚊の鳴くような声』で、というやつである。舞台でのあの声量はどこに行ったのか。まさかあの程度で謝罪は終わったとで思っているのだろうか。


 良い年した(とはいえまだかなり若いのだが)大人なのに、マジか。


 2世タレントをとやかく言うつもりはない。親の七光りと言われるのが嫌で、素性を隠して努力している者もいる。2世だとバレ、コネだコネだと言われながらも努力を続け、親とはまた別のステージで立派に戦っている者もいる。

 それに、そもそも晶だって公表していないがあの『SATSUKI』の娘なのだ。蒼空だって、歌の世界ではプロとして認められている。それが例え金にものを言わせて環境を整えた結果であったとしても、だ。才能は確かにあると認めていたのに。それだけに、歌以外の部分が、人として、という部分が残念すぎる。


「アキは同性愛者じゃありません。あいつはノーマルです。公表していないだけで、婚約者もいます。もちろん、『異性』の」

「えぇっ」


 ため息まじりにそういうと、仁太は心底驚いたような顔をした。


「仮にアキがそうだとして、それと彼がここに来たのと、どう繋がるんでしょうか」


 仮定でも何でも彼女を同性愛者扱いしてしまったことに心の中で詫びる。


「その……、AKIさんは山海さんのこと、ものすごく気に入ってて、一緒に住んだりとかもしてるから……」


 蒼空の声は相変わらずぼそぼそとしていて聞き取りにくかった。自身のしでかしたことを反省し、背中を丸めているというよりは、それでもどこかで『責められている自分が可哀想』とでも言いたげに見えてしまう。チラチラと章灯の顔色を伺っているからかもしれない。


 清吉はもう呆れて何も言えないようで、両手で顔を覆っている。


「山海さんにもゲイが移るかと思って……」


 趣味嗜好を伝染病か何かと勘違いしているのだろうか。仮に影響を受けたとしても、それはそれで自由ではないか。『移った』として、彼女に何の影響があるのか。そう章灯は言いたかった。しかし、開いた口が塞がらない、というのは本当にあるものだとのんきに思ってしまうほど、それらの言葉を吐き出すことが出来なくなってしまったのである。

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