♪22 お仲間

 そこであきらは次の言葉を紡ぐことが出来ずに黙った。それをどうやら蒼空そらは『肯定』として受け取ったらしい。


 つまり、ズバリ言い当てられて絶句しているのだろう、という。


 しかしもちろん晶にソッチの趣味は――というか、そもそも晶は女性なのであって、もしも彼女が同性愛者であるならば、その恋愛対象は女性ということになってしまう。


 何ならこれくらいのことは以前章灯しょうとにも言われたことがあるのだ。ただし彼は『同性愛』などという言葉を使わず、「……一応、確認なんだけど、そっちの趣味はないよな?」と恐る恐る問い掛けてきただけであったが。


 晶はやれやれと思いながら小さくため息をついた。


「一応、否定させてください。あなたがどう思っていても構いませんが、自分は同性を愛する趣味は持ち合わせておりません」

「信じられませんね。だったらこの同棲だって解消したら良いじゃないですか。例えAKIさんがそういうつもりで接していたとしても、ですよ。山海やまみさんだって恋愛しづらいと思いますよ」


 まぁ、確かにそうなんだろう。

 結果として自分達はこういう関係になりはしたが、それは当然――といって良いのかはわからないけれど――自分の性別がバレたからだ。章灯さんにその趣味はない。けれど、彼はこうも言っていたのだ。


「だってさぁ、毎日毎日あんなうまい飯食わされたらさ、もー、胃袋がっつりつかまれちゃうわけだよ。あー、アキが嫁だったらなぁって考えたりもしてさぁ。お前にも何度か言ったよな、そういや。でも、男だったからさぁ。俺、いよいよそっちの方に目覚めちゃうんじゃねぇかってハラハラしてたからな」


 よくもまぁここまではっきり覚えているものだと自分でも感心する。それほど印象的だったのだ。

 もし仮に、上手いこと性別を隠し続けることに成功していたら、章灯さんは『男としての自分』を好きになっていたかもしれない。そう思って、背筋が寒くなったことまで覚えている。ぞくりと冷えて、ぶるりと身体が震えるあの感覚までも。


 一応、こういう時のために湖上こがみから「これくらいなら良いんじゃね?」という模範解答もいただいてはいる。恐らくいまがそれを出す時なのだ。


「……あの、ちゃんといますから」

「はい?」

「婚約者、です。入籍はまだ決まっていないですけど」

「は? ああああの、AKIさん……?」

「ちゃんと『異性の』です。それと、章灯さんにも婚約者はいます。それももちろん『』、つまり――です。でも、絶対に他言無用でお願いします」


 そう言って、深く頭を下げる。ゆっくりと顔を上げると蒼空は口をあんぐりと開けて固まっていた。平時の彼女からすればかなり間抜けな表情といえるだろう。


 ちなみに、章灯の方に『女性』という言葉を出したのはわざとである。自分の方の『異性』と章灯の方の『異性』はイコールではない。けれどそこに女性というワードを挟むことによって、この二種類の『異性』が示す性が同じであるように錯覚させようという魂胆である。もちろん湖上の入れ知恵だ。


 そのままの状態で数秒、いや、数十秒かが経過した。蒼空は相変わらず口を開けたままだったが、晶はそれを指摘しなかった。彼女がそうしたいのならそのままでいれば良いと思ったからである。


 彼女が――蒼空が普段通りの可憐な表情を取り戻すきっかけとなったのは、膝の上に乗せた鞄の中から伝わってきた微かな振動である。

 それが自身のスマートフォンであることに気付いた彼女はそれを慌てて取り出した。着信ではなかったらしく、それを耳元にあてることはなかったが、何やら焦ったような表情で必死にパネルをタッチしている。その指は白く、細い。たまに爪の当たる音が聞こえる。それはピンクベージュをベースに先端に白のラインを引いたフレンチネイルで、薬指にのみ控えめに乗せられた小さなラインストーンが、時折きらきらと光を反射させている。


 晶は、何の装飾も施されていない自身の爪を見た。ライブの際、一度黒に塗ったことはあるものの落とすのが面倒だということに気付き、止めた。おそらく蒼空はそういうことを面倒だと思わないのだろう。その点について、純粋に尊敬する。一応、『同性』として。


 蒼空がスマートフォンを鞄の上に置いたタイミングで晶は、はたと気付いた。章灯に先ほどのやりとりを伝えておいた方が良いのではないか、ということに。蒼空のことである、きっと章灯の顔を見るや、彼を質問攻めにするだろう。そうなっても良いように先手を打っておかなければならない。しかしそれを実行する前に――、


 ピンポン、とインターフォンが鳴った。


 章灯さんにしては珍しい、と晶は思った。


 当然ながら彼は家の鍵を持っているわけだし、そもそもさっき自分は施錠をしていないはずだ。それに彼はいちいちインターフォンを押したりしない、とも。


 けれど、いまこの家にやって来るものは彼以外にいないだろうとも思ってしまった。宅配業者や郵便局員かもしれないのに、とにかく晶は章灯だろうと思ってしまったのである。早く帰って来てほしいという願望や焦りが、そう早合点させてしまったのかもしれない。最も、鍵を忘れたという可能性もあるにはあるのだ。


 だから、晶は足早に玄関に向かった。「いま開けます」なんて言葉と共に、鍵を確認してからそのドアを開けたのである。何だやっぱり施錠なんてしてなかったじゃないか、などと思いつつ。


「どうも! 山田仁太じんたといいます!」


 晶がゆっくりと開けたドアを乱暴に引き、聞かれてもいないのに名乗ったその男性――仁太は、呆気にとられている彼女を見下ろして、満足気に笑った。その顔に嫌悪感を抱いた晶はいつも以上のポーカーフェイスで再びドアを閉めようとした。家をお間違えではないですか、の言葉もなく。こんな不躾な男にいちいち指摘する義理も無いと思ったのである。


 しかし、彼はそれを許さなかった。彼もまた蒼空同様に足を滑り込ませ、やはり晶が怯んだ隙をついてするりと玄関に侵入してしまったのだった。


 さすがに身の危険を感じた晶は、仁太から少しでも距離を取ろうと数歩後退りした。体勢を立て直してみてわかったのは、彼がかなりガタイの良い青年だったということである。身長は恐らく章灯よりも高く、身体の厚みも彼よりある。ということは、何をどうしても自分には勝ち目がない。そのことに気付き、背中に嫌な汗をかいた。


 それをわかっているのか、仁太は断りもなくじりじりとその距離を詰めていく。晶はそれから逃げようと靴を脱ぎ、彼に背中を向けずゆっくりと廊下を移動した。しかし、もちろん仁太の方でも速度を合わせてそれについて来る。それも、顔に笑みを浮かべたまま、である。背中を向けたら襲い掛かってくるのでは、と思った。かといってその薄気味悪いにやけ顔を直視したくもない。晶は彼の鼻の辺りに視線を固定しながら、ここからどうすべきかと思案を巡らせた。


 そして、はたと気付いたのである。リビングには蒼空がいるのだということに。


 もしかして、こいつがあの時つけていたヤツなのでは。


 とすると、まさかこのままリビングに逃げ込むわけにはいかない。きっともうじき章灯さんがここに到着するはずだ。それまで何とかこの状態でしのぐしかないだろう。大丈夫、章灯さんなら絶対に間に合う。絶対に。


 そう覚悟を決めた時、それまである程度の距離を保っていた仁太がやにわにそれを詰め、晶の手を取った。


「ちょっ……!」

「お会いしたかったっす! AKIさん……!」

「な……?」

「感激っす! まさかAKIさんが『お仲間』だなんて!」

「――は?」

「AKIさんはっすか? いや、僕はもうどっちでも。AKIさんに合わせますから!」

「いや、何のことか……」


 仁太は晶の反応などおかまいなしに彼女の手に頬ずりをする。背中を丸め、無理やりに上目遣いまでして。その行為にぐらりと眩暈がする。それほどに彼は晶の理解の範疇を超えていたのだ。気持ちが悪い。吐き気がする。しかし、ほんの少しでも怯んでいると思われたら、そこにつけ込まれるかもしれない。


 どうにかしっかり踏ん張っていないと――。


 そう気を張っていたものの、かなり限界だった。がくがくと膝が震え、力が抜ける。ああ駄目だ、このままでは、と考えているうちに仁太は晶の腰に手を回してきた。


「大丈夫ですか、AKIさん」


 大丈夫なわけはない。何ならその原因はお前だと言ってやりたかったが、いま口を開けば声以外のものが飛び出そうな状況である。どうにか抵抗の意を示したかったが、身体に上手く力を入れることが出来ない。それを仁太は晶が身体を預けていると都合良く解釈したらしく、彼女を抱き寄せ、あろうことかその唇を奪わんと顔を近付けた。

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