♪11 逃避行
ぱらり、と手帳を捲る。
少し前までスケジュールはタブレットのアプリで管理していたのだが、結局アナログの方が自分に合っていることがわかった。スマートフォンにも同期されているそのアプリの中の予定は、3ヶ月前に更新したのが最後である。
急ぎの依頼はすべて終わっている。
来週の末までイベントも入っていないから、スマホの電源はまだ入れなくても良いだろうか。せめて、今日一日くらいは。
そんなことを思って
先手を打って、というのか、マネージャーである麻美子には「ちょっと一人で考えたいことがあるので」と連絡はしてある。彼女は「わかりました」と了承した上で「一日一回、どのタイミングでも良いので私の携帯を鳴らしてもらえます? すぐ切って良いですから。それと、来週の頭には、連絡をいただけますか」と言って来た。
「大袈裟に言えば、生存確認ってやつです」
おどけた声でそう言われ、晶はつられて笑った。
「わかりました。週明けには、必ず」
そう言って電話を切り、電源ボタンを長押しした。今日は金曜で、まだ時間はたくさんある。
この人だ、とその声に惹かれて早6年。
彼は結成当時、「どんな曲でも歌いこなしてみせる」と言った。そして「歌は俺にどんと任せろ」とも。もちろん、その場の乗りで口走っただけかもしれないが。
けれど自分はそれをそのまま受け取り、『どんな曲』も作った。定番の激しいロックもあれば、ジャズやブルース、それからフォーク調のものまで。彼は「一体どんだけ引き出しがあるんだ」なんて驚きながらもそれを難なく歌いこなして来た。それはこっちの台詞ですと何度返したかわからない。
『
『パートナーだからって同性が一緒に住むのもおかしいですよ!』
『だったらせめて音楽くらいは山海さんの好きなようにやらせてあげてくださいよ! 狭い檻に閉じ込めないでください!』
蒼空の声が頭から離れない。
縛っているつもりも閉じ込めてるつもりもない。
それは胸を張って言える。しかし、それはあくまでも自分が『そう思っている』というだけの話である。
相手がどう思っているのかなど、彼女にはまったくわからない。
目を瞑ると浮かんでくるのは、風に揺れる明るめの長い髪と、ピンクレザーのあのトートバッグ。
その中から取り出されたUSBメモリはボールペンのようにノックすることによって、中に収納されているコネクタが飛び出す仕組みになっている。色は薄いピンク色で、目印としてなのかそれとも単なるデザインなのか、小さなラインストーンが一粒貼りつけられていた。意味もなく、それをカシャカシャとノックしてみる。コネクタが出たり入ったりを繰り返す。『女の子』というのは、こういう小物に至るまで、すべてが『女の子』なのだと晶は思った。
ふと、章灯のことを思い出す。
何も伝えずに出て来てしまったことを後悔した。
いや、厳密には、伝えようとは思った。
しかし、自分自身でもどこへ行くのか、何をしに行くのか、全くのノープランだったのだ。そんな状態で何をどう伝えられたというのだろう。
でも少なくとも、いま自分は屋根のあるところにいる。ここから先のことは相変わらず何も決まっていなかったが、とりあえずは一報入れておくべきだろう。まさか探しているなんてことはないだろうけれども。
***
晶から着信があったのは午後3時のことだった。
章灯の平日の流れは、午前中一杯を生放送の情報番組『シャキッと!』の収録に取られ、簡単に昼食を済ませると後はデスクワークかOR関係の仕事(撮影やインタビュー等)が基本で、稀に番組のロケやナレーションの収録が入る。
そして今日は今秋から始まる新番組の打ち合わせが入っていた。
ポケットに入れていた携帯電話が振動する。
ネット配信番組だから、というわけではないのだろうが、そう堅苦しい類の打ち合わせでもなく、メンバーも章灯の他は構成作家しかいない。彼の方でも頻繁にかかってくる着信に普通に応じていたため、章灯もそれに倣って携帯を取り出した。
「――!!?」
画面に表示された『晶』という名前で思わず腰が浮く。その様子を見て、向かいに座っていた若い構成作家は苦笑しながら「どうぞ」と離席を促した。
「すみません、すぐ……」
そう言ってそそくさと会議室を出る。辺りに誰もいないことを確認してから『応答』を押した。
心のどこかでは、何かしらの事件に巻き込まれたのでは、という思いが拭いきれない。
もしかしたらこの電話も『犯人』からで目的は身代金の要求かもしれない。冷静に考えてみれば、誘拐なんて、少なくとも『男に見えるような』成人女性に対して行うものではないとは思うのだが。
でも、拉致監禁なら充分有り得る……って俺は何を考えてるんだ。
「も、もしもし……アキ……?」
恐る恐るその名を呼ぶ。受話口からハッと息を呑むような声が聞こえた気がした。
違うのか? やっぱりこの向こうにいるのはアキじゃないのか?
そう思って、お前は誰だと問い質そうとした時、「……は、はい」と、聞き慣れた、けれどいつもの数倍弱弱しい声が聞こえてきた。安堵のあまり、章灯はその場にしゃがみ込んだ。
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