♪3 今回、は

「こういう仕事増えたなぁ……」


 渡された企画書を睨み付け、章灯しょうとはため息まじりに言った。


 コーヒーを運んできたあきらがその隣に座り、彼の手元を覗き込む。どうぞ、と勧めてから自分の分を取った。


「ありがと。しかし、だんだん自分の本職が何なのかわからなくなってくるな」


 それでもまだアナウンサーとしての仕事の方が多い、と思う。少なくとも、「お前の職業は?」と聞かれてアナウンサーと即答するほどには。


 しかし、有り難いことに年を重ねる毎にORANGE RODのファンは増え、売り上げも伸びている。業界全体として、CDの売り上げそのものは減少の傾向にあるものの、リリースの度にランキングの上位に食い込む程度には売れているのだ。


「前回ので章灯さんの『上手さ』が知られちゃいましたからね」

「……言うなよ」


 晶が言うのは一昨年の声優デビューの件である。もちろん、ゲスト枠にしては、というレベルではあるが、共演したヒロイン役の千石英梨に大差をつける形で章灯の演技は高い評価を得たのだった。


「でも、『今回』は大丈夫です」

「『今回』は?」


 怪訝そうな顔をして彼女の方を見る。晶はにこりと微笑んで立ち上がった。


「ちょっと待っててください」


 何だ何だと思いつつ、晶の淹れてくれたコーヒーに口を付け、企画書に再び視線を落とす。


 『SINGERフォーム』を登場させる回とあって、内容の方も歌がメインとなっている。ところどころにミュージカルの要素が加わり、歌が苦手な隼に代わって『分身君』――つまり章灯がその歌唱部分を担当するというわけである。


 ゲストヒロインは最近注目されている小松沢蒼空そらというミュージカル女優で、その歌声もさることながら、ルックスの良さも相まって、バラエティ番組にも引っ張りだこの女性だ。


 まだまだ新人という立場であるにも関わらず次々と大作のヒロインに選ばれるのは、彼女に強力な後ろ盾があるからだ――とやっかむ声もある。そのやっかみもある意味正当で、彼女は大御所俳優小松沢清吉の一人娘であり、確かにそういった『力』が全くの0ではないと小松沢自身も(一応ネタという体ではあったが)豪語しているのだった。


 でも、ミュージカルって……。


 歌には自信がある。それは間違いない。でも自分の分野はロックやポップスであって、クラシックの方は正直さっぱり、と章灯の方では及び腰である。とはいえさすがに子ども向けのコンテンツなので本格的なミュージカルではないのだが、ゲストが本職と聞くとやはり腰が引ける。自分なんかが、と。


「お待たせしました」


 ちょっと、と前置きした割には待たされたと思いながら顔を上げた。

 晶は、やや皺の寄った紙の束を持っており、きちんと揃えられていないところを見るとおそらく部屋中に散らばっていたのをかき集めたのだろうと思われた。部屋はこの間片付けたと言っていたはずだが、早くも無法地帯になっているのだろう。


 そう思って苦笑する章灯を見て晶はやや気まずそうに頭を掻いてから、コホン、と咳払いをし、テーブルの上にその束を置いた。


「――ん?」


 見れば、何てことはない、楽譜である。いや――、


「楽譜?」


 短く言葉を発し、ホチキス留めの企画書を慌てて捲る。


 今回ってアキが担当だったっけ……? いやいや、特にそんなことは書いてなかった……はずだけど? ていうか俺も聞いてないし!


 目を皿のようにして企画書を読み直す章灯に晶が口を挟む。


「いえ、書いてませんよ」


 章灯が自分の名前を探していることに気付いたらしい。彼女にしては珍しく察しが良い。


「だ、だよな。あー、びっくりした」


 でも、そうなるとこの楽譜は何だ?


「公表は明日ですから」

「――は?」

「ですから、その企画書の段階ではまだ秘密だったんです」

「――え? 何で? 俺にも?」

「はい。何ででしょうね」


 その部分に関しては本当にわからないのだろう、晶はさらりとそう言って首を傾げた。


「でも、これからは私の歌だけを歌ってもらう、と言いました」

「それは……確かに」

「っていう話を白石しろいしさんにも言ったので、もしかしたら……」

「あ、あぁ――……、成る程。合点がいったわ」


 あの『敏腕』マネージャーのことだ、自分にオファーが来た時点で「ならば曲はすべてAKIに」と交換条件を出したに違いない。話題性という面でも、この業界でAKIの曲を使いたくない方が珍しいので、それは願ってもない申し出であっただろう。そもそも晶はTV版の主題歌を担当しているのだ、その流れで元々そのつもりだったのかもしれないが。


「だから今回は大丈夫です」

「そうだな。アキが作ってくれるんなら、俺も安心だ」


 章灯がそう返すと、晶はホッとしたような顔をした。


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