7/10 章灯の誕生日 後日談

「部署移動だって、こんな時期によ」

「は……?」


 男子トイレで局長の榊とばったり出くわした章灯しょうとは、間隔を空けず、隣で用を足し始めた彼に多少の気まずさを感じた。さすがに覗き込んでは来ないけれども、だ。


「局長、すみません、もう一回お願いします」

「いや、だからな、部署異動を申し出て来たんだ」


 ということは自分や榊ではない、ということに多少安堵しつつ。


「えっと……、誰、が……?」


 そうなると、もう、聞くまでもないのだが。


矢島やしま


 事も無げにそう言って、榊はチャックを上げた。


「全く、わがままだよなぁ。なぁ、部長の知り合いの姪って、そんなにやりたい放題出来るもんなのか?」

「僕に聞かれても……」

 

 章灯が朝の情報番組の収録を終えて自分のデスクに戻ると、出入り口付近の島でいつもほとんど突っ伏すような姿勢で資料を作っている睦美むつみの姿がなかった。たまたま席を外しているだけだろうと思ったのだが、それとなくそちらの方を気にしてみるも、一向に彼女が現れる気配はない。何気ない風を装って彼女の教育係であるみぎわ明花さやかに尋ねてみる。


「むっちゃんなら、今日はお休みですよ。体調が悪いみたいです」


 章灯が持参したチョコレート菓子を嬉しそうに受け取り、笑顔でそう返す。この笑顔は菓子によるものなのか、それとも章灯が話しかけてくれたという嬉しさからか。


 何となく、そんな気もしていた。

 体調不良については心配なのだが、とりあえず、今日のところは助かったという思いと、かといって誤解を解かないまま時間が過ぎるのも良くないと思っていた時、榊によってもたらされたのが、先の『部署異動願い』の件なのであった。


「まぁ、受理されるだろ」


 彼女がここを離れることに特段の惜しさもないようで、榊はさらりと言った。正直なところ、確かに惜しい人材ではない。


「だいたい、いまどきお茶汲みやらコピー要員なんてな、時代遅れも甚だしいんだよ。いまなら女性差別だーとか言われるはずだろ? そんで、それも満足に出来ないってどういうことなんだ。大学も出た30の女だぞ?」


 再び給湯室で遭遇した榊は、先月から始めた禁煙のせいかどうにも口元が寂しくて、と女性社員からもらった棒付きキャンディーをくわえている。密かに「局長、可愛い」と言われているのは秘密である。そして、やはり話題は彼女――矢島睦美についてだった。


「まぁ、学歴とか年齢とかは。局長、あまり言うとそれこそ問題になりますよ」

「そうだけどなぁ。しかし、何でこんな時期に……」


 そう言って首を傾げる。


「あの、局長、それに関してなんですが。たぶん……その……自分のせいかと……」

「んあ? 山海やまみの?」


 気の抜けた声を発しぽかんと口を開けている榊に、章灯は昨日の出来事を打ち明けた。


 

「ガハハハハ! 山海に梅干しか! こいつは傑作だ! 汀が知ったら目を向いて驚くぞ!」


 キャンディーをガリガリと噛み、プラスチックの棒を包み紙にくるんでゴミ箱に捨てる。


「いや、笑い事じゃないんですって……」

「いや、悪い悪い。何だアイツ、知らなかったのか。まぁ入ったばかりってのもあるが、周りともあまり溶け込んでなかったしなぁ」


 悪い悪いと繰り返しながら、肩を竦めている章灯の背中を軽く叩く。


「あんまり気にするなよ、山海。大丈夫、ああいうタイプはな、案外けろっとしてるもんだ」

「なら……良いんですけど……」


 大丈夫大丈夫とさらに強く叩かれ、彼の背中はだんだん丸まっていく。


「お前はもう少し図太くなれ。武道館埋めるロックスターがそんなんでどうするんだ。お前が知らないだけで、矢島みたいなことになってるファンなんてごまんといるだろ」

「いえ、局長。ごまんは言い過ぎかと。ウチの女性ファンの9割は相方アキが持っていきますから」


 章灯が口を挟むと、榊は「馬鹿野郎、野暮な訂正するな。お前だって充分人気者だよ」と笑った。


 

 ちなみにその数週間後、後輩の木崎康介から、「先輩、肩の荷が下りたっすね~」という言葉と共に、次のターゲットを見つけたらしい『むっち@nadeshico1205』こと矢島睦美のSpreadDER画面を見せられ、章灯は膝から崩れ落ちることとなる。


 切り替え、はえぇ――……。


『ああいうタイプはな、案外けろっとしてるもんだ』


 局長の言葉を思い出し、やはりよく見ていると感心すると共に、そんな彼のアドバイスなのだから、これからはもう少し図太く生きてみようかと決意する章灯であった。

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