♪29 見たんですけど
よほど楽しみにしていたのだろう。章灯はそう思った。何にせよ、晶が嬉しそうにしていれば――普段あまり感情を表に出さないだけに――自分も嬉しい。それに、さっきの晶もまた完璧と言わざるを得ないほどに可愛かったのだ。つまり、完全に負けた形である。
そりゃ相手が男だと思うと面白くない気持ちはある。晶に自分はゲイだとカミングアウトしていたらしいので、そういう意味では安全なのかもしれないが。
もし自分がそこまでホラー好き、ステラ・クィーン好きじゃなかったとしても、人並みに『見れる』人間だったら、これを機にとか何とかいって晶は声をかけてきただろう。
何せホラー以外でなら普段もお互いにあるパターンなのだ。章灯は話題作の日常コメディ映画を勧め、晶は咲からのお勧めらしい恋愛映画を持ってくる、といったような。だから今回だって充分に考えられた。けれどもそうならなかったのは、ジャンルがホラーだったから、この一点に尽きる。
章灯は自室でベッドに転がって悶々とし、そしてそのうちに眠ってしまった。
「――ううん?」
アラームなどセットしなくても、章灯は体内時計が起床時間を知らせてくれるタイプである。いや、今回は体内時計のお知らせよりも30分ほど早い。身体が目覚める前に『ある違和感』によって脳だけが覚醒した状態のようだった。
仰向けに寝ている自分の左半身がやけに重い。そして温かい。
金縛りにしては良い香りが鼻腔をくすぐってくるし、温かな重みは柔らかく彼に絡みついている。その香りが最近変えたばかりのシャンプーだと気付いた時、やっと全身に力が入るようになった。
「……アキ? おーい、アキ。何でこっちで寝てんだ?」
結婚してからも基本的にベッドは別である。相変わらず章灯は早朝に家を出ることが多く、晶も晶で真夜中まで仕事をすることが多いため、お互いの快適な睡眠を考えての判断だった。それでももちろんタイミングがあえば一緒のベッドで寝ることもある(そういう時のために章灯の方はダブルサイズになった)。ただその条件が『2人とも翌日がオフの場合』であるため、昨夜はそれに該当しないはずだったのだが。
「俺仕事行くんだけどー?」
別にこの状態に不満があるわけではない。いつもより早く目覚めたので時間にも余裕はある。だから、眉間に皺を寄せて「うう」と唸っている晶にちょっかいをかけるくらいの――とりあえずどうして珍しくこっちのベッドに潜り込んできたのかを問い質すくらいの余裕はあるのだ。
眉と眉の間の皺を伸ばすようにしながらゆっくりと言うと、彼女はゆっくりと目を開け、「おはようございます」と言ってから気まずそうに章灯の腕に顔を埋めた。
「おはよ。どした」
何の理由もなく甘えてくることなんてほとんどない。昨日の一件をまだやましく思っているのだろうか。だとしてもこんな露骨な『ご機嫌取り』というのも珍しい。
「あの……」
もぞもぞと身をよじらせるその様に、正直欲情しない訳でもない。かといって、さすがにそこまでの時間があるわけでもない。
「昨日……見たんですけど……」
「おぉ。どうだった?」
ホラー自体は苦手でも感想を聞くくらいの気持ちはある。晶の説明であれば、どんなに恐ろしい映画でもせいぜい伝わるのは――多く見積もっても――その半分なのだ。
「すごかったんです……。リメイク前のも良かったんですけど、昔の映画特有の荒さとか、そういうのも嫌いじゃないですし」
「ほぉ」
「最近のってCGが当たり前で、何ていうかアニメとかもそうじゃないですか。だけど、だからこそかえって作り物感があるっていうか――そう思うのは私だけかもしれないんですけど」
「成る程」
「だから、CGってわかるとちょっと冷めちゃう時もあって、あまり怖くないって思ったりするのもあるんです……けど……」
「けど……?」
「今回のは……すごくて……。あの……具体的に説明した方が……?」
「そこは良いや、一応。まぁとにかく、久し振りの大ヒットで、1人じゃ寝らんなくなった、と」
「……はい」
その返答に章灯は拍子抜けした。都合の悪いことは伝家の宝刀「別に」で濁す癖に、どういうわけだか今朝は何とも素直である。
しかし、晶が怖がるくらいなのだから、さすが話題作だけあって素晴らしい出来なのだろう。ストーリーが秀逸だったのか、それとも演出、あるいは俳優の演技か。
……いやいや、俺は何を興味持ってるんだ。見ない癖に。
……見ない癖に、なぁ。
頭の中でそう繰り返してから、章灯は晶を抱きしめた。彼の腕の中にすっぽりと収まってしまう、出会った時から変わらぬ華奢な身体である。ステージの上ではその見た目にそぐわぬ力強いサウンドを奏でて観客を魅了する癖に、家に帰ればこれだ。
しかも晶の恐ろしいところは、いつもいつもこのように甘えてくるわけではないという点に尽きる。
恋人になった直後でさえさして態度が変わるわけでもなく、基本的に口数も少なければボディタッチが増えるわけでもない。ところが、ふとした時にちらりと甘い部分を出してくる。実は計算か? とこちらが疑いたくなるほどの抜群のタイミングで。その上、彼の急所にズドンと来るほどの破壊力を持って、完全に理性を殺しにかかってくるのだ。
「畜生……。よりによってこの時間だもんなぁ……」
参った、と章灯は小さく呟いた。
「……章灯さん?」
いまだその言葉の意味を汲み取ることが出来ない晶は不思議そうな顔でじっと彼を見つめている。目を丸くして見つめる様は何だか子犬のようで愛らしい。
――普段は超気まぐれな猫の癖に。まぁ、たまに忠犬みたいになるけど。
猫と犬とを行ったり来たりし翻弄してくる可愛い姿を思い出し、クククと喉を鳴らすと彼女は尚も不思議そうに眉を寄せた。
「ああもう、寄せんな寄せんな」
それをまたゆっくりと伸ばし、晶が力を抜いたところで額に口を付ける。
「アキ、明日は俺オフだからさ」
「……はい」
「アキは急ぎの仕事、あるのか?」
「いえ、そこまでは」
「よっしゃ、そしたらさ――」
そこで章灯は大きく息を吸った。
「ちょっと明日の夜、俺に付き合ってくんね?」
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