♪23 また、ですよ

「アキ、最近忙しそうだな」


 食事の席で黙々と料理を口に運ぶあきらに対し、章灯しょうとはぽつりとそう言った。

 もちろん、決して責めるだとか詰問するだとかそういう口調ではなく、ただの会話の糸口のつもりだった。しかし晶はその言葉にびくりと肩を震わせ「はい」と消え去りそうな声で言うのである。おまけに目も泳いでいる。


 全く、嘘のつけないやつだ。


 そんなことを思った。しかし晶の隠し事などたかが知れているのだ。大方、曲を提出し忘れていただとか、それが実は1曲だけではなく数曲あるだとか、まぁそんなところだろう。


「また籠りっぱなしだもんなぁ。飯食えてるか?」


 何なら少しからかうつもりでそう言った。そろそろ真っ赤な顔をして「すみません、実は……」と来るはずだ。そう思うと笑いが込み上げてくる。しかし、彼女から返ってきたのは「大丈夫です」という言葉だけだった。


 ――おかしい。


 いつもならこのタイミングで曲のことを思い出して、気まずそうに打ち明けるか、いきなり立ち上がって部屋に駆け込み曲の入ったUSBを持って来る(このパターンは本当に締め切りが迫っている時のみ)のだ。


 章灯はその『大丈夫です』に違和感を覚えた。しかし、そういうこともあるだろう、と思い直す。いくら長い付き合いだとはいっても、全てを知っていると傲れるほど人間の底は浅くない。


 しかし、ここ数日の晶はというと、家にいる時は大抵自室に籠ってしまっている。もちろんギターの音も聞こえてくるし、地下室に行ったり、料理をする時などは出て来るのだが。


 またか? 


 と章灯は思った。


 また俺のお宝ボイスでも入手したか? 

 

 と。

 彼女が章灯の声変わり前の音源を手に入れてしまった時も似たようなことはあった。ずっと部屋に籠り、それが章灯のものだとは気付かずに、ひたすら曲を作り続ける、という。


 確かに学生時代はいくつかのバンドを掛け持ちしていたから、そういう音源は探せばどこかに転がっているのかもしれない。

 一度経験しているために耐性が出来ていた章灯は、その対象が自分であるならばまぁ安心だと、そう言い聞かせた。最愛の妻の興味の対象がいまの自分でないことは悔しいが、過去の自分と張り合ったって仕方がないのだ。


 もしかしたらこれが倦怠期とかそういうものなのかもしれない。

 思えばいままでそれらしきものがなかったのである。世間一般の夫婦――カップルでも――なら、数日口を利かないであるとか、勤務時間やらの関係であまり顔を合わさないということは普通にあるだろう。そういう点では、自分達はやや特殊であると言わざるを得ない。仮に喧嘩をしたとしても仕事の時はほとんどペアだ。

 まぁ、喧嘩らしい喧嘩などしたこともないのだが。

 

「コガさん、またアキにおかしなもの渡してませんか?」

 

 晶がおかしな行動をとり始める時、大体のきっかけはこの男――彼女の育ての親であり、章灯にとっては義父にあたる湖上こがみ勇助であることが多い。だから、久し振りにゲストとして招いたラジオ収録が終わった後でそんなことを尋ねたのも妥当なところであろう。


「はぁ? 何だよ、おかしなものって」


 湖上は紙コップのコーヒーを啜りながらいささか気分を害したような声を上げた。まだ眉間にはさほど皺が寄っていない。だからその声色はまぁ、わざとってやつだろう。それをビンゴだと捉えた章灯は、「もー」と言って同様にコーヒーを一口飲んでから「『また』、ですよ」と言った。


「何だよ、『また』って」

「またアキのお籠りが始まったんですよ」

「ほぉ。何だ、ぼちぼちアルバムの時期か」

「違いますよ、たぶん。だって俺、何も聞いてないですもん」

「アキのことだからなぁ。章灯に言うより先に『降りて』きちまったんじゃねぇの? ほっときゃ言うだろ。レコーディング3日前くらいにでも」

「さすがに歌詞間に合いませんって! 全部ハミングになりますよ、それじゃ。っていやいや、そうじゃなくて。――え? コガさんじゃないんですか?」

「だから、何がだよ」

「いや、てっきり俺、またコガさんが変なもの渡したのかと」

「変なものってあれか、お前の昔のライブ音源とかか」

「まぁ……俺に限らずとも、ですね。アキが好きそうな声のヤツ……ですとか……」

「そんなこの世の終わりみてぇな顔で言うんじゃねぇよ。ここ数年はずっとお前が単独1位なんだからよ。さすがの俺でも毎回毎回波風立てるようなこたぁしねぇって」


 その言葉にホッと胸を撫で下ろす。しかし――、


「でもそうなると、じゃあ一体何が……?」

「いやだから、アルバムなんじゃねぇのかよ」


 湖上は何だか面倒臭そうに言った。


「いや、それはたぶん無いんですって」

「何でそう言い切れんだよ」

「いえ、それがですね……」


 そうして章灯が先日の夕食時のやり取りを語り始める頃にはコーヒーはすっかり冷めてしまっていた。

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