♪7 やはり→もしかして 

「アキ、付き合うって……何……?」


 待ちに待ったその翌日。

 夕食が終わり、洗い物まで済ませた章灯しょうとがリビングに戻ると、何故か照明は落とされていた。テレビの隣にある小さな間接照明だけが頼りないオレンジ色の光を放っている。


 テーブルの上にはさして高級でもない国産ウィスキーの瓶とグラスが用意されており、彼の手にはミネラルウォーターと炭酸水のペットボトルが握られている。


「とりあえず、お酒の準備をお願いします」


 そう言われ、彼女の指示通りに戸棚からウィスキーとグラスを出し、「後片付けが終わったら残りのものを持ってそっちに行く」と返して、その約束通りに来てみれば、何だか良い感じのムードになっていたと、そういうわけである。そしてあきらはというと、ソファの上で膝を抱えていた。


 これはやはりと確信を胸に晶の隣に座ると、彼女は抱えていた膝を解放し、足を投げ出した。そこで章灯は再び問い掛ける。「何に付き合えば良いんだ?」と。込み上げてくる笑みをどうにか抑え、キリリとした表情で。


 その問い掛けに、晶は答えなかった。ただ柔らかく微笑み、ウィスキーの瓶に手を伸ばす。その様子を見て、章灯は慌てて自分のグラスを手に取った。


 2人分の酒が準備出来たところで軽くグラスを重ね、揃って口をつける。先に離したのは晶だった。音も立てずにグラスを置き、テーブルの上にあったリモコンを手に取る。静まり返っていたリビングにバラエティー番組の無粋な笑い声が響いた。


 何をするのだろう、と章灯が首を傾げる横で晶はDVDデッキのリモコンに持ち換えた。


 成る程、映画でも見ようということか。


 そこで章灯は気付いたのである。


 もし本当にこれから映画を見るのだとしたら――。


 晶が『付き合っていただけますか』等とわざわざ前振りするようなジャンルなんて、アレしかない。


「ちょ、アキ? もしかして……」


 手にしていたグラスを置き、その手をリモコンを操作している彼女の手に重ねる。


「どっ、どうしました?」


 急に乗せられた冷えた手の感触にぴくりと肩を震わせる。と、ほぼ同時のタイミングで、テレビのスピーカーから絹を裂くような女性の悲鳴が聞こえた。


「――ぅわぁぁあああっ!」


 文字通りに『飛び上がった』章灯はその勢いで晶に抱きつく。どうやら頭出しは済ませてあったらしい。その上、冒頭から『盛り上がる』タイプの映画のようで、血塗れの手が、最初の犠牲者らしき女性をおどろおどろしい効果音をバックにじりじりと追い詰めていた。


「しょ……っ、章灯さんっ?」


 息が詰まりそうになるほどの力で強く抱き締められ、晶はあまりの苦しさにそれから逃れようともがくも、章灯の方でも必死である。何せ心の準備が0の状態でスタートからアクセル全開系のホラー映画だ。せめて一言、これからホラー映画を鑑賞しますとでも言ってくれれば覚悟も出来たものを。


 恐怖感を煽りまくる効果音が止み、舞台が閑静な住宅街に切り替わったところで、漸く、可愛い妻が自分の腕の中でSOSを発し続けていることに気付いた章灯は、ゆっくりとその力を抜いた。


「苦しかったです……」


 同じく全身の力を抜き、晶は、ほぅ、と安堵の息を吐いた。


「ごめん。いきなりだったから、つい……。それに『付き合う』がまさかこれだとは思わなくてぇぇ――えええぁぁあああっ!?」


 のんびり穏やかだった住宅街のシーンから突如古いテレビ画面の映像に切り替わり、そこに映し出されている無表情の看護師を見て、章灯はまたも声を上げた。ただじっとこちらを見つめているだけなのだが、顔の青白さと死んだ魚のような目を見れば、それがこの世のものではないことがよくわかる。――とはいえ、演じている役者は当然『この世のもの』なのだが。


 それでも章灯を怖がらせるには充分だったようで、彼は固く目を瞑り、再度晶に抱きついた。もちろん、多少手加減する程度の余裕はあったが。


 さっきよりも幾分か自由の利くその拘束の中で、晶は慌ててリモコンの『一時停止』を押した。そして、問うのである。


「章灯さん、もうホラーは大丈夫なんです……よね?」と。


 その問いに、彼は勢いよく何度も首を振った。もちろん、横に、である。



 

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