♪37 それから
「ほいよ、お姫様」
そんなことを言いながら、助手席に
「そんじゃ俺は帰るわ」
お役御免とばかりにその場を去ろうとする
「送りますよ、コガさん」
「良い、良い」
「でも……」
あぁ、やっぱり打ち上げに行って来るんだろう。
章灯はそう思った。ちらりと晶を見ると彼女も何だか複雑な表情を浮かべており、彼と同じことを考えているのだとわかる。
「行ーかーねぇって。俺、この後仕事だもんよ」
さすがは湖上、2人がそんなことを考えているのなんてお見通しである。
「え?」
「あれ? 言ってなかったか?」
「聞いてませんよ」
「そうだったか、悪い悪い。いや、まじで仕事あんだわ」
「そうですか……。あ、じゃそこまででも……」
尚も食い下がる章灯に向かって湖上はニヤリと笑い、彼の耳元でそっと囁く。
「――まぁ、せっかく『良い映画』見た後なんだからよ、2人っきりで感想でも述べ合えや」
「なっ……!!」
――やっぱりそういうことか!
こうなると『仕事』というのも怪しいものだと訝しんでいると、やはり彼はそれを見透かしたかのように「いや、仕事は本当だぞ?」と笑った。
三軒茶屋の家へと向かう車内で、晶はすやすやと眠っていた。
彼女が眠りに落ちる前に語ったところによると、映画鑑賞後に立てなくなるほどの貧血を起こすことはままあるらしい。ホラー映画好きと公言している割に劇場へと足を運ばないのはそういうことだったのかと、章灯は納得した。家でならどんな体勢でも見られるし、一時停止も思いのままだ。
悪いことをしたな、と言うと、「いえ、いち早く見られて良かったです」と彼女は青白い顔で笑った。
途中、コンビニに寄りドライプルーンとカシューナッツ、それからとにかく『鉄分』と書かれているドリンク剤を購入する。
出来るだけ静かに閉めたつもりだったが、章灯が戻ると、晶は目を覚ましていた。彼が手にしている小さなコンビニ袋を見て済まなそうに頭を下げたのは、プルーンという文字が透けて見えたからだろう。
「食うか?」
「……いただきます」
個包装のプルーンを一つ取り、それを破って口へ放り込み、ほんの少し顔をしかめた。プルーンは晶にとって『貧血に良いから食べる』ものであって、決して好物ではないらしい。どちらかといえば苦手な方に分類されるようだ。それはプルーンに限らず、ドライフルーツ全般に言えることらしい。
眉をしかめもぐもぐと咀嚼する。その不機嫌そうな表情もまた何だか様になってしまっていると言ったら、彼女はさらに気分を害するだろうな、などと思ってみる。
「――さっきの映画ですけど」
ごくん、と飲み込んだ後で晶が切り出した。
やばい、とうとう始まってしまった、と、背中に冷たい汗が流れる。
「お、おう……」
「とても良かったです」
「そ、そうだな……」
「章灯さん、上手でした」
「そうか……? おぉ……、まぁ……、結構頑張ったからな……」
「でも」
――でも?
やっぱり駄目出しか? アキが口を出すとすると、歌の方か? いや、でもこの間は良かったって言ってくれたじゃねぇか。
「どうして山賊の方に章灯さんの名前がなかったんですか?」
――はぁ?
「は? 山賊?」
「え? 違いますか?」
「いや、ちょっと待って。言ってる意味がいまいち……」
「ですから、あの後半の村人と山賊の抗争のところ。章灯さんも参加してますよね?」
「参加……? あぁ、あの辺りのシーンは、その場にいたスタッフさん達も含めて皆でがやがやしゃべってるところを何か適当に加工したって言ってたな、そういや」
「やっぱりそうでしたか」
「何でそんなの聞きとれるんだよ、お前……」
お前はどんだけ俺の声に惚れてるんだ。いや、この場合、『敏感』と言った方がしっくりくるか。
「もう絶対に聞き逃しません」
「もう、って……」
あぁこれはあの『call my name』のことを言っているのだ、と章灯は思った。余程悔しかったのだろう。晶はじっと前だけを見つめている。
2人を乗せた車は目的地である自宅の前に到着した。
「――それから」
赤いレンジローバーの隣にぴたりと停め、さて降りるかとシートベルトに手をかけたところで、晶が口を開いた。
一体何が『それから』なのだと尋ねようかと思ったが、彼女のその声があまりにも凛とし過ぎていて割り込む余地など微塵もなかった。
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