♪35 君のために

「姫、エリ姫、御無事だったか」

「章……じゃなかった、章之進しょうのしん様……」

「章で良い。姫は余の妻なのだから」

「章……。随分とたくましくなったのね」

「どうだ。姫に見合う男になれたかのぅ?」

「どうかな。馬には上手に乗れるようになった?」

「もちろん。ここまで我が愛馬ハッサクと共に参ったのだからな」

「ふうん。刀だけじゃなく、弓も打てるんでしょうね」

「もちろん。姫の望みとあらば、我が柑橘城から藤色城まで矢文を射って見せようぞ」

「あはは、いらないよ。その様子だと、もう蛇も大丈夫そうね」

「――ぐぅっ! 蛇だけは……」

「なっさけないわねぇ。蛇を克服するまで結婚は無しよ!」

「そ、そんなぁ!」



「――こういうところは、まんま章灯しょうとだな」


 湖上こがみが口元を押え、声を殺してクックッと喉を鳴らす。あきらも以前同様に感じてしまっていたため、大っぴらに嗜めることが出来ず、コホンと軽く咳払いをするに止める。


 この後はエリが姫だと知らされて目を回す忍太郎と泰蔵の隣で、あんずはまるで10年来の親友でもあるかのように熱い握手を交わす。そしてエリ改めエリ姫は章之進と共に愛馬ハッサクに跨がり、シノビ村を後にするのである。


 きちんと修正された英梨の歌声から始まる『CHANGE FOR YOU』と共にエンドロールが流れる。一定の速度で画面下部から上部へ出演者やスタッフの名前が流れていく。その中の『甘夏章之進 山海やまみ章灯』という文字で、何故か晶の心臓は一際強く脈打った。

 なかなか途切れないエンドロールの横ではエリと章之進の結婚式の様子や、早速尻に敷かれている新婚生活、そして蛇を持ったエリに追いかけられて半泣きになっている章之進の様子が描かれている。


 やっと終わってくれた……。


 章灯の頭の中はもうそれだけだった。

 アニメ自体は面白かったのだが、いかんせん心臓に悪い。

 曲が終わってもまだエンドロールは続いていた。さて、ここからどうするのか。


 まさか立つわけにもいかず、章灯は辺りをキョロキョロと見回す。するとその気配に気付いた晶と目が合ってしまい、慌てて逸らした。

 そうしてしまってから別に逸らすこともなかったじゃないかということに気付いたものの、もう遅い。けれど、一瞬だけ見た彼女の表情にどうしても引っ掛かるものがあり、章灯はさりげなく晶の左膝を突いた。


「――なぁ、アキ。もしかして具合悪いんじゃないのか?」


 頭だけを晶の方に少しだけ傾けつつ、控えめな声で問い掛けられ、彼女はどきりとした。――バレた、と思ったからだ。


「……どうしてわかったんですか」

「んー、顔色?」

「まさか。こんなに暗いのに」

「だよな。嘘嘘。何か表情。ていうか、やっぱりそうだったか」

「大丈夫です。最後まで見ます」

「そうか? 無理すんなよ。俺はもう出ても良いんだから」

「ダメです。まだ終わってません」


 じっと前を見続けたまま晶は言った。


 確かにまだ映像は流れている。しかし、もう本編は終わったし、曲だって――、


「ん?」


 スクリーンの左上でスタッフロールに追いやられるような形になっていた2人のある意味微笑ましい新婚生活が、再び画面いっぱいに広がった。長かったスタッフロールが終わったのだ。

 かなりヴォリュームを絞った状態で章灯のソロバージョンの『CHANGE FOR YOU』が流れる。


「……あぁ、こっちのが良いな」


 湖上がぽつりと呟く。それは晶も同感だった。英梨との方は本編に合わせたアップテンポのマーチ調だったのだが、こっちはしっとりとしたバラードだ。歌詞と合うのは断然こちらである。

 スクリーンでは幼い頃の章之進が地べたに座り込んで泣いていた。その前ではエリが腕を組み呆れた顔をして彼を見下ろしている。

 幼年時代は子役を起用しているため、このシーンは章灯も初見である。


「本当に章は泣き虫ね」

「だっ……、だって…」

「そんな泣き虫ならいつまでたってもお嫁さんなんて来ないわよ?」

「そ、そんなぁ! ……も、もう、泣かない!」

「……本当?」

「泣かない! なっ、泣かない! 余は柑橘城の当主になる男ぞ!」

「ふうん」


 そんな彼の宣言に、エリは興味無さげに相槌を打ちくるりと踵を返した。日はもう落ちかかっている。そろそろ城の者が迎えに来る時間だろう。

 涙と鼻水まみれの顔を上等な着物の袖で乱暴に拭い、章之進は勢い良く立ち上がった。


「――だから! 余は立派な殿になるから! そしたら……、そしたら姫を迎えに行く!」

「はいはい」

「かっ、必ず迎えに行くから! そしたら余の……妻に……!」

「はぁ? まぁ、良いけど。でも馬には乗れなきゃダメよ」

「承知仕った!」

「それから、刀も弓も扱えなくちゃ話にならないわ」

「承知仕った!」

「あぁ、あと蛇嫌いはどうにかしなさいね」

「――ぐぅぅ~~……、へ、蛇ぃ~~……」


 再び膝をつく章之進を一瞥し、エリ姫はタイミング良くやって来た迎えの者と共にその場を去って行った。


 スクリーンはセピア色に変わり、囁くような章灯の歌声が響く。



 ――君のために 僕は変わろう

 ――理由はひとつ 君が好きだから


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