♪21 ただの酔っぱらい

「ほほぉ、これが例のブツか……」

「このバンドのダメさが章灯しょうとの声をより引き立ててると思わねぇ?」

「確かに。っつーかこんなんでよく歌えるよなぁ、あいつ。しかし――」


 湖上こがみが持参したノートパソコンを囲んで、2人は14歳の章灯の声を聞いていた。


「つくづく思うけどよ、章灯もなかなかだよな」


 長田おさだは愛妻の作ったつまみに舌鼓を打ちつつ、コーラをぐいと飲む。顔を背けてげっぷをしたところでそう切り出した。


「なかなか? 何がだよ」

「いやいや、俺らはやっぱりアキばっかり天才だ天才だって言うけどよ、章灯の方も大概だよなって話よ」

「あー、それはあるわな。ずるい、あいつは」

「ずるいよな。だってボイトレだってしたことねぇんだろ? 少年合唱団に入ってたとかよ」

「少年合唱団! 似っ合わねぇ! だはは!」

「んでもって全国区のアナウンサーで? 今年は人気ランキングも良いとこ行くんじゃねぇの? 去年は確か3位だったよな」

「おぅ。そんで見てくれもまずまずでよぉ、俺らにゃ及ばねぇがまぁ長身だわな」

「まぁ、まだまだほっせぇけどな。陸上やってたから太らねぇとかあんのかなぁ」

「なぁ。短距離ランナーで運動神経も良くてよぉ。そんでもって極め付きが――」


 さんざんに章灯を持ち上げた2人はそこで顔を合わせ、一様に忌々しそうな表情を作った。


「彼女がアキなんだぜ?」


 湖上は吐き捨てるように言うと、残りわずかのギネスを飲み干した。空になった瓶を軽く振る姿を見て、長田がすかさず立ち上がる。


「でも漏れなくお前も付いてくるわけだからなぁ」

「何だよ、悪いか。なかなかいねぇぞ? こんな恰好良い舅」

「阿呆か。章灯や千尋あいつらじゃなかったら、お前が理由で破局してるっつーの」

「ガハハ。だとしたらそれまでだったってことよな」

「成る程」


 2本目のギネスを片手に戻って来た長田は、それを湖上に手渡して再びラグの上に腰を下ろす。


「しかしよぉ、声変わりする前の章灯も良い声だなぁ。これがもう聞けねぇなんてある意味残念だ」

「――だろ? だからコピーして、アキにも渡してきた」


 湖上は親指を立て、得意気に胸を張る。その言葉に長田は腰を浮かせた。


「はぁっ? 馬鹿かお前っ! こんなのアキに聞かせたらまずいに決まってんだろ!」


 その慌てふためきように、湖上はまぁまぁと言いながら空のグラスにコーラを注ぐ。ぐいぐいと押し付けられるグラスを渋々受け取り、長田は腰を下ろした。


「どっちに転んでも良い結果にはならねぇぞ」

「どっちに?」

「気に入らなくても、気に入ってもってことだよ」

「おぉ、そうか。……そうかぁ?」

「気に入らなかったとしてもよぉ、これが章灯の声だって知ったら自己嫌悪だろうが。アキだぞ?」

「お――……、おぅ、そうだな。まぁでも気に入るって、絶対」

「それならそれで問題だろ。この声で曲作ったらどうすんだよ。歌わせんのか? 完全に声変わりした章灯によ」

「おぅ……言われてりゃそうだな」

「全く……。てめぇは親父だろうが。娘の性格くらい完璧に把握しとけ」

「まぁまぁ、大丈夫だって」


 ガハハと笑って瓶に口を付ける。


 ――と、ここまでが数ヶ月前の話である。


 そして話は章灯が人気ランキング1位をとったあの夜に戻る。

 章灯とあきらの家から逃げるようにして出て来た2人は、呆れ顔でハンドルを握る長田の運転で湖上のマンションへと向かっていた。


「いやぁ~……、まさか章灯があんな風になっちまうとはなぁ……。こえ~……」

「……だから俺はまずいって言ったんだ。明らかにおかしなことになってんじゃねぇか、あの2人」


 どうすんだよ、と助手席を睨み付けると、湖上は鞄の中からギネスを1本取り出した。もちろん栓抜きも常備している。


「まだ飲む気かよ。溢すんじゃねぇぞ、コガ」

「ぐはは。だーいじょうぶ、大丈夫」

「お前の大丈夫ほど当てにならねぇもんはねぇ」

「大丈夫だって、オッさんよぉ。あいつらも大丈夫だってぇ」


 明らかに酔いの回っているトーンである。


「……本当かよ」


 呆れ気味にそう返し、ウィンカーを出す。車通りの多い交差点で右折するタイミングを計っていると、隣からポン、と栓の抜ける音がした。


「おっとっと……。やべぇやべぇ」

「馬鹿。溢すんじゃねぇって」

「へっへ~。ちゃーんとタオルも用意してんだぁ、俺。偉いっ!」

「偉かねぇよ、阿呆」


 そう言いながらハンドルを切る。対向車線のファミリーカーのヘッドライトが2人の顔を照らした。


「――まぁ、こんなんでダメになっちまうなら、もうそれまでってこった」


 さっきまでのだらしない酔っ払いとは思えない真剣なトーンに、長田は思わず助手席を見た。本当に同一人物なのか、と。


「――おぅ? 何だぁ、オッさぁん?」


 しかし、彼の視線を受け止めたのは、さっきと変わらぬだらしないただの酔っ払いなのであった。

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