♪17 いつか話そうと
「きれいですね」
「
「あ、鶴」
人々が思い思いに会話をしているやや騒がしい空間の中、それでも人目を憚って声を落とす
「章灯さん?」
先程から、晶にしては珍しくやや興奮気味に話しかけているというのに、言葉を返さない章灯を訝しく思い、彼女は眉をしかめて彼の顔を覗き込んだ。
「――え? あぁ、いや、ごめん」
まさかお前に見とれてたなんて言えるわけがない。
そしてまさか、実はさっきも来ただなんて、もっと言えるわけがない。
章灯にとっては本日2度目となる櫻井祥太朗氏の写真展会場である。
行きたいところがあるんですが、と言った晶が章灯を半ば引っ張るようにして連れて来たのは、高松屋デパート7階のイベントスペースだった。章灯が何度行き先を尋ねても勿体ぶるような含み笑いで首を振り続け、ここに辿り着いたのである。
久し振りに見た楽しそうなその表情に胸が熱くなったが、だったらさっき行かなければ良かったという後悔が押し寄せてくる。
そんな章灯の思いを知る由もない晶は1枚のパネルの前で足を止めた。『冬佳景』である。
「私は、これが一番好きです」
そう言って視線を合わせ、にこりと笑う。
白い肌に映える深紅のフレーム。
一生見ることは無いだろうと思っていたロングヘアー。
服装だけはいつもの晶なのに――いや、公の場であるにも関わらず、女性らしい曲線を描いている胸元を見れば、もうまごうことなく『女』である。
抱き締めたい。
もう思いっきり、何なら叫ぶくらいに「好きだ」と言ってしまいたい。だけど――、
「俺も好きだ」
理性が、これくらいにしとけとブレーキをかける。
「章灯さんもですか?」
しかし当然彼女に伝わる訳もなく。
「アキのデスクトップ、コレだろ。俺も気に入っちまって、職場のデスクトップにしてる」
「そうだったんですか」
櫻井祥太朗氏を知ったのは晶のデスクトップの背景を見たのがきっかけだった。
足の踏み場も無いような、雑然としまくっている彼女の部屋において、聖域のように整然としている場所が二箇所だけある。何故かそこだけは不思議と整頓されているベッドの上と、だいたいいつも譜面まみれになっているデスクの上にあるノートパソコンのデスクトップだ。
特に、嵐でも通過したのかと思うほど散らかり放題の部屋の中で、青白くほの光るような『冬佳景』は周りとのコントラストで神々しくも見えてしまうのだった。
「章灯さんも好きなんですね。良かった」
「実は写真集だって持ってるんだぞ」
「そうなんですか? 知らなかったです、私」
「言ってなかったもんな、そういや」
「私が持っているのと被ってるかもしれませんね」
「何だ、アキも持ってるのか」
「持ってます。『むつのはな』と『雪虫の唄』『銀のはね、金のすず』、それから『アイスランドの緑と白』」
「あ――……被ったな、『むつのはな』と『雪虫の唄』。あと、俺はそのアイスランドの旅行記の方を買った。読むか?」
「それは是非」
「しかも、サイン入り」
「――えっ? な、何で……!?」
「こないだ、たまたま雑誌のインタビューしてるとこに居合わせたんだ。俺、急いで書店に行ってさ。いやー、走った走った。あんなに走ったのデビューシングルのPV以来だわ」
「章灯さん、足速いですもんね」
「つっても短距離専門だけどな。で、終わったのを見計らって声かけて」
「羨ましいです。どんな方でした?」
「まぁ、著者近影のままかな。若い人だったよ。何か妙に浮世離れしてる感はあったけど」
「そうなんですね」
さすがに一箇所に留まるのもと、どちらからともなく歩き出した。どうせ『冬佳景』は、お互いのデスクトップにも、『むつのはな』にも収められているのだ。
「――色々話してきたつもりだったけど」
「はい?」
「いや、こういうのあんまり話してなかったんだなぁってさ。趣味嗜好っつーの?」
ぐるりと一周してからポツリと呟く。確かあの時は帰ったら絶対に晶に話そうと思っていたはずなのに、そういう時に限って書類の不備だ何だで局長からお叱りの電話がかかってきてしまい、すっかり頭から抜け落ちてしまったのだった。そしていつか話そういつか話そうと思っている間に今日に至ってしまったのである。
「アキ、あのさ――」
「章灯さん」
遮るように、晶が口を開いた。
「ご飯食べてから帰りませんか」
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