♪7 撤収!

「いや……、もう章灯しょうと、その辺で止めとけ。な?」

「そうだぞ章灯。それ以上飲んだら俺の分が――いってぇ! 何すんだ、オッさん」

「馬鹿野郎! そうじゃねぇだろ!」


 水でも飲むかのようにすいすいとギネスの瓶を開けていく章灯を、湖上こがみ長田おさだはどうにか抑えようとした。彼よりも腕力がある2人なのだから、無理やりにでも彼が小脇に抱え込んでいるギネスの瓶を奪えば良いのだが、一言も喋らず、ただただ喉仏を上下させているその姿が何だか恐ろしく見えてしまい、手が出せないのである。いつもだいたいのことは笑って許してくれていた好青年の目は据わり、近寄りがたいオーラを発しまくっていた。


「これはもうアキ呼ぶしかないんじゃねぇのか」

「阿呆か。危険すぎるだろ、こんな状態の章灯は」


 正座をし、背中を丸めてひそひそと話す。そんな2人の相談など一向に気にならない様子で、章灯は一定のペースを保ったまま5本目のギネスを飲み干した。そして、これで終了、とでも言うかのように空の瓶をテーブルの上に置くと、ソファに身を預けた。そんな時でも瓶を投げ捨てるだとか、大きな音を立てながら置くだとか、そんな荒々しいことはない。その辺りはさすが彼と言ったところであろう。


 いまがチャンスだと湖上と長田はまだ手付かずのギネスを回収し、湖上の鞄の中に詰め込んだ。そして長田がテーブルの上をざっと片付けている間に湖上はキッチンへと向かい、冷蔵庫からミネラルウオーターのペットボトルを取り出す。ついでにアルコールの類が入っていないかを軽くチェック。ノンアルコールしか入っていないことを確認し、食器棚からグラスを取り出してリビングへと戻って来た。


 きれいになったテーブルの上にペットボトルとグラスを置くと、活動を停止している章灯に向かって「お疲れ!」とだけ言って、中年2人はそそくさと出て行った。



「大丈夫かなぁ、アイツ」


 助手席の湖上がぽつりと呟く。


「まぁ、章灯のことだから、さすがにあの程度でぶっ倒れたりはしねぇだろ。とりあえず、定期的に様子見に行けってアキに伝えとけよ」

「おう」

 

『章灯がリビングで潰れてるから、後は頼んだ』


 そんなメッセージを受信した時、あきらはもちろん起きていた。何をしていたかは、もう言わずもがなである。


 章灯さんが潰れてるって……何でまた。


 大方、あの2人が「章灯が人気アナウンサーランキング1位を取ったから今日はお祝いだ!」と盛り上がっていたので、飲ませ過ぎたんだろう。


 そう思って、晶はやれやれと呟きながらヘッドホンを外した。


 そんな喜ばしいことがあった割にいまいち浮かない顔をしていた章灯を思い出す。珍しいことに、彼の好物ばかりで埋め尽くされたテーブルを見ても何のコメントもなかった。


 きっと胸がいっぱいすぎたのだ。自分にはよくわからないが、そういうことはよくあるものらしい。

 自分よりも数段しっかりした大人の章灯さんのことだから、そうは言っても自分の出る幕なんてないだろう。


 そう高を括って、晶は自室を出た。とりあえずちらっと様子を見に行こう。そんな軽い気持ちでリビングのドアを開ける。


「お酒くさ……」


 アルコール臭の充満したリビングで、章灯は帰って来た時のスーツ姿のまま、ソファにもたれて寝息を立てていた。


 結局着替えなかったのか。


 スーツ姿の章灯は何だか『テレビの中の人』という感じがする。もちろん、スーツ姿のまま一緒に仕事をしたことなど何度もあるのだが、少なくとも、家にいる章灯はラフな部屋着姿で胡坐をかき、砕けた口調でだらりと弛緩している。まぁこの姿もだらりとはしているのだが。


「章灯さん、大丈夫ですか」


 トントンと控えめに肩を叩き、声をかける。テーブルの上には恐らく長田が用意したのだろうミネラルウォーターのボトルがある。とりあえずこれを飲ませればいいのだろう。


 章灯さん、章灯さん、と何度か肩を叩くと、彼はうっすらと目を開けた。視点の定まらない目がやっと彼女の姿を捉え、一度だけ大きく開いたかと思うと、また再び細められる。


「寝ちゃダメです。水飲んでください。いま注ぎますから」


 このままでは寝てしまうと、晶は彼に背を向け、慌ててボトルに手を伸ばした。しかし、あと数cmというところで服の裾を強く引っ張られ、バランスを崩した彼女は後方によろけた。

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